kiss, kiss, kiss 【高校生編】

伊東ミヤコ

I

スキナキモチ



 あ、また……。


 はっとして、急いで視線をそらす。最近、なんだか、いやに視線が合う気がするけど、気のせいだよね?


 うん、やっぱり、気のせい。だって、その相手って、あの遊佐ゆさくんなんだもん。完全に、わたしの自意識過剰。そうだ、そうに決まってる。一人で納得してしまう、わたし。


 遊佐くんは、遊佐 るいくんといって、この学校で彼を知らない人はいないだろうというくらい、有名な男の子。遊佐くんがそこにいるっていうだけで、目が勝手に吸いよせられちゃうような。


 今、廊下の壁に寄りかかって、一人で iPod を聴いている遊佐くん。その姿は、なんだか、現実の世界からは遠く離れたところに存在しているみたい。そんな錯覚すら、覚えてしまう。


 抜けるような白い肌と、その名前みたいに日本人離れして、くっきりとした、でも、さっぱりした印象の端正な顔立ち。透き通るような茶色っぽい髪は、いつも無造作にクシャクシャしていて、高校生らしからぬ独特な色気のようなものを放ってる。


 背は、180には届くか届かないかといったところ? そのバランスのいい体型は、後ろ姿まで目を引く。とにかく、このわたしには、一生縁のない人だよね……と、ぼんやり考えていたら。


「遊佐、見てるの?」


「…………!」


 不意に、横からかけられた声に、ドキッとする。


「ち、違う、違う」


 つい見入ってしまっていたのは本当だったんだけど、誤解されたくなくて、力いっぱい否定した。だって、聞かれたの、加瀬かせくんだったんだもん。


 そう。わたし、立原たちはら璃子りこは、ずっと加瀬くんが好きなの。きっかけは、半年前。一年生のときの、学園祭の軽音部のステージ。退屈なバンドがいくつも続いて、もう出ちゃおうかと思った、そのときだった。


 まさか、わたしの大好きな PASTELS の曲、『Million Tears』のベースラインが聞こえてくるなんて……! びっくりして、もう一度ステージを見上げたら、ベースを弾きながら歌っていた加瀬くんが、わたしの視界に飛び込んできたんだ。


 その、格好つけない脱力した歌いっぷりが、すごく加瀬くんにはまっていて、わたしは生まれて初めて、ヒトメボレという体験をしてしまったの。それから、わたしにとって、加瀬くんは世界でいちばん特別な男の子。


 だから、二年生で同じクラスになれたときは、飛び上がっちゃうくらい、うれしくて。それから少しずつ、友達っぽく話ができるようになってきたんだっけ。できることなら、夏休みに入る前に、もう一歩踏み出してみたいところなんだけど……。


「あ、遊佐といえば」


 わたしの前の席にストンと腰かけて、加瀬くんが話し出す。


「わたし、見てないもん。遊佐くんなんて」


 加瀬くんに、変な誤解されたくない。ついつい、言い訳にも力が入ってしまう。


「わかったって」


 そんなわたしを笑ってなだめる、加瀬くん。


「いや、前に立原が編集してくれたCD。あれ、遊佐がすごい気に入っちゃってさ。今、あいつが持ってるんだよね」


「そ、そうなの?」


 話の意外な展開に、びっくりする。加瀬くんのために、一生懸命練りに練った渾身のセレクト盤が、遊佐くんの元に?


「あれ? でもさ、加瀬くん」


 あの遊佐くんに聴いてもらえるんなら、いいような気もしちゃうけど。


「加瀬くんって、遊佐くんと友達だったっけ?」


 一年のときも、二人のクラスは違ったはず。


「あいつ、ちょっと前に軽音入ったから」


「そうだったんだ?」


 なんて、こんなふうに近い距離で普通に話しながら、おおっぴらに顔も見れちゃう。同じクラスだもんね。なんだか、自然に顔が緩んできちゃう。いつだって、加瀬くんは優しい。


 とはいえ、どこか飄々ひょうひょうとしていて、無遠慮には立ち入れないような、クールさを感じさせるところが魅力な気がする。だけど、何といっても、切れ長の涼しげな目元がいちばん好きかもしれない。背も高いよね。遊佐くんと同じくらいかな?


 そんな加瀬くんと、ちょっと他にいないような遊佐くん。その二人が軽音部で一緒にバンドをやったりしたら、夢のような……。


「でさ、立原」


「えっ? うん」


 勝手に、頭の中でいろいろな妄想をめぐらせていたら。


「今日の放課後、軽音部の部室まで来てほしいんだけど、いい?」


 目の前の加瀬くんが、わたしの顔をじっと見ながら、そんなことを聞いてくる。それって。


「う、うん。絶対、行くから」


 いったい、何の話なの? 這ってでも行くに、決まってる! 喉がつまりそうになるのを必死に抑えて、わたしが何とか返事をすると。


「よかった」


 加瀬くんは、少し安心したように笑った。


「じゃあ、あとで」


「あ、うん……!」


 自分の席の方に戻っていく加瀬くんを、いつまでも見つめていまう。と、そのとき。


「璃子、何? 今に」


 わたし背中に抱きついてきたのは、美緒みおちゃん。


「えっ? あ、や」


 思わず、動揺して、声が上ずってしまう。


「やったじゃん、璃子。ついに、加瀬の方から、璃子に自分の想いを打ち明ける気になったかー」


「ま、まさか!」


 そうだよ。わたしは、美緒ちゃんとは違うもん。


「そう? 加瀬も好きそうなのに。璃子のこと」


「そんなこと、あるわけないよ」


 なんとか、冷静さを装いながら、目の前の美緒ちゃんをながめる。美緒ちゃんは、同性のわたしから見ても、めちゃくちゃ可愛くて綺麗。


 うらやましいくらい小さな顔に、すらっとした細くて長い手足。これでもかというほど大きいアーモンド型の瞳には、人形みたいな濃いまつ。友達という立場ながら、ため息が出ちゃう。


 そんな恵まれた容姿を持っているのにもかかわらず、勉強も運動も全て完璧でしょ? いつもまっすぐで、行動力まであるし。最初のうちは、神様は不公平だと思っていたけど、ここまでくると、もう手放しで憧れるしかない。


 わたしが男の子だったら、絶対好きになっちゃうよ。それに比べて、わたしときたら、中肉中背の特徴のない顔の上、さらに致命的なことには、体の凹凸がほぼないに等しく……。


「璃子、心の準備しときなよ?」


「本当に、ありえないってば……!」


 ひやかすような笑みを浮かべる美緒ちゃんに、一生懸命、否定したんだけど。でも、突然、何の話なんだろう? 自然と心臓の鼓動が早くなる。





 授業とホームルームが終わった時点で、わたしの心臓は、すでに破裂寸前。教科書とノートをバッグに詰め込むと、当の加瀬くんにも目をくれないで、一目散に教室から出ていってしまった。


 全速力で目的地まで走って、気がついたら、もう、部室棟の前。


「軽音、軽音……あった」


 指定された軽音部の部室は、すぐに見つかったけど、ドアには鍵がかかってる。この前で待ってればいいの? 一度深呼吸して、ドアに寄りかかる。


 …………。


 美緒ちゃんには、ああいうふうに言ったけど。でも、この状況を考えると、ひょっとして、ひょっとしちゃう可能性も? いやいや。


 そんなことを妄想してたら、今度は顔が熱くなってきた。人目を気にしながら、手のひらで顔をあおいだ。加瀬くんを待ってる、一分一秒がいつもの何倍にも感じられる。


 あ。そういえば、加瀬くん、今週は教室の掃除当番だった気がする。それなら、まだまだ、全然終わらないかも。とりあえず、心を落ち着けるために、バッグの中からiPodを取り出した。えーと、こんなときに、何かぴったりな曲は……。


「うん」


 今日は湿気もなくて、気持ちのいい天気。ここは晴れた青空を連想させる、爽やかな、それでいて切ないメロディーが魅力のソフトロック、LOVE GENERATION の『She Touched Me』かな。


 再生ボタンを押すと、息をついて、ドアに寄りかかる。この場所、ちょうどいい日差しが温かくて、心地いい。こんなときなのに、眠くなってきたような。


 わたし、昨日何時頃に寝たっけ? たしか、12時過ぎに、ずっと見たかった BLUR のライブ映像を you tube で見つけちゃって。それから、今日までの宿題を思い出して、そのあと……あれ?


 なんだか、だんだん意識が遠く ——————。






「寝てんの?」


「ん……?」


 初めて耳にする、妙に心に引っかかる声で、はっと目を覚ました。


「ご、ごめんなさい」


 信じられない。いつのまにか、ドアの前に座り込んで、寝てたんだ。とてつもなく変な人だよ、わたし。急いで立ち上がって、顔を上げると。


「ひゃ……!」


 反射的に、奇声を発してしまった。


「ゆ、ゆ、遊佐くん!」


 意外すぎる人物に、あたふたとしてしまう。


「悪いんだけど、部室入りたいから」


「や、その……」


 よく見ると、遊佐くんの手に、部室の鍵らしきものが。それにしても、信じられない。わたし、あの遊佐くんと、しゃべってるよ……!


「ごめんなさい。でも、わたしは決して、遊佐くんを待ちぶせしてたわけじゃないの」


 そこは、誤解されると困ってしまう。


「ここで、ある人と待ち合わせをしてるんだけど、極度の緊張で眠気に襲われたみたいで……あ。そのある人っていうのは、わたしの好きな人というわけではないんだけど」


 気が動転して、よけいなことまで、べらべらと口から勝手に出てきた。なおさら、怪しさも増したような気がする。


「へえ。“ 好きな人” を待ってたんだ? 」


「や、だから、好きな人ではないって」


 うわあ。生の遊佐くんをこんなに近くで見たの、初めて。声まで、一般人離れしてるような。


「ふうん」


「本当だよ? 少なくとも、わたしが遊佐くんを好きなわけじゃないからね。そんなわけで、今、どくから」


 とりあえず、迷惑にならないようにね。と、一度、ドアの前から離れようとしたとき。


「立原さん、でしょ?」


 遊佐くんが、わたしの名前を口にして、顔をのぞき込んできたの。


「そう、ですけど」


 顔、近い! いきなり、この距離感は、心臓に悪すぎる。


「わたしのこと、知ってるの?」


「加瀬に聞いてるから」


「あ……そっか」


 そうだった。遊佐くんと加瀬くんは、友達なんだもんね。いつかのCDも、遊佐くんが持ってるらしいし。ん? ちょっと、待って。加瀬くんといえば。


「あー!」


 わたしの大きな声に、遊佐くんがギョッとした顔をする。


「何なんだよ? 今度は」


「加瀬くん 。加瀬くん、ここに来なかった?」


 まさか、寝てるわたしを見て、あきれて帰っちゃったんじゃ……! でも。


「まだ来てないよ。俺も、ここで加瀬と待ち合わせてるんだけど」


 あきれた顔をしてるのは、遊佐くんの方。


「遊佐くんもなの?」


 ということは、加瀬くんに呼び出されたのは、わたしだけじゃなかったんだ。


「残念ながら、立原さんの期待外れだったみたいだね」


「…………!」


 なんと、遊佐くんがわたしの顔を見て、意地悪く笑ってる。


「き、期待なんて」


 どうして? わたしって、初対面の人にそこまで見抜かれるほど、単純でわかりやすいのかと泣きそうになっていると。


「あ」


 軽い足取りで外の階段を上ってくる、加瀬くんが見えた。


「か、加瀬くん!」


 思わず、取り乱しながら、加瀬くんを呼ぶ。


「立原。遊佐も」


 楽しそうに近づいてくる、加瀬くん。


「何だよ? 話って」


 すぐに遊佐くんが切り出してくれて、助かった。こんな状況で、わたしは、まともに口なんかきけない。


「あのさ」


 加瀬くんが、わたしと遊佐くんの顔を交互に見た。


「う、うん」


 やっぱり、わたしだけの話じゃなかったんだ。心のどこかで期待しちゃっていた分、少し複雑な気持ちになってしまう。そこで、遊佐くんと視線がぶつかったけど、わたしだって、何が何だか……。


「ねえ。遊佐、立原」


 笑顔で、加瀬くんが続ける。


「この三人で、バンドやろうよ」


「あ?」


「へっ?」


 加瀬くんの口から飛び出してきた言葉に、遊佐くんの迷惑そうな低い声と、わたしの間の抜けた声が重なった。


「まあ、入ってよ。立原も」


 部室のドアを開けて、中に入っていった加瀬くんに、わたしと遊佐くんも続く。ドラムセットとか、アンプとか、まさに軽音部っていう感じ。


「適当に座って。立原も」


「ありがと」


 加瀬くんが出してくれた折りたたみ椅子に座って、しばらく、感心して辺りを見回していたんだけど。


「それで、バンドって……」


 はっと、さっきの加瀬くんの言葉を思い出す。


「そうそう。立原、ドラムやってくれないかなと思って」


「ええっ?」


 ドラム? このわたしが?


「大丈夫、大丈夫」


「や、大丈夫って」


 加瀬くんが、ふわんと笑う。それだけで、わたしの体中の細胞がドキドキしてしまうけど。


「立原と話してて、思いついたんだ。この三人なら趣味合いそうだし、楽しそうだと思って。簡単なリズムパターンなら、俺が教えるし。やだ?」


「えっと……」


 まだ、びっくりしたままなんだし、わけもわからないけど。でも、加瀬くんに、そんなことを言ってもらえちゃったら。


「やる!」


 これはもう、即答するしかない。


「あ、でも……」


 遊佐くんは? そっと、遊佐くんのようすをうかがうと。


「……いいけど。べつに」


 面倒そうに答える、遊佐くん。ものすごく、嫌そう? でも、ここは気づかないふりをしてしまう。


「わたし、やる。ううん、やりたい! たくさん、練習するから」


 わたしが力をこめて、くり返すと。


「じゃ、決まり」


 加瀬くんが、うれしそうに笑ってくれた。すぐ横で、遊佐くんのため息が聞こえてきたような気がするけど、関係ない。


 ねえ、加瀬くん。ただ、なんとなく毎日教室で顔を合わせてるだけだったのに、こんなふうに誘ってもらえるなんて、うれしいよ。何を考えてるのか、よくわからない遊佐くんもいて、心配ではあるけど、楽しい予感にドキドキする……!



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