モウヒトツノ、コイ



 学期末試験が、やっと終了した。これで、本格的なバンドの練習に入れる。そう、もちろん、加瀬くんといっしょにね。でも、実は……あれから、加瀬くんとは、ドラムを教わるために、二人だけで何度も部室で会ってるの。


 たいてい、途中で他の先輩が入ってきて、加瀬くんの方は、先輩たちのセッションに強制参加させられたりしてるんだけど。そこで、微妙な曲で悪ノリしながらベースを弾く加瀬くんも、格好よかったりして。


 それに、ドラムって、やってみたら、楽しくてたまらない。最初の不純な動機を忘れちゃうくらい。何より、放課後の時間を加瀬くんと共有できるなんて。わたし、こんなに幸せでいいの……?


「立原?」


「あ、加瀬くん」


 気づいたら、目の前に当の加瀬くんた。


「なんか、すごくニヤニヤしてた」


「や、そんなことないよ?」


 あわてて、ぶんぶんと首を振る、わたし。


「絶対、変な妄想とか、してないからね」


 ただ、幸せを噛みしめてただけで。


「そう? 」


 一瞬、不思議そうな表情を見せてから、加瀬くんは続けた。


「あのさ。今日ひまだったら、曲決めに遊佐の家行かないかと思って」


「えっ?」


 またもや、加瀬くんからの想定外なお誘いに、固まってしまう。放課後、加瀬くんと遊佐くんの家? そんなの、行きたすぎる。


「でも、わたしも行っていいのかな……」


 この前の遊佐くんのようすだと、わたしは絶対に好かれてないはず。全てにおいて、こんなパッとしない人間だから、無理もないけど。


「え? もちろん。だから、誘ってるんじゃん。遊佐にも話してあるよ」


 そこで、当たり前のように答えてくれル、加瀬くん。


「本当? じゃあ、行かせてもらっちゃおう、かな」


 返事をしながら、すでにドキドキしてる。特に何もない、さえない高校生活を送ってきたのに。ここにきて、こんな夢みたいな展開が……と、そのとき。


「あ、いいなあ。わたしも行きたい」


 近くにいた美緒ちゃんも、わたしに飛びついてきた。


「ダメかな? 部外者が勝手に押しかけちゃ」


「全然、大丈夫でしょ」


 即答する、加瀬くん。それは、当然。美緒ちゃんなら、誰も文句なんてあるはずがないし。


「頑張んなよ、璃子。機会、作ってあげるから」


「ん? 何?」


 そっと、わたしに耳打ちした美緒ちゃんに、加瀬くんが無邪気な反応。


「ううん、何でも……! ただ、楽しみだなあって」


 ごまかすように、大きく首を振った。なんだか、わたしの身の周りが、すごい速さで動いている気がする。






 門の前で待っててくれていた遊佐くんは、すぐに見つかった。


「ごめんね。お待たせ」


「ああ、うん」


 わたしをちらりと見て、おっくうそうに返事をする、遊佐くん。遊佐くんのわたしに対する態度って、いつもこんな感じ。よく、一緒にバンドをやってもいいと言ってくれたなあと、不思議。


「そうだ。遊佐」


 遊佐くんが 歩き出そうとしたところで、加瀬くんがわたしの後ろにいた美緒ちゃんを紹介する。


「うちのクラスの倉田美緒。いっしょに来たいって」


「いい? 邪魔にならないようにしてるから


 控えめに、美緒ちゃんが顔を出した。もっとも、美緒ちゃんのことなんて、クラスが違っても、とっくに知ってるだろうけど。でも、遊佐くんって、女の子への対応が冷たろうだから、ちょっと不安も……なんて、考えていたら。


「もちろん。でも、退屈させそうで、申し訳ないけど」


 さらりとした、遊佐くんの感じのいい返答に、思わず目を見開いた。これまでの、わたしへのどうでもいいような応対との違いは、何?


「ありがとう。わたしのことは、気にしないでいいからね? 黙って、話聞いてるから」


 美緒ちゃんの方も、いい意味で驚いたようで、明るい笑顔。べつに、遊佐くんがどんな扱いをわたしにしようが、かまわないんだけどさ。何だかなあ。


「で、遊佐。どんなのがやりたい?」


 歩きながら、早速本題に入っていく、加瀬くん。


「とりあえずは、ドラムが簡単な曲だろ? 選べるような段階か?」


 その遊佐くんの言葉も、もっともなんだけど。もうちょっと、言い方とか……!


「それが思った以上に、ドラムのセンスいいんだよ、立原。な?」


「や、だといいんだけど、うん」


 それに比べて、この加瀬くんの優しさ。遊佐くんなんて、知らない。わたしは加瀬くんのためだけに、ドラムの練習を頑張ろう。






「ええっ? 一人暮らし?」


「何? 何か立原さんに、まずいことでもある?」


「ない、けど」


 目立ちすぎる三人に囲まれながら、遊佐くんの家へ向かう途中。会話の中で知った、きょうがくの事実。思わず、のけぞりそうになった。


「璃子、知らなかったの? けっこう、みんな知ってるよ」


 そんなふうに、美緒ちゃんは平然としてるんだけど、遊佐くんみたいな人が一人暮らしだなんて、異次元すぎて、めまいがしそう。さらに。


「昼は、どうしよう? コンビニでも寄ってく?」


 そんな、加瀬くんの提案に。


「よかったら、俺が簡単なパスタでも作ろうか?」


「パスタ……!」


 遊佐くんの手料理つきとは、ケータイ小説か少女漫画の世界。


「……なんか、バカにされてるみたいだな」


「や、とんでもないよ」


 どうして、そうなるのかがわからない。


「まあまあ、遊佐くん。璃子は、素直なだけ。そうだ。わたしも何か作ろうかな。ね、遊佐くん。このへんに、スーパーとかない?」


 美緒ちゃんがいてくれて、よかった。わたしと遊佐くんは、どうも相性が悪いみたいだから。


「向こうの角に、食材が揃う店があるけど」


「あ、行きたい。遊佐くん、ついてきてくれる?」


「いいよ」


 ほらね。美緒ちゃんなら、遊佐くんとの会話もスムーズ。加瀬くんに、わたしの発言がズレてるせいだとか思われてないといいんだけど……と、そのとき。


「加瀬。立原さんと、先行ってて。倉田さんと材料買ってから行くから」


 遊佐くんが、加瀬くんに鍵を投げたんだ。


「あ、そう?」


 その鍵を、加瀬くんが上手にキャッチする。


「音楽とか、適当に聴いてていいから」


「ん。わかった。あとで」


 そんなやりとりに、横で戸惑っているわたしをよそに、こっちに手を振る美緒ちゃんと、遊佐くんはスーパーの方向へ歩き出しちゃった。もしかして、これは……。


「じゃあ、行こう。こっちだよ」


「う、うん」


 受け取った鍵をポケットに入れた加瀬くんと、線路沿いの道を歩く。嘘みたい。美緒ちゃんのおかげで、加瀬くんと二人で歩いてる。とりあえず、当たり障りのない会話をしなきゃ。


「そうだ。遊佐くんのご両親って、お仕事か何かで?」


「そう。何年か前から、ロンドンに住んでるらしいよ」


「ロンドン? うらやましいなあ。えっと、じゃあ、何だっけ? その、あの……」


 間がもたなくなるのがこわくなって、必死で次の話題を探していたら。


「立原、どうしたの? なんか、いつもとようすが違う。気分でも悪い?」


 心配そうに、加瀬くんに顔をのぞき込まれてしまった。それは、加瀬くんのせいで、緊張してるんだってば。


「大丈夫! 違わないから、全然。楽しみなだけ」


「なら、いいんだけど。あ。ドラム、ちゃんと練習してた?」


 やっと、加瀬くんが安心した表情を見せてくれる。話題もそれて、よかった。


「うん。電話帳叩いて、練習してるよ」


「いいね。やる気だ」


 わたし、加瀬くんの笑った顔、大好き。


「……だって、加瀬くんに誘ってもらえて、うれしかったんだもん。夢みたいに」


 本当に夢なんじゃないかって、何度も思ったよ。なんて、ついつい、素直に語りすぎてしまったんだけど。


「それはよかった」


 うれしそうに、加瀬くんが笑ってくれたから。


「うん……」


 幸せすぎて、どうしよう? そんなふうに、一人でドキドキしているうちに、いつのまにか、目的地の遊佐くんのマンションの前に到着。


「ここだよ。遊佐の部屋」


 加瀬くんが、慣れた手つきで鍵を開ける。


「いい暮らししてるよなあ」


「うわあ」


 全体的に白っぽい、広いワンルーム。無駄のない、シンプルなインテリアなんだけど、ところどころに置かれた北欧風の雑貨から、遊佐くんならではのセンスが感じられるというか。こういうの、憧れちゃう。


「遊佐くんって、もう何から何まで特別なんだね」


 もはや、芸能人みたい……あ。今、何も考えないで、加瀬くんに誤解されるようなことを口走っちゃったような。


「や、そのね、家族設定といい、ケータイ小説に出てきそうというか」


「うん、たしかに。俺が女なら、惚れるかも」


 わたしの心配なんか、全く気にするようすのない、加瀬くん。


「ね? だよね?」


 まあ、そうだよね。意識してるのは、わたしだけだもん。


「それにしても、すごい数のCDだね」


 気分を替えて、部屋を見回してみる。


「CDの数なら、立原も負けてないんじゃない? 」


 加瀬くんが横目でわたしを見て、笑う。


「えっ? ううん! わたし、ここまで、コレクターじゃないし」


 わたし、加瀬くんに、マイナーなバンドの話とかをしすぎたかなあ。少しでも、加瀬くんと共通の何かを探したくて……と、そこで、なんとなく、加瀬くんと視線がぶつかった。


 どうしよう? 言っちゃう? ずっと、好きだったって。言うなら、今かも。そんな気がしてきて、両手を握りしめた。


「あのね、加瀬く……」


 ちょうど、切り出そうとした瞬間だった。突然、部屋のドアが開いたのは。


「あっ、あの……お邪魔してます」


 あわてて、平静を装うと。


「悪いね。こっちが邪魔だったみたいで」


「…………!」


 入ってくるなり、遊佐くんのそんな無神経な言葉。そりゃあ、バレバレなのかもしれないけど、少しは考えてくれてもいいのに。


「お腹空いたでしょ? 今、作るね」


 そう言って、さっとキッチンに向かった美緒ちゃんがいなかったら、どうなっていたことやら……。






 それにしても。


「ねえ、遊佐くん。このお皿、借りてもいい?」


「うん。どれでも」


 キッチンに立つ美緒ちゃんと遊佐くんが、似合いすぎてる。まさに、絵に描いたようなカップルっていう感じ。この先、もしかして、くっついちゃったりしたりして。自然と、そんな想像をしてしまうけど。


「立原は、料理とかしないの?」


 不意に、加瀬くんに投げかけられた質問に、ドキッとする。


「それが……」


 そんな、のんきな空想をしてる場合じゃなかった。わたしの立場が危うい。


「あのね、後片付けは、わたしがしようと思ってるんだけど。一応」


 わたしが包丁なんか持ったら、キッチンが血の海になるかもしれないもん。なんて、加瀬くんには言えるわけないけど。でも。


「俺もできないよ。料理なんて」


 とっくに見透かして、おかしそうに笑ってくれた、加瀬くん。やっぱり、大好き。






「はーい。お待たせ」


 二人が運んできてくれた、遊佐くんのキャベツとアンチョビのパスタも、美緒ちゃんのアボカドとサーモンのサラダも絶品だった。そして、結局、一人でやるつもりだった後片付けも、美緒ちゃんに手伝ってもらってたりして。


「ごめんね、美緒ちゃん」


「いいって。それより……」


 部屋で音楽を聴いている加瀬くんと遊佐くんを横目に、洗剤を洗い流しながら、美緒ちゃんがわたしにそっと言った。


「遊佐くんって、いいね。やっぱり」


「そう?」


 たしかに、尋常じゃなく、格好いいのはわかる。でも、ちょっと意地悪というか、人によって態度を変える感じなのが、どうかという……。


「璃子は、加瀬ひとすじだからね」


 美緒ちゃんがつまらなそうに、肩をすくめる。


「そ、そういうわけじゃないよ」


 そりゃあ、わたしには実際に、加瀬くんの方が全然魅力的に見えるけど。


「わたし、頑張ってみようかな」


 小さな声で、美緒ちゃんが囁く。


「頑張る?」


 それって……。


「遊佐くんのこと?」


「もちろん」


 ニッコリと笑顔を見せる、美緒ちゃん。


「そっか……」


 さっき、考えてたことが現実になっちゃうかもしれないなんて。美緒ちゃんと遊佐くんが? またもや、ドキドキが止まらない。



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