ヒトハラン
「おはよう。遅くなって、ごめんなさい……!」
合宿、当日。集合場所の上野駅に、いちばん最後に到着した、わたし。
「よかったよ、間に合って。次の特急だから」
「うん」
加瀬くん、ボーダーのシャツが、なんて似合うの? わたしの寝グセが、ちゃんと直せてるかな。
「璃子、早く」
気合いが入って、可愛さに磨きのかかった美緒ちゃんに、急かされる。
「あ、ごめん!」
加瀬くんに見とれている場合じゃなかった。遊佐くんからの冷たい視線を感じながら、わたしは走る。気になることはあるけれど、心が弾む。
電車に乗り込むと、向かい合わせの席に座った。わたしの隣が美緒ちゃんで、そして、真向かいには加瀬くんが……と、それにしても。
「遊佐くん、食べる?」
「うん。ありがとう」
なんて、お菓子のやりとりをする遊佐くんと美緒ちゃんは、どう見てもお似合いなのになあ。結局、遊佐くんに偶然会ったときのことは美緒ちゃんに伝えられるわけもなくて、ずっと胸のあたりがモヤモヤしてる。
「立原、聞いてる? 着いたら、まずスタジオ入るから」
加瀬くんの声で、わたしは我に返った。
「ん? あ、はい」
そうだった。今回は、あくまでバンドの練習がメインなんだから。
「立原って、ぼんやりしてること多いよね」
「そ、そう?」
自分では、とくに自覚がないんだけど、加瀬くんに、そんなふうに思われちゃってるなんて。
「独自の精神世界をでも旅してるんだろ?」
「ちょっと、遊佐くん? どういうこと? それ」
加瀬くんの前で、よけいなことは言わないでほしいのに。
「でも、たしかに、璃子って自分の世界があるよね」
「や、全然だよ」
美緒ちゃん、助けてくれると思ったら、遊佐くんの発言を肯定するようなことを。
「ううん。おもしろいもん。璃子と話してると」
「ああ、センスがいいからね」
「…………!」
遊佐くんに、また嫌みを言われた。
「ところで、決めた曲、全部できそう? 立原」
「あ、うん! 一応、全曲覚えてきたよ」
遊佐くんなんて、もういいの。無視して、加瀬くんの方に向き直ると。
「すごいじゃん。めちゃくちゃ、期待してるから」
「うん……」
今、加瀬くんに、軽く髪を触れられた。それだけのことで、わたしの鼓動は速くなるの。
「あ、あのさ」
まともに顔なんか見れない。視線を外して、元気に話を続ける。
「加瀬くんは、歌詞も覚えなきゃいけないから、大変そうだよね」
「全然。俺、歌詞は、だいたい適当だから。雰囲気もん。歌詞カードも見てないよ」
「そうなの?」
「うん。どうせ、ラモーンズだし」
いたずらっぽく、加瀬くんが笑った。わたしのいちばん好きな表情かもしれない。うん。とりあえずは、この二日間、楽しんで過ごせますように。
駅からは、タクシーで山道を走って、ペンションへ向かう。
「わあ」
周りは林だし、向こうに小川まで見える。
「すごい。いい場所だね。わたし、福島って初めて来たよ」
「だよね。スタジオの使い勝手もいいし、人気あるみたいだよ」
「そうなんだ?」
わかるなあ。なんだか、気分が上がるもん。
「スタジオは別棟で、あっち」
加瀬くんが、目の前の建物と反対の方向を指差す。
「スタジオ……」
いよいよだ。ワクワクしてきた。
「とりあえず、荷物」
「あ、そうだね。置きに行かないと。ギターもベースも、重そうだもんね」
長旅で少し疲れてるようすの遊佐くんにも、気を遣ったつもりだったのに。
「これから、二日間も立原と行動するのか……」
げんなりした顔で、そんなことをつぶやいた、遊佐くん。
「そ……それは、わたしだって!」
いちいち、わたしにだけ、意地悪なんだから。心配はあるけど、とりあえずは、この二日間、楽しく過ごせますように。
「なんか、遊佐くんと璃子、急に打ち解けてない?」
加瀬くんと遊佐くんと別れて、部屋で荷物を整理している途中。唐突に、そんなことを美緒ちゃんに言われて、面食らった。
「ええっ?」
わたしと遊佐くんが?
「あれは、バカにされてるだけだよ」
わたしの顔を見れば、変人扱いして。
「仲良さそうだけど。普通に」
美緒ちゃんが納得のいかない表情を見せる。
「そんなわけないって……! 見れば、わかるよ」
「そう?」
しばらく考えてから、再び美緒ちゃんが口を開く。
「わたし、めずらしく煮詰まってるんだよね。好きな人に相手にしてもらえないの、初めてなの」
この前、遊佐くんが言ってたことを思い出す。どうなんだろう? 美緒ちゃんに対する遊佐くんの認識も、そのうち変わると思うんだけど……。
「ごめんね、璃子。もう行かなきゃね。わたしも、練習見るの楽しみなんだ」
明るく振り切るように、美緒ちゃんは部屋のドアを開けた。そして、いつもどおりの美緒ちゃんと離れに向かい、スタジオの中に足を踏み入れると、加瀬くんと遊佐くんは、すでに到着済み。
「うわあ」
やっぱり、部室とは違う緊張感。独特の匂いと空気。
「待ってて。用意するから」
加瀬くんと遊佐くんの二人が、ギターとベースをアンプにつなぎ始めている。わたしもスティックを手に持って、ドラムの前に座り、スネアやタムの位置の調整をする。いざ、こんな光景を目の前にすると、加瀬くんのファンとして、大興奮。
「遊佐、いい?」
マイクのセッティングまで終えた加瀬くんが、遊佐くんに声をかける。
「ん。いいよ」
ピックを口にくわえた遊佐くんも、ベースを構えたところで。
「んーと……じゃあ、最初は『電撃バップ』かな」
と、加瀬くんに視線を送られたけど。あれ? わたしは、どうすればいいの?
「立原、カウント」
わたしが途方にくれているのに気づいて、加瀬くんが笑う。
「カウントって、最初に四回叩く、あれ?」
「そうだよ。早く」
あきれ顔の遊佐くん。初めてなんだから、しょうがないじゃん。でも、気を取り直して、スティックを上に掲げる。では。
1、2、3、4……!
カウント後のドラムと同時に、ギターとベースがぴたっと重なった。何? これ。自然と鳥肌が立つ。軽快な曲なのに、構成が単純な分、音の固まりがすごく重く響くの。やっぱり、力の抜けた加瀬くんの声も、たまらなくいい。
「うん。いいね」
歌と演奏を同時に終えて、満足気に笑ってくれた、加瀬くん。
「まあ……普通に下手だけど、それで本物感が出てたかも」
遊佐くんのコメントは微妙だけど、一応は合格点?
「すごい、璃子! 加瀬も、遊佐くんも」
座って見ていた美緒ちゃんからも、感嘆の声。なんだか、体がフワフワしてる。
「立原、素質あるんじゃない?」
夕飯のハンバーグを食べながら、感心したように言ってくれる、加瀬くん。
「思ったよりはね」
遊佐くんからは、予想どおりの反応だけど。
「ありがとう。わたし、来てよかった」
音を合わせるのが、こんなに楽しいなんて。
「休み前、部室で練習したもんな? 立原」
「うん! 加瀬くんのおかげだよ」
うれしくて、浮かれちゃう。
「真面目に、びっくりしたよ。璃子」
「ありがと、美緒ちゃん」
美緒ちゃんにも、上機嫌で返事したところで。
「遊佐くん」
少し改まったようすで、美緒ちゃんが遊佐くんの名前を呼んだ。
「何?」
「ちょっと、外に出ない?」
もう、美緒ちゃんは席を立っている。美緒ちゃん、ついに、 遊佐くんに自分の気持ちを伝えに行くんだ。
「ああ、うん」
一瞬だけ、考えて。遊佐くんも立ち上がると、二人そろって、食堂をあとにしてしまった。どうなるんだろう?
「何? 今の。もしかして、倉田って、遊佐ねらってたの?」
「えっと……」
加瀬くんののんきな口調に、緊張がほぐれて、ほっとする。でも。
「や、どうなんだろうね」
一応、はぐらかしておかないと。
「うーん……なんか、取り残されちゃったような」
「そうだね」
考えてみたら、こっちも微妙な雰囲気になっちゃった気が。わたし、部屋に戻った方がいいのかな……と、そのとき。
「もう一回、スタジオでも行く? 二人で、適当に何か合わせに。この時間なら、空いてると思うよ」
「えっ? 今?」
加瀬くんに自然に誘ってもらえたことが、うれしすぎて。
「行く!」
わたしは、スティックを取りに、部屋まで全力で走ってしまった。
「ね、加瀬くん。星、綺麗だね」
「本当だ。すごい。落ちてきそう」
普段なら、こんな道、加瀬くんと歩けないもんね。すごーく、幸せ。
「今度、三人で曲も作ってみる?」
「そんなこと、できちゃうの?」
加瀬くんと、こんな時間を過ごせるなんて。スタジオまでの道が永遠に続いてほしいくらいだけど。
「…………」
「立原?」
「ううん。何でもない」
美緒ちゃんたち、どうしたかな? やっぱり、気になるよね。と、突然。
「わたしじゃ、どうしてもダメなの?」
聞こえてきたのは、美緒ちゃんの声。
「今の、あっちから?」
加瀬くんが、スタジオの方向を指差す。
「そ……そうみたいだね。うん」
そのあとのやり取りは、はっきり聞き取れない。
「さすがに、前を通るのは、気まずい……よなあ。とりあえず、中に戻る?」
「あ、うん。そう、だね」
さっきの感じ。美緒ちゃんの告白は、うまくいかなかった雰囲気だったよね。美緒ちゃんには、どう声をかけたらいいんだろう……?
「立原が、そんな顔しなくても」
気もそぞろに歩いてきた道を引き返し、ロビーのソファに腰かけると、加瀬くんが笑った。
「わたし? そんな顔って、どんな顔?」
「この世の終わりみたいな顔してる」
「そ、そうかな?」
だって、美緒ちゃんの気持ちを考えると、わたしの胸も痛んで。
「遊佐、どうするのかな。さっきは、微妙な空気だったけど。でも、彼女も好きな子もいないみたいだし、倉田なら押し切れそうな気もするよね」
「…………」
遊佐くんから、あんなことを聞いていなければ、わたしもそう思えるんだけど。
「いろいろ、複雑な感じ? 立原は、遊佐とも倉田とも仲いいもんね」
「えっ? わたし、遊佐くんとなんて、全然だよ。ただ……」
「まあ、いっか」
加瀬くんが、切り替えるように立ち上がった。
「ちょっと、のど渇かない? 自販機で何か買ってくるよ。立原、何がいい?」
「あ……ありがとう。じゃあ、アイスティー、頼んでもいい?」
「ん。待ってて。すぐ戻ってくるから」
そう笑顔で言って、早足で去っていく、優しい加瀬くん。やっぱり、好きだなあと思いながら、その後ろ姿を見送った。でも、加瀬くんは、いくら待っても、この場所には戻ってこなかったの。
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