ソレカラノ、フタリ



「はあ……」


 部室の前で、一回深呼吸。昨日、加瀬くんからのメールで、合宿以来、初めての練習の連絡が入ったんだ。さすがに、顔を合わせにくいけど。


「……うん」


 覚悟を決めて、ドアを開ける。


「おはよう!」


 十分、気合いを入れてね。


「立原か。おはよ」


「あ、加瀬くん。えっと、おはよう」


 加瀬くんの顔を確認したとたん、弱気になっちゃってるけど。


「あの……」


 遊佐くんは、まだ来てないみたい。


「ん?」


「合宿のときは、ごめんね」


 まずは、謝らなくっちゃ。あんなふうに出ていっちゃって。


「え? 何だっけ? あ、そっか。いやいや」


「…………」


 あれ? 全く、気にもしてなさそう。


「あんなの、前の日の倉田に比べたら、全然。だいたい、あのときだって倉田が悪いんだよ。無神経で」


 そう言って、加瀬くんが笑ってくれたから、やっと安心できた。


「こっちこそ、立原を置いて帰っちゃって、ごめん。もう、倉田が大変で」


「そう、だったんだ……」


 あれから、美緒ちゃんとも会ってない。


「倉田って、あんな感じだったっけ?」


「えっ?」


「何でもソツなくこなす、器用なタイプだと思ってたからさ。あんなことになるなんて、びっくりしちゃって」


 わたしも、そう思ってたんだけどな。多分、加瀬くんへの気持ちが本物だということなんだ。


「でも、行動力あるよね。美緒ちゃんは」


 いつだって、わたしの憧れだったんだもん。


「遊佐も、倉田とつき合っちゃえばいいのにとも思ったけど。普通に、似合わない?」


「そう……そうだよね」


 今の加瀬くんの言葉に、美緒ちゃんには悪いと思いながらも、ほっとしてしまった自分がいる。


「あ。いや、ごめん」


 そこで、急に、加瀬くんが口ごもった。


「何が?」


「それじゃあ、立原が嫌だよなあ」


 続けて、そんなことをさらりと軽く言った、加瀬くん。今のって。もしかして、加瀬くん、わたしが遊佐くんのこと好きだって、誤解してる? それ以前に、わたしの気持ち、全く伝わってなかったの?


「加瀬くん、わたし」


 思わず、声を大きくした。


「わたしは遊佐くんのことなんて、全然好きじゃな……」


 と、そのとき。後ろに人の気配を感じて、ゆっくりと振り向いたら。


「わ」


 やっぱり、遊佐くん……!


「ああ、遊佐。お疲れ」


 少し気まずそうに、加瀬くんが声をかける。


「や、その……」


 ちょっと、まずかったかな?


「この女、前から俺の顔見るたび、いちいち念を押してくるんだよ。俺のことは好きじゃないって」


 ベースを肩から下ろしながら、遊佐くんが言う。


「あ。そういえば、そうかも」


 思い当たるフシしか、ないような。と、そこで。


「俺も、おまえを好きになることだけは絶対にないって、断言できるから。そんな心配、しなくていいよ」


 顔を思いきり近づけてから、ニッコリと笑う、遊佐くん。


「し、知ってるもん。そんなこと」


「俺もだよ。バーカ」


「…………!」


 どうして、遊佐くんに、『バカ』なんて言われなくちゃいけないの?


「子供のケンカじゃないんだから。いいから、遊佐も早く準備しちゃいなよ」


 加瀬くん、完全に引いてる。ねえ、加瀬くん。ちゃんと、わかってくれてるよね……?






「うん、よくなった。立原も完璧だね」


「よかった……!」


 ひさびさの練習は、やっぱり気持ちよくて、合宿でのいろいろな事件は頭から消えていた。


「こんな感じで、大丈夫そう? 来週」


「平気、平気。合同ライブっていっても、ただ騒ぐのが目的の適当なイベントだから」


 ギターを片付けながら、加瀬くんが笑って。


「そうだ」


 そのあと、何か思い出したように、顔を上げた。


「どうしたの?」


「倉田が図書室で待ってるから、来てくれって」


「あ……」


 一気に、現実に引き戻されたような気持ちになる。


「反省してるみたいだから、話聞いてやりなよ」


 加瀬くんに、軽く肩を叩かれた。


「わかった」


 そんな行動のひとつひとつが、以前は、うれしくてたまらなかったのに。あれからも加瀬くんと美緒ちゃん、連絡とってたんだね。そう考えると、胸が苦しいよ。






「美緒ちゃん」


 人気のない図書室で、本をめくっていた美緒ちゃんに、意を決して、静かに声をかけた。


「璃子」


 少し決まりの悪そうな顔をして、美緒ちゃんが本を棚に戻しにいく。


「出ようか、璃子」


「うん」


 まだ、美緒ちゃんの顔は、まっすぐ見れな買ったんだけど。


「ごめんね、璃子」


「えっ?」


 どうなることかと思ってたら、外に出るなり謝ってくる、美緒ちゃん


「本当に、わたし、大人げなかったって思う。ごめん」


「や、そんなの、わたしだって…」


 わたしも言葉を探していたら。


「そうだよ。璃子だって、悪いよ。よりによって、玉砕した日に、あんなところ見せられたら……」


「や、あれは、そういうんじゃないもん」


 やっぱり、遊佐くんとのこと、誤解されたままだと気づく。でも。


「わたしだって、美緒ちゃんと加瀬くんがずっと同じ部屋にいて、ショックだったんだから」


「まあ、お互い様だね」


 美緒ちゃんが、気が抜けるほど、あっさりと言い放った。そんな、以前と変わらない美緒ちゃんの態度に。


「そうだね」


 わたしも緊張が解けて、すっかり気が緩んでしまった。


「よかった。璃子に謝っておきたくて、ずっとモヤモヤしてたんだよね。あ、でも」


「ん?」


「まだ、璃子は、一回も謝ってない」


「……ごめんなさい。無神経だったと思う」


 そうだよね。そこは、素直に謝らなきゃ。


「よし」


 そこで、いたずらっぽく笑う、美緒ちゃん。美緒ちゃんには、かなわいなあと思いつつ。やっぱり、美緒ちゃんのことは大好き。


「でさ、美緒ちゃん」


 それはさておき、このことだけは確認しておきたい。


「加瀬くんのことは、本気なんだよね?」


「もちろん。残念ながら」


「だよね」


 聞かなくても、わかってはいた。美緒ちゃんと張り合う自信なんて、これっぽっちもないのに。


「だって、加瀬のよさに気づいちゃったんだもん。わたしは璃子と違って、のんびりしてないから」


「……知ってる」


 思わず、ため息をついてしまう。


「璃子には悪いけど、今日も、これから加瀬と約束してるから」


「そ、そうなの?」


 あっけにとられて、返す言葉も見つからない。美緒ちゃんだけは、敵に回したくなかった。


「でも、これは本心なんだけど」


「何?」


 わたしは、すっかり不戦敗の気分だよ。


「璃子には、いいと思うよ。遊佐くん。けっこう、似合ってる」


 美緒ちゃんが極上の笑顔を見せる。


「ええっ? 何言って……」


 適当すぎる美緒ちゃんの言葉に、必要以上に動揺していると。


「あ、加瀬だ。またね、璃子」


「ちょっと、美緒ちゃ……」


 ちょうど、校舎から出てきた加瀬くんを見つけて、美緒ちゃんは小走りで去っていってしまった。合宿の日から、感情がジェットコースター状態だよ。


「だから、言っただろ? あんなもんだよ」


「あ」


 いつのまにか、わたしの隣に、遊佐くん。


「もうね、何が何だか……」


 遊佐くんにも、美緒ちゃんの遊佐くんへの想いの真剣さを訴えたこともあったのに。


「こっちは、助かったけど。加瀬のおかげで」


「また、そんな言い方して。でも、わたしも、美緒ちゃんと仲直りできたのはよかったよ」


 あのまま、美緒ちゃんと友達に戻れなくなっちゃったら、どうしようと思ってた。


「ふうん」


 全く興味なさそうな、遊佐くんだけど。それはそうと、合宿のときのお礼は、ちゃんと伝えておくべきだよね?


「えっと……あのさ、遊佐くん」


 と、切り出そうとした、そのとき。


「遊佐先輩」


 一年生? 綺麗なストレートのロングヘアがよく似合う、小柄な女の子が、わたしたちの横から、遊佐くんの名前を呼んだ。


「え?」


 振り向いた遊佐くんに、口ごもりながら、潤んだ目を向けてる。これって、もしかして。


「あの……ちょっと、お話があって」


 わたしの方には、気まずそうな表情。絶対、間違いない!


「ま、またね、遊佐くん」


 今、まさに、この女の子に告白されるんだ。


「ああ」


 遊佐くんの声を背中で聞きながら、早足で門を出ていく。すごく、可愛い子だった。遊佐くんと同じくらい、肌が白くて。まるで、人形みたいな女の子だった。



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