アラタナイカンケイ



「いいんじゃないの?」


「よかった!」


 響くんから演奏のOKをもらえて、思わず両手を上げて叫んでしまう、わたし。が、いつになく気まずい雰囲気に満ち満ちている、スタジオ内。


「機嫌、まだ直らないのかよ?」


「遊佐が言うなよ」


 遊佐くんと加瀬くん、さっきから、この調子。


「ほら、見なよ。当の立原さんが、こんな脳天気でいるのに。加瀬がキレることないから」


 響くんは響くんで、言いたいこと言ってるし。一応、わたしは自分なりに頑張って、普通にしていようという努力はしてるつもりなんだけど……。


「立原、ちょっと来いよ」


 こんな強い口調の加瀬くん、初めて。


「う、うん」


 指名を受け、わたしも加瀬くんのあとを追って、スタジオのドアを開ける。外の階段を降りると、すぐ目の前に加瀬くんが立っていた。


「よく、そんな普通にしてられるよ」


「えっ? あ……」


「立原は、納得してるの? 結局、別れたんでしょ? 今度は、遊佐が例の子とつき合うことになって」


「そう……みたい」


 しかも、決定打は、ついさっき。


「遊佐は開き直ってるし、響が考えてることもよくわからないし」


「うん。響くんの考えてることは、わたしもわからない」


 遊佐くんに対して、全く普通の態度だったよね。


「どうして、立原もそんなのん気なの? 遊佐に遊ばれたようなもんじゃん」


 わたしから視線をそらして、加瀬くんが言った。


「ううん。それは違うよ」


 そんなふうには思ってない。


「違わないよ。悪いけど、そうとしか見えない」


「そんなんじゃないもん」


 口では強がってみても、そう何回も言われると、わたしも自信がなくなってくる。やっぱり、加瀬くんの言うとおりなのかな。最初から、わたしのことなんて……。


「いや……その、ごめん」


 わたしの表情に気がついたのか、加瀬くんが微妙な表情になる。


「じゃあ、立原は、遊佐のことは全然恨んでなくて」


「うん」


「で、バンドも続けたいんだよね?」


「うん。わたしが響くんに、お願いしたんだもん」


 わたしが立て続けに返事をすると、加瀬くんは大きく、ため息をついた。


「なら、しょうがない」


 スタジオに戻るため、加瀬くんと階段を上る。


「ごめんね」


「立原が謝ることないよ」


 わたしのこと、心配してくれてるんだよね? 加瀬くんの優しさには、今日も救われてるよ。そして、もう一度、スタジオに入ると。


「あー、モヤモヤする」


 ぼやきながら、加瀬くんはベースを肩にかけた。






「えっと……今日は、帰るね」


 なんとなく、みんなで過ごすのが当たり前になっていた、練習後の時間。さすがに、今日だけは、いろいろと自信がない。


「なら、俺も帰ろっかな」


 加瀬くんも、あまり気乗りしないようす。雰囲気を悪くしちゃったようで申し訳ないけど、今日のところは勘弁してもらうしかない。遊佐くんは、ちらりと腕時計を見ていた。


「じゃあ、お疲れ様! また、来週ね」  


「新曲、追加で送るから」


「ありがとう。楽しみにしてるね」


 むしろ、いつも以上に明るく遊佐くんにあいさつして、一人で改札を抜ける。自分で決めたこととはいっても、しばらくは、きついかもしれないな。


 このあとも、遊佐くんは亜莉ちゃんを部屋に呼ぶに決まってる。さっきは、その予定を決めるために、時間を確認してたんだ。そんなことを考えながら、ホームに向かおうとすると。


「立原さん」


「はい? あ」


 階段の途中で、響くんに呼ばれた。


「びっくりした。響くんも、もう帰っちゃうの?」


「いや」


 わたしと同じ位置まで上ってきた、響くん。


「立原さん、このあと予定あるの?」


「ううん。何もない、けど」


「これから、どこか行かない? 時間空いちゃったから」


「ええっ?」


 突然の話の流れに、面くらってしまったんだけど。


「あの、どこかって?」


「東京タワーとか」


「東京タワー?」


 こんなときなのに、目が輝いてるはず。


「そう、行ってみたかったの……! 遊佐くんに提案したことがあったんだけど、断られちゃって」


「らしいね」


 そっか。そういえば、響くんも行きたがってたって


 一瞬、遊佐くんと亜莉ちゃんのことも頭から抜けてしまうくらい、気持ちが上がる。ウキウキしながら、電車を乗り換えて、念願の東京タワーに向かった。それなのに。


「あれ……?」


 到着して、言葉を失う響くんと、わたし。施設案内を見たら、お目当てのろう人形館がなくなってる。


「知らなかったよ。幼稚園か小学生のときに、親戚の叔母さんに連れてきてもらったのが最後だったから」


 あの記憶の中の変な世界観、今の自分で確かめたかったのに。


「ああ……何年も前から、施設全体の浄化が進んでたみたいだね。水槽の中の全部の魚に値札がついてる、エグい水族館も消えてるし。調べてから来ればよかった」


 iPhone の画面をスクロールして、響くんもため息をつく。


「どうする? 展望台でも上ってみる?」


「うん」


 なんとなく、誰かと一緒にいたい気持ちだったから、即答した。展望台は思っていたよりも狭くて、ガラス張りの床からタワーの骨組みが見えたりと、何とも言えない危うい雰囲気。


「すごい……! 来て、正解だったね。わたし、高いところ、大好き」


「だろうね 」


「どうして?」


「べつに」


 絶対に、ガラスの上を歩こうとしない響くんは、高いところが得意ではないのかも。そういえば、何とかと煙は高いところが好きなんていう言葉があったような。


「思ってた以上に、元気だね」


「あ、や……そうなのかな」


 実際のところは、どうなんだろう? 失恋したら、もっと落ち込むのが普通なのかな。でも、それを言ったら。


「響くんこそ。遊佐くんのせいで、亜莉ちゃんと別れることになっちゃって。それなのに、遊佐くんとは何もなかったみたいにしてるけど……」


 やっぱり、傷ついていないわけはないと思う。陰で、遊佐くんに裏切り続けられてたこと。


「……亜莉は」


 手すりに寄りかかって、響くんが口を開いた。


「前にも言ったけど、父親が酒乱で、よく殴られたりしてて。その傷が目について、こっちから声をかけたのが始まり。顔も好みだったし」


「可愛いもんね、亜莉ちゃん。わかるよ」


 複雑な思いを隠すように、力を込めて、うなずく。


「母親は父親の言いなりで、何の力にもならなくて。一回、本当に亜莉の身の危険を感じて、俺の方から類に頼んだことがあったんだよね。亜莉を泊めてやってくれって。そのとき、俺は家族の用事で東京を離れてて」


「うん……」


 響くん、信用してたんだろうな。遊佐くんのことも、亜莉ちゃんのことも。


「きっと、それがきっかけだね。亜莉が俺に隠れて、ずるずると類の部屋に行くようになったのは」


「そう……なんだ」


 遊佐くんにとっても、大事だったはずの響くん。そんな響くんの信頼を裏切ってしまうくらい、遊佐くんは亜莉ちゃんに惹かれる気持ちを止めることはできなかったんだね。


「俺はずっと、高いところから二人を見下ろしてるようなつもりでいたんだけど、立原さんの言うとおり、きつかったんだろうね。亜莉を手放して、よかったよ」


 つかえがとれたように、さっぱりと言いきった、響くん。


「そっか」


 それは、わたしにとっては、遊佐くんを失ってしまった間接的な原因のひとつなんだけど、今の響くんの顔を見たら、これでよかったんだろうなあって……ううん、こうじゃなきゃいけなかったんだろうなあって、思わざるをえなくなったよ。


「亜莉のことは、途中からどうでもよくなったんだけどね。類に対する意地だけは、どこかに残ってたのかも。それこそ、無駄な時間だったね」


「じゃあ、今は……遊佐くんに対して、わだかまりはないの?」


「全然」


 響くんは、笑った。嘘のない感じだった。


「少なくとも、俺は亜莉より類の方が好きだから。それにしても、苦しんでるふりして、よろこんで類に抱かれてた亜莉のこととか今考えると、吐きそうになる」


「でも」


 響くんの気を遣わない言い方に、愚痴が出てしまう。


「どうせなら、もっと早く別れてあげればよかったのに。そうしたら、わたしと遊佐くんの間には最初から何も起こらなくて、つらい思いもしなくてすんだのに」


「そう? 立原さん、類クラスの男となんて、この先つき合える機会ないんじゃない? 生涯の想い出にしなよ。ほんの数回でも、相手にしてもらえて」


「…………」


「そろそろ、下に降りない? 喉も乾いたし、何か……立原さん?」


 さっきの響くんの言葉。多分、悪気があったわけじゃない。それは、わかってる。だけど ————— 。


「え? 何? 急に」


「や……ううん」


 突然、涙が止まらなくなった。わけがわからなくて、響くんが驚くのは、当然。手を引っ張られて、端に寄る。


「ごめんね。恥ずかしいよね」


「そんなのは、いいけど」


「いや、あの……これは、響くんにしてみたら、もらい事故のようなもので」


「だから、何?」


 怒ってる雰囲気ではなかった。だから、素直に打ち明けてしまう。


「その……改めて、最初に響くんに言われたとおりになったんだなあって」


「え?」


「ゴミみたいに、捨てられるって」


 そうだ。加瀬くんも同じ意味のことを言ってたよね。遊佐くんに、遊ばれたんだって。


「そうじゃないって、必死で自分に言い聞かせてたんだよ。だから、バンドも続けたいって……せめて、友達としては必要としてもらえてるって、信じたかったから。そうじゃないと、消えちゃいたいくらい、恥ずかしくて、悲しくて」


 男の子には、わかってもらえないかもしれない。自分の全部をさらけ出した相手に、いとも簡単に投げ出されちゃう、みじめな気持ち。


「ごめん。そうだよね。俺と立原さんじゃ、立場が違うよね」


「あ……や、なんか、ごめんなさい。溜め込んでたものが、たまたま、今出ちゃっただけなの」


 予想に反して、真面目に謝ってくれた響くんに、こっちの方が申し訳なくなって、戸惑ってしまう。


「でも、今は、そうは思ってないよ」


「え……?」


 響くんの言葉に、顔を上げた。


「立原さんといるときの類、ちょっと今までと違ったんだよね。素直というか、居心地良さそうで。あのまま、うまくいけばいいと思ってた。そんなこと、初めてだったから」


「本当に?」


 それは、何よりも、うれしい言葉。


「うん。適当だけど」


「ええっ? どっちなの?」


 言葉とは裏腹に、優しく笑った響くんの顔を見たら、また泣き出しそうになった。でも、きっと……家に帰って、遊佐くんの歌を聴いても、もう大丈夫。次の練習のときには、前みたいに話もできるよね? 最初から、何もなかったように。



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