コイノユクエ



「立原先輩」


「へっ?」


 耳慣れない声と響きに戸惑って、思わず奇声を発してしまったのは、次の日の放課後の人気のない教室でのこと。


「わ……!」


 振り向いて、さらに驚く。


「若松さん?」


「名前、知っててくださったんですか?」


 若松さんが、ニッコリと笑った。


「う、うん。若松さんこそ」


「ごめんなさい。立原先輩と、お話ししたいんです。ちょっとだけ、いいですか?」


「や、あの……」


 話、と言われても。


「お願いします、先輩」


 わたしと若松さんで話すことなんて、何もないのに。でも、そんなことを言えるような雰囲気でもなく。


「あ、じゃあ……少し、待っててね」


 腹をくくって、荷物をまとめる。 どうしよう? やっぱり、遊佐くんのことだよね。心配されるようなこと、ないのに。どのみち、相手にされてないんだから、自分の気持ちになんて、気づかなければよかったと思ってるくらいで。


「立原先輩って、遊佐先輩と、つき合ってらっしゃるんですか?」


「ま、まさか……!」


 校舎裏まで来たところで、若松さんに投げかけられた質問に、面くらう。


「わたしと遊佐くんが? ありえないよ、そんなこと」


 見れば、わかるじゃん! どう見ても、カップルであるわけがない。


「そうですよね」


「ん?」


 若松さんの声に、はっとする。


「そんなわけないとは思ったんですけど」


「や、そうでしょ? だから……」


「立原先輩、知ってます? 周りの人から、どんなふうに言われてるか」


 人形みたいな微笑みが、少し歪んだ気がする。


「知らないけど……べつに、知らなくていいから」


 だいたい、わかるもん。そんなの、聞かなくても想像できるよ。だけど……。


「立原先輩と噂される遊佐先輩が、かわいそうですよ。倉田先輩ならともかく」


「そ……」


 そんなこと、わたしに言われたって。じゃあ、わたしは、どうすればいいの?


「でも、誰にも迷惑かけてないよね? 若松さんにだって、そんなことを言われる筋合いは……」


 自分でも全部、わかってるんだってば。


「筋合い? ありますよ。だって、見苦しいじゃないですか。遊佐先輩に好かれてるとでも思ってるんですか?」


「…………」


 言葉が出ない。遊佐くんを好きになっちゃって、いちばん苦しいのは、わたしなのに。どうして、若松さんにまで、こんなふうに……と、そのとき。


「立原?」


 後ろから、聞き覚えのある声がした。


「加瀬くん!」


「何やってんの? こんなところで。若松も」


 近づいてきた加瀬くんが、怪訝けげんそうに若松さんを見る。


「いいえ、べつに。立原先輩、お時間いただいて、すみませんでした。失礼します」


「あ、若松さん?」


 気まずそうに、小走りで去っていく、若松さん。


「何? あれ。もしかして、遊佐のこと?」


「うん……」


 加瀬くんの顔を見上げて、やっと安心した。


「いろいろ、言いたいことがあったみたい」


「いい迷惑だよなあ。後輩に、あんな詰められて」


「しょうがないよ。わたしが、こんなだから」


 そう、わかってるの。もともと、遊佐くんは手が届かない人で、憧れることさえもできなかったんだもん。でも、だんだん、一緒にいる時間が増えて、そして……わたしばっかり、こんなに好きになっちゃって、どうしたらいいんだろう?


「立原? 大丈夫?」


 張り詰めていた糸が切れたように、涙がこぼれてしまった。そんなわたしの頭を、なぐさめるように軽く叩いてくれる、加瀬くん。


「ごめん、加瀬くん……」


 こんなところで泣いたりしたら、迷惑だよ。


「落ち着くまで、ここに座ってようよ」


 加瀬くんが、目の前の石段に腰を下ろす。わたしも涙をふいて、そっと隣に座らせてもらった。


「ごめんなさい。今日は、美緒ちゃんは?」


「委員会。平気だよ、そんなの気にしないで」


 今でも大好きな、加瀬くんの笑顔。気が緩む。


「立原も災難だよなあ。倉田に、若松に」


「美緒ちゃんと若松さんは、全然違うよ」


 美緒ちゃんは、わたしの気持ちも、ちゃんと考えてくれてるもん。


「うん。一緒にしたら、倉田に怒られるね」


 今度は楽しそうに、加瀬くんが笑う。


「俺さ」


 少し間をおいて、なんだかおかしそうに、加瀬くんが口を開いた。


「うん?」


 何の話だろうと、何気なく加瀬くんの顔を見ると。


「本当は、立原のことが好きだったんだよね」


「ええっ?」


 世間話みたいに、あまりにさらりと加瀬くんが言うから、わたしは自分の耳を疑ったんだけど。


「あ。やっぱり、気づいてなかった?」


「や、えっと、だって……ええっ?」


 頭の中が真っ白になる。


「いや、本当に。黙ってようと思ってたんだけど、言っちゃった。まあ、いいや」


「待って、加瀬くん」


 嘘をついてるような雰囲気じゃないし、からかわれてるわけでもないなさそうだけど。


「でも、立原に遊佐を引き合わせたの、俺だしね。自業自得なんだけど」


「わたし、何が何だか」


 そんなこと、急に言われても、全然意味がわからないよ……!


「じゃあ、なんで、美緒ちゃんと?」


「だって、立原は遊佐に夢中だったじゃん。俺、立原が遊佐を好きになったの、すぐわかったよ」


「でも、わたし、前に言ったよね? ずっと、加瀬くんに憧れてたって」


 もう、かなり、今さらなんだけど。


「あ。それ、覚えてる。え? もしかして、好きって意味だったの? あれ」


「そうだよ!」


「え……? 本気で?」


 今度は、加瀬くんの方が驚いた顔をしてる。


「いやいや、わかんないって。あれじゃあ」


「わたしは伝わってると思ってたよ。だから、あのときは、加瀬くんに流されちゃったものかと」


「そうだったんだ? きっと、深い意味はないんだろうと思ってた」


「あったの。わたしにしては頑張って、勇気を出したんだよ」


「すごい。今、けっこう、衝撃を受けてる」


 しばらく、顔を見合わせたあと、二人で笑い出した。


「でも、そのおかげで、倉田とうまくやってるし」


「うん。そうだよね」


 失恋したばかりだけど、不思議と胸の痛みは感じない。


「それで、何が言いたいのか、よくわかんなくなってきたけどさ。つまり……」


「つまり?」


「まあ、頑張りなよ。立原も、意地とか張らないようにして。あ、遊佐」


「…………!」


 加瀬くんが顔を向けた先には、こっちを向いて立っている、遊佐くん。


「倉田さんが捜してるよ」


 遊佐くんが、わたしの方を見た気がした。


「わたし?」


「違う。加瀬」


 今度は、わたしから目をそらす。


「わかった、ありがと。じゃあ、そういうわけだから。頑張れよ、立原」


「あ、加瀬く……」


 加瀬くんは、すっきりとした顔で、美緒ちゃんを探しに校舎の中に入っちゃった。わたしは、なんとなく立ち上がりもせず、前を向いたまま。


「何? 告白大会でもしてたんだ?」


 しれっと聞いてきた遊佐くんも、わたしの隣に座る。


「そんなんじゃないもん」


 遊佐くんの顔を見ないで、答える。なんだか、遊佐くんのまとう空気に、くらくらしそうになる。


「また、涙目じゃん」


「そんなことないよ」


 若松さん……ううん、遊佐くんのせいだもん。


「いいかげんに、加瀬のこと、あんまり困らすなよ」


「違うよ。加瀬くんは、関係ない」


「へえ。じゃあ、何?」


 遊佐くんが、わたしの顔をのぞき込む。


「何って……」


 言葉につまる。こんなに近くにいても、こんなに遠いよ。若松さんの言っていたことが、わたしの頭の中をぐるぐる回る。


「遊佐くんは、わたしになんてかまわないで、若松さんといればいいじゃん」


「あ?」


 わたしの口から出てきたのは、遊佐くんを突き離すような言葉。


「遊佐くんと若松さん、性格の悪い人同志、お似合いだよ」


 なんで、こんな言い方になっちゃうの? たった今、加瀬くんに言われたばかりなのに。意地を張るなって。


「未練がましいのは勝手だけど、俺に当たるなよ。いい迷惑」


「あ……」


 違うのに。そうじゃないのに。誤解されたまま、遊佐くんは校舎の中へ消えていってしまった。だって、しょうがないじゃん。わたしには、どうせ、無理なんだから。



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