第3話 憑依転生

 帝国の極東にある荒野。

 そこで俺は朽ちようとしていた。


 右肩から腰の辺りまで半身が吹っ飛び、体内に残る臓器も損傷が酷く。

 ほとんど機能していない状態だ。


 常人ならば、既に死んでいる。


 そんな瀕死の状況にまで追い込んだ存在もまた、同様に半身を欠損した状態で俺と対峙していた。


 満身創痍でありながらもその場で誇り高く仁王立ちをする褐色の男。ヤツの濁った紅眼には未だに強い覇気が感じられ、銀色の髪からは二本の角が天へと伸びている。


 人のようで、人とは異なる外敵――



「イブリーースッ!!」


「何をお主は怒っているのだ? 劣等種の存在でありながら、相討ちとはいえ魔の頂点に君臨する我を下したのだ。怒りの感情ではなく己が達成した快挙へと酔いしれ、誇りを抱くべきだろうに……」



 魔王イブリース。

 俺との死闘を終えた奴はヤレヤレと呆れたような声で、憤怒する俺を諭してくる。


 魔王討伐。


 そんな快挙を成し遂げたところで何の価値があるんだよ。


 俺の望みはただ一つ。


 婚約者と幼馴染の三人でただ平穏に暮らしたいだけなのに、どうしてその些細な願いが邪魔されなくてはならないんだ。



「黙れッ! 俺はただ平穏な暮らしがしたいだけなんだよッ!!」


「何の冗談を申しておるのだ? この星には既に敵がおらんと思っていた我に並ぶ強者が平穏な暮らしを望む者だと――ぬかせ」


「人類と魔族が相容れないように、俺とお前の価値観は根本的に違うんだよ」



 俺は皇太子の事があってから力を欲するようになった。それはもう二度と俺たちの生活を邪魔されたくなかったからだ。


 それが俺の強くなる原動力だった。


 しかし、魔王は違う。


 ヤツはただ純粋に戦闘と破壊を好み、己の支配欲を満たす為に力を得たのだろう。

 そんな存在がまるで同類でも見つけたかのように、楽し気に話しかけてくる。


 ふざけるなッ!!

 

 人類と魔族が相容れないように。

 お前とは相容れない存在なんだよ。



「しかし、運命とは実に面白いものだ。退屈しのぎの余興で始めたにすぎん人魔大戦が、結果として我とお主を繋ぎ合わせた」



 第六次人魔大戦。

 人魔大戦の歴史は、今から1000年以上前に東西に分かれた二つの大陸が衝突したことで始まった。


 西大陸に住まう人類と東大陸の魔族。


 異なる種族が邂逅したことで人魔の長きに渡る戦争が幕を開けた。それから五度の大戦を行った末に、人類も魔族もお互いの領土へと踏み込まないようになった。


 停戦状態だ。


 そんな平和な時代が300年も続き、人類の多くが魔族の存在を忘れかけた頃。


 この男、魔王イブリースの気まぐれによって六度目の人魔大戦が始まった。

 それが今から一年ほど前の出来事だ。



「クソッ、お前さえ居なければ」


「いい加減、お主は怒りを沈めぬか。闘いの余韻に水を差すではないか」



 怒りを沈めろだと。

 お前に俺の何がわかるんだよ。


 ようやく皇太子を退ける力を得て、地上へと戻ってきたら人魔大戦が始まってたんだぞ。


 やっとすべてを取り戻せる。

 フィオナを目覚めさせられる。


 その宿願が魔王の起こした人魔大戦によって遠のいたんだよ。俺はすぐにでも氷山へと向かいたかった。


 だけど、人魔大戦の最前線で戦う父上と長兄の存在を無視することができなかった。


 だから、俺は自ら進んで人魔大戦へと介入することを決めた。その結果が最後の最後で魔王と仲良く共倒れなど誰が認められるか。


 クソ、クソ。

 あと一歩だったのに。


 氷山での誓いから血の滲むような努力を重ねてきたのに、それが目前で魔王討伐という功績と共に虚しく散っていくんだ。


 十一年間。


 その間、ずっと氷山に眠るフィオナの為に俺は必死に頑張ってきたんだ。それが目前にして打ち砕かれた気持ちを怒り以外の感情でどう表せと言うんだよ。



「俺には大切な使命がある。それを成し遂げずに此処で終わる訳にはいかないんだ。お前さえいなければ……」


「何を言う、我と同じ境地のお主が滅ぶ訳なかろう。しかと感じるぞ、帝国からお主の魔力をな。お主にもスペアがあるではない」


「このバケモンがッ!」



 人魔大戦へと介入する前。

 俺はいざという時の為に、クロムウェルの領地に自身の魔力を残してきた。

 この魔力は俺が絶体絶命の窮地に陥った時に使用する保険。

 それが魔王に見破られていた。


 一体いつからだ?


 この男はいつから領地に残してきた俺の魔力を感知していた。そんな焦りや不安から俺は悪態をつき、その間に怒りを沈めて冷静さを取り戻す。


 俺の肉体はもうすぐ朽ちる。

 この運命は変えられない。


 だが、婚約者のフィオナを氷山に残したまま世界から消える訳にはいかない。たとえ、この肉体が滅びようと目的を果たすまでは死ぬわけにはいかないんだ。


 俺はこの世界にしがみ付く。


 それが神に背く行為であろうが、悪魔に魂を捧げる行為であろうが構わない。フィオナの為になら、俺は人の心を捨て去り極悪非道な怪物にだってなれる。


 そんな俺だからこそ。


 皇太子の件で因縁があるとはいえ、実の兄であるカルロスに無理やり自身の魔力を植え付けることができた。


 もしも、俺が死に直面した時。

 身代わりとなって死んでもらう為にだ。


 俺にとってカルロスという人間は兄弟ではなく、大切な肉体のスペアに過ぎない存在へと成り下がっていた。



「我が化け物か、同じ境地に立つお主にだけは言われたくないセルフだな」


「……」



 俺と魔王が上り詰めた境地なら自身の肉体から魂を切り離し、他者の肉体へと憑依することすらも可能にし得る高みだ。


 憑依転生。


 しかし、今のように満身創痍な状態で行うには事前の準備が必要不可欠。つまり、この状況で奪える肉体はカルロスのみだ。


 そんな状況下で、俺のスペアであるカルロスの存在が魔王に感知されていた。

 今の魔王に俺を倒す余力が残っていなくても、此処から最後の悪足掻きでカルロスを葬り去るだけの力はある。


 俺にできる事を同じ境地に立つ。

 魔王ができないはずがない。


 何があってもそれだけは死守する。

 それが奪われたら完全に詰んでしまう。

 だから、俺は警戒心を最大限に高める。



「安心せよ、我が相討ちなどという中地半端な結果で満足するはずがなかろう」


「再戦を望むから邪魔しないと」


「さよう。たとえ、お主が拒もうとも我は地の果てまでも追いかけるぞ。つまり、我とお主は再び交わる運命にあるのだ」



 傲慢で身勝手な魔王は己の欲望を優先し、俺を見逃すと宣言した。それは俺が憑依転生を成功させ、再び魔族の脅威になったとしても構わないという意味だ。

 身勝手な魔王は、俺との決着をつける為なら魔族の存亡すら気にしないようだ。


 争いと血を好む戦闘狂。


 決して、俺には理解できない存在だが。

 こちらとしては好都合だ。

 それなら魔王と再び。

 剣交えることも辞さないさ。



「いいだろう。俺が成すべきことを果した後なら、再びこの地でお前と闘ってやる」


「しかと、聞いた。我はお主と交わされたその契りが果される事を切望する。では、互いの肉体を盛大に散らし、美しくこの戦の幕引きと行こうではないか」



 魔王が魂を切り離し始め、俺もそれに続くように肉体から魂を抜いていく。


「では、行くぞ」


「あぁ」


 俺は魔王に合わせるようにして、愛着のある肉体をこの地に捨て去った。


 互いの魂が完全に切り離された瞬間。

 無音の世界が周囲へと広がった。

 これは膨大なエネルギーを宿した器から魂という栓が抜けたことで起こる超常現象。


 それから一秒にも満たない時が過ぎ去り、二つの器からは制御不能となったエネルギーが一気に解放される。


 俺と魔王が捨て去った器は、球体と球体がぶつかり合うような形で盛大に爆発する。

 そんな超常現象を背後に感じながら、霊魂状態になった俺はクロムウェルの領地へと向かっていく。


 そして、自身の残した魔力の元へと辿り着き肉体に宿るカルロスの魂を滅しようとするも――


『嘘だろ……』


 ――できなかった。

 何故なら、この器には滅する魂が存在していないからだ。

 俺はそんな奇妙な違和感を抱きながらも、宿した自身の魔力と魂を繋げ合わせた。

 そして、気づく。


『まさか、そんなはずは……』


 新たな肉体で初めて見る光景は、ぼやけた視界の先でほほ笑む女性の顔だった。


 その瞬間、俺は悟った。


 カルロスに宿したはずの魔力は何故か、奴がまいた種と共に移動してしまった、と。

 そうでなければ、この赤ん坊の肉体をどう説明すればいいんだ。


『俺がカルロスの子だと……』


 どうやら俺は……甥の体と自身の魂を結び付けてしまったらしい。カルロスの体ですら大変なのに、赤ん坊からやり直しだと。


 これじゃあ、氷山に眠るフィオナを目覚めさせるのに……どれだけの時間を新たに費やすことになるんだ。


 そんな焦りと共に、俺の魔力が宿っていたせいで失われた。甥の人生への罪悪感も同時に襲ってくる。


「オッ、ギャーーーー!!!!!」


 俺は感情のままに叫んだ。

 すると、強烈な眠気と共に意識が遠のく。

 そして俺の意識が消える直前。


「おかえり、ルシ――」


 懐かしい女性の声が聞こえてきた。


 こうして、肉体を失った俺は一からやり直すことになるのだった。

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