アラシノアト



 加瀬くんが行っちゃってから、どれくらい時間がたっただろう。15分くらい? それとも、30分? 行き違ったら嫌だなと思って、ずっと待ってたけど……さすがに、もう戻ってこないよね。


 何か、他の用でも思い出したのかな。それとも、わたしが加瀬くんの気に障るようなことを言っちゃってたとか? いくら考えても、わからない。


「はあ……」


 最後に、もう一度、大きくため息をついた。うん。こうしていても、しょうがないもん。とにかく部屋に戻ろう。重い腰を持ち上げて、照明が消えて暗くなっていた廊下を、一人で歩き出す。


 やっぱり、遊佐くんの返事は、OKじゃなさそうだったよね。美緒ちゃん、部屋には帰ってきてるかな。自然と足取りが重くなっちゃうよ……と、そのとき。


「あ、ごめんなさい」


 廊下の角を曲がったところで、人にぶつかってしまった。あわてて、謝ったら。


「あ……!」


「なんだ。おまえか」


 目の前にいたのは、遊佐くん。


「あのさ、えっと……」


「何?」


「加瀬くんと、美緒ちゃんは?」


 他に言葉が見つからず、『知らない』という言葉を予想しつつ、質問してみると。


「部屋にいるよ。二人とも」


 遊佐くんに、おっくうそうに答えられた。


「え……?」


 頭の中が真っ白になる。部屋に? 二人とも?


「部屋って、どこの部屋に?」


「俺と加瀬の部屋」


 単純に、遊佐くんは迷惑そうだけど。


「な、なんで?」


 思わず、大きな声を上げてしまう。


「知らない。加瀬がなだめてる声が聞こえたけど」


 遊佐くんの声が、遠くの方から聞こえてくるような錯覚に陥る。


「どうして? 何がどうなって、そんな状況になってるの?」


「倉田さんが泣きついたんだろ?」


「だからって……」


 言いかけて、ふっと我に返った。そんなこと、遊佐くんにぶつけたって、どうにもならない。


「……ごめん。わたし、部屋に戻るね」


 わたしと加瀬くんは、つき合ってるわけじゃないんだもん。部屋で二人きりになってたって、何も言えるような立場じゃないし。やりきれない気持ちで、何歩か前に進んだところで。


「立原」


 暗い廊下に、遊佐くんの声が響いた。


「いる場所もないし、つき合えよ」


「えっ? どこに?」


「外。どこか、そのへん」


「いい……よ」


 外へ向かって歩き出した遊佐くんに、少し救われたような気持ちになって、ついていく。


「あー、疲れた」


 ベンチに座ると、大きく伸びをする、遊佐くん。一人分くらいのスペースを空けて、わたしも隣りに座る。


「そんな言い方、することないのに。美緒ちゃん、遊佐くんのこと、本当に好きだったんだよ」


「どうだか」


 どうでもいいように、遊佐くんが言う。


「…………」


 加瀬くんと美緒ちゃん、どれくらい、一緒にいるのかな。そして、加瀬くんは、どんな言葉を美緒ちゃんにかけてあげているの? 部屋にいる二人のことを考えると、心臓にチクチク針が刺さったようになる。


「でも」


 と、急に遊佐くんが調子を変えて、口を開いた。


「今日は、面白かった。ひさしぶりに、スタジオに入って」


「あ、うん……!」


 わたしも、楽しかった練習を思い出す。


「ありがとう。下手なドラムに、つき合ってくれて」


 遊佐くん、バンド経験者なのにね。真面目に頭を下げてみたりして。


「その謙虚な姿勢を忘れずに。あとは、あのところどころもたつくのが、どうにかなればな」


「わかってるけど……」


 あれ? もしかして、今。わたしに気を遣ってくれてる?


「あ」


 そういえば。ひとつ、思い出した。


「ね、遊佐くん。遊佐くん、前にパンクバンドやってたんだよね? どんなのやってたの?」


「よく覚えてたな、そんなこと」


 げんなりした顔の遊佐くんの表情に、ますます興味が募る。


「うん。だって、パンクなら、わたしも聴くの好きだし」


「……べつに、普通にピストルズとか」


「ああ! 遊佐くんって、ジョニー・ロットンに似てるもんね。ずっと誰かに似てると思ってたから、すっきりしたよ」


 本気で言ったのに、遊佐くんに嫌そうに横目で見られた。


「パンク、格好いいのに。どうして、やめちゃったの?」


「そもそも、今パンクをやること自体が、パンクじゃないし」


 面倒そうに答える、遊佐くん。


「それは、たしかに」


 そこは、共感しちゃう。あとひとつ、気になること。どうしても聞いてみたい。


「ということはさ、遊佐くん。そのときは、服とか髪型も、ジョニー・ロットンに寄せたりしてたの?」


 今の、さらっとした感じの遊佐くんからは、想像もつかないけど。


「…………」


 あ。黙っちゃった。この反応、きっと。


「もしかして、若気の至りで、ジョンのコスプレとか。写真……! 写真、見たい。絶対、あるでしょ? お願い」


「立原のくせに、生意気なんだよ。おまえは、何なんだよ? この前も今日も、どこで売ってるんだよっていう、マニアックなシャツ着て。女のくせに」


「あー! その発言、完全にアウトだよ」


「何から何まで、面倒くさい女だな」


「そんな言い方、することないでしょ?」


 気づいたら、本気の言い合いになっていた。






 あれ? 肌寒さを感じて、意識だけ目覚める。そして、ゆっくりと目を開くと。


「…………!」


 体が硬直したまま、動けなくなった。誰かの肩が目の前にあって、誰かの顔がわたしの頭に乗ってる。要するに、お互いの肩と頭に寄りかかって、そのまま、眠っちゃってたんだよね?


 もう一度、そっと視線を横にずらす。そう。当然ながら、遊佐くんだよ! どうしよう? 遊佐くん、寝てるよね? 微かに、静かな寝息が聞こえるもん。今、体を動かしたら、起こしちゃうよね? でも、このままでいるわけにも……。


「ん……今、何時?」


「あ、や、あの……!」


 わたしの動揺が伝わっちゃったのか、遊佐くんも目を覚ましたみたい。


「その、わ、わかんない」


 体を固定させた状態で、しどろもどろに答えると、遊佐くんが頭を起こして、腕時計に目をやった。


「6時……さすがに、もう終ってるか……俺、もう一回、部屋で寝てくる」


「う、うん! 行ってらっしゃい。あ、待って」


 わたしの肩に、遊佐くんが着てたチェックのシャツがかけられていたことに気がついた。


「ごめん。これ、ありがとう」


「ん」


 寝起きで、まだぼんやりしてる遊佐くんが、わたしからシャツを受け取って、目をこすりながら、建物の方へ歩いていく。ちょっと、わたし。いったい、何やってるの?






「璃子?」


 部屋のドアをそっと開けてみたら、ベッドの中から、美緒ちゃんの声が聞こえてきた。


「ごめんね。起こしちゃった?」


「ううん。大丈夫」


 美緒ちゃんが、ベッドから起き上がる。


「どこに行ってたの?」


「えっと、外」


 とりあえず、そう答えるしかない。


「ふーん。服、昨日のまんまじゃん」


「あ、うん……」


 そのあとの言葉が続かない。そのまま、美緒ちゃんの言葉を待った。


「昨日は取り乱しちゃって、ごめんね。遊佐くんに、はっきり断られちゃってさ」


「そっか……」


 きっと、すごく落ち込んだよね。


「それで、部屋に戻ろうとしたら、ちょうど加瀬がいて」


 あのときだ。また、胸がチクリとする。


「つい、加瀬に当たり散らしちゃったんだ。そしたら、加瀬がずっといてくれて」


「……うん」


 複雑な思いで、相づちを打つ。


「で、話してるうち、だんだん落ち着いてきたの。だから、もう平気」


 美緒ちゃんが顔を上げて、わたしを正面から見た。


「加瀬くんがいてくれて、よかったね」


 いろいろ、思うところはあるけど、とりあえずは感情を押し殺して、美緒ちゃんに言った。


「ねえ、璃子」


「何……?」


 なんとなく、嫌な予感がしたから、その先は聞きたくなかった。


「わたしに、加瀬、ちょうだい」


 薄暗い部屋に浮遊する、美緒ちゃんの声。わたしの思考回路が止まってしまった。


「あ……」


「璃子?」


「わたし、シャワー浴びてくる!」


 意気地なしのわたしは、まともに返事もしないで、逃げるように浴室へ向かった。どうしよう? 何が何だか、全然わからない。憧れていた美緒ちゃんのまっすぐさが、今は怖くてたまらないよ……と、浴室の扉に手をかけたとき。


「立原」


 後ろから、加瀬くんに呼ばれた。


「あ……どうしたの?」


 加瀬くんのことも直視できない。


「昨日は、ごめん。あのあと、戻れなくて」


「ううん。全然」


 大きく、首を振る。


「倉田に会ってさ。なんか、見てらんなくて」


「そうだよね、うん」


 今度は力強く、うなずく。


「倉田、平気そう?」


「多分。もうすぐ、朝食の時間だよね? また、あとで」


 やっぱり、どうしていいか、わからない。とりあえず、頭を冷やそうと、シャワーの蛇口をひねった。






「ごめんね、昨日は」


 食堂の席に着くなり、笑顔で遊佐くんに謝る、美緒ちゃん。


「いや、こっちこそ」


 遊佐くんも、普通に返してるけど。


「加瀬にも迷惑かけちゃった、よね? 」


「いいんだけどね。なんか、心配しなくてもよかった感じ? ここで顔合わせるの、緊張してたのに」


 加瀬くんの方が、戸惑い気味。


「だから、ごめんってば。めちゃくちゃ、反省してる」


「軽いなあ」


「引きずってるより、いいでしょ?」


「そうだけど」


 美緒ちゃんの悪びれない態度に、加瀬くんは苦笑い。


「加瀬のおかげ。ありがとう」


 美緒ちゃん、本気だ。ずっと近くにいるから、わかる。そこで、美緒ちゃんと加瀬くんから、顔を背けると。


「あ」


 ちょうど、顔を上げた遊佐くんと視線がぶつかった。不意に、遊佐くんの感触を、思い出しちゃった。遊佐くんの温かい肩と、ひんやりした顔の……思わず、顔が熱くなる。


「璃子?」


 まずい。美緒ちゃんに気づかれちゃう。


「どうしたの? 顔、赤いよ」


「や、ううん! 何でもない」


 あわてて、トーストを口に運んだ。と、そのとき。


「遊佐くん、見てたんでしょ? わたし、知ってるよ。今朝も、一緒にいたよね」


「あ……」


 美緒ちゃんに見られてたんだ。でも、笑顔の美緒ちゃんの思惑が、わからない。


「ん? 今朝?」


「違うの、あのね」


 きょとんとしてる加瀬くんに、わたしが弁解するより先に。


「ベンチで、二人でくっついてたじゃない?」


「…………!」


 突きつけられちゃった。加瀬くんの前で。


「何? どういうこと? ごめん。俺、何が何だか」


 混乱して、対応に困ってる加瀬くん。当事者であるはずの遊佐くんは、話に参加する気はないらしく、窓の外を見ながら、紅茶を飲んでるだけ。何か言わなきゃ。でも、この状況で、何を言えばいい?


「いいじゃない。けっこう似合ってるよね? 璃子と遊佐くん。ねえ? 加瀬」


「え? ああ、うん……まあ」


 そんな適当な加瀬くんの返事に、わたしの心が完全に打ちのめされそうになった、そのとき。


「やめてくれよ。そういうの、不愉快」


 嫌悪の感情をあらわにした口調で、そう言った遊佐くん。フユカイ? 遊佐くんの言葉を、心の中で反芻はんすうする。


 不愉快。そりゃあ、わたしなんかと、そんなふうに他人から見られたら、遊佐くんにとって、不愉快極まりないんだろうけど。でも、そんな単語を今使われると、さすがにきついし、つらい。


「えっと……わたし、食べ終ったから、先出てるね」


「あ、立原」


 少しでも気を抜くと涙が出てきそうだったから、呼び止めてくれた加瀬くんのことも無視して、食堂を飛び出していた。そして、気がつくと、早朝まで遊佐くんといた、ベンチの前に。


「もう、やだ……」


 何が悲しくて泣いてるんだか、自分でもわからなくなってきた。でも、遊佐くんの口から出てきた、『不愉快』という言葉がやけに心に引っかかって、胸に突き刺さったままなの。


 どうしよう? しゃがみ込んで、今日これからのことを考えてみたんだけど、頭が全然働かない。


「ほら、荷物」


 気がつくと、背後から、遊佐くんの声。


「ごめん。そこに、置いといてくれる?」


 しゃがんだままの姿勢で、答える。こんな泣き顔、見せられない。


「あいつらなら、もう帰ったよ」


「えっ?」


 遊佐くんの言葉に驚いて、顔を上げた。


「顔合わせずらいから、先に帰ってるって」


「そっか……」


 結局、迷惑をかけたのは、後先考えないで逃げてしまった、わたし。きっと、加瀬くんにも、すごくあきれられちゃった。


「……わたしのことなんて放っておいて、遊佐くんも帰ればよかったのに」


 遊佐くんだって、そうしたかったはずでしょ?


「だったら、自分の荷物くらい持って出てけよ」


 追い打ちをかけるみたいに、どうでもいいように突き放してくる、遊佐くん。そして。


「つき合いきれない。荷物、ここに置くから」


 うんざりしたようすで、自分の荷物だけ肩にかけ、歩き出した遊佐くんに。


「だって……!」


 思わず、叫んでいた。


「遊佐くんが言ったんでしょ?」


「何だよ?」


 遊佐くんが足を止める。


「わたしと一緒にされるの、不愉快だって」


「あ?」


「そりゃあ、わたしだって、遊佐くんのことは好きじゃないよ」


 そもそも、ちゃんと自覚してるし。本来、遊佐くんは別世界の人だって。


「だからって、あんなふうに言うことないじゃん。わたしだって、傷つくよ」


 昨日の夜、遊佐くんが一緒にいてくれて、うれしかったのに。


「だったら、最初から、放っておかれる方がいい。だから、わたし……」


 最後の方は、自分でも何が言いたいのかよくわからなくなって、言葉を詰まらせると、遊佐くんは大きく息をついていた。


「とにかく、いいの。もう」


 これで、遊佐くんにも完全に嫌われちゃった。バンドも終わりだ。加瀬くんのことは関係なく、あんなに楽しかったのに……と、そこで。


「おまえ、思ったとおり、ずれてる。相当」


 やっぱり、面倒そうに、遊佐くんが口を開いた。


「どういう意味……?」


「べつに、相手がおまえだから不愉快とか、そうじゃなくて」


「へっ?」


 違うの?


「ああいう場で、ああいうことを言う倉田さんの言動が、不愉快だってことだろ?」


「あ……そ、そうだったの?


「わざわざ、説明なんかさせるなよ」


 あきれたように、遊佐くんが言う。


「そうだったんだ……ありがとう」


 さっきまでのドロドロした嫌な感情が、一瞬で楽になっちゃった。


「あと、倉田さんが謝ってたよ。加瀬も心配してたし」


「うん」


 そうだ。だって、大好きな美緒ちゃんだもん。加瀬くんが優しいのも、知ってる。


「これで、気がすんだだろ? いいかげん、帰りたい」


「あ、待って……!」


 わたしも自分の荷物を持って、置いていかれないように、歩き出した遊佐くんのあとを追う。


「調子に乗って、なついたりするなよ。迷惑だから」


「そ……そんな心配しなくて、大丈夫だよ」


 遊佐くんって、不思議な人だね。憎まれ口ばかりなのに、気がつくと助けてもらってる。そして、疲れきった帰りの電車の中で、またもや、わたしは遊佐くんの肩の上で眠りから覚めたの。



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