第2話 凍結の誓い

 最悪なパーティーが終えて馬車で帰宅する道中、俺は皇太子の一件をありのまま婚約者のフィオナへと伝えた。


「それは困ったわね」


 彼女の反応から婚約破棄を望まない気持ちは同じだと安堵するも、これからどうすれば良いのかと悩む自分が実に不甲斐ない。


「フィオナ、本当にすまない。現状に甘んじて努力を怠っていた過去の自分を情けなく思うよ。俺にもっと力があれば、今回のような不測の事態にも対応ができただろうに……」


「エル、それは私にも言えることよ。三人で過ごす時間が本当に心地よくて、それが一生続けばいいな、とただ願うだけだった。私もエルと同じように努力を怠ったわ。だから、この過ちは私たち三人で背負って一緒に解決しましょうね」


 やはり、彼女は素晴らしい女性だ。

 どんな困難でも共に背負ってくれる。

 だからこそ、一緒にいたいし守りたい。


「フィオナッ!」


「エル……?」


 フィオナへの気持ちが高ぶった俺は、柄にもなく感情のままに声を出した。そんな珍しい俺の姿に驚きながらも、何処となく嬉しそうに顔を傾げる彼女。

 そんな彼女に――


「君に出会えて良かった。どんな時でも共に歩もうとしてくれる女性が婚約者でいてくれて誇りに思うよ。フィオナ、ありがとう。心の底から君を愛しているよ」


 俺の感情を伝えずにはいられなかった。

 今日、彼女を失うかもしれない、と。

 危機感を抱いてからより一層に彼女が愛おしく大切な存在なのだと思うようになった。

 だから、普段は口にしない。

 照れくさいセリフが自然と出てきた。



「……まさか、この流れで皇太子に感謝することになるとはね。エル、私も愛しているし凄く嬉しいよ」



 俺の照れくさいセリフを聞いたフィオナも笑顔で自身の感情を伝えてきた。

 お互いに見つめ合って、心地の良い時間が過ぎようとするが、今はこれからの事について話し合わなければならない。


「フィオナはどうしたい?」


「本音で言えば、ミラちゃんの特性ジュースを皇太子に飲ませて毒殺したいかな?」



 俺の幼馴染でフィオナの親友。

 ミラ・サンスベリア。


 彼女の実家、サンスベリア伯爵家は代々すぐれた薬剤師を排出している。そんな家門で生まれ育ったミラは、薬の専門家であり毒のスペシャリストでもある。


 そんな彼女が今回の件を聞けば、俺たちの為に進んで皇太子暗殺の毒物を開発してくれるだろう。



「フッ、三人で仲良く帝国のお尋ね者になる未来も悪くないかもな」


「そうだよね。お互いに大切な家族がいなければ、何も考えずに帝国から離れられるんだけどね」


「あぁ、俺たちだけなら簡単に解決できたんだがな……」



 皇太子暗殺。

 そんな物騒な事は冗談として。

 互いに家族の事がなければ簡単だった。

 三人で時期を見て、帝国からソッと居なくなれば良かった。

 だけど、それができない。

 皇太子の件で、帝国に残した家族に迷惑をかけるかもしれないからだ。



「そうなると、ミラちゃんの毒で三人一緒に仲良く自害するのは最終手段として、今はお父様と公爵様に期待するしかないわね」


「それでもどうなるかは分からない。クロムウェル公爵家とノルフェーン侯爵家の力を持ってしても……皇太子の要求を退けられるとは限らない」



 フィオナの実家は、北部で二番目に影響力を持つ氷の名門ノルフェーン侯爵家だ。

 つまり、皇太子は東部を支配する我が家門クロムウェル公爵家と、北部のナンバー2を相手に婚約破棄を要求してきた。


 皇太子の行動は実に身勝手で傲慢だ。


 だとしても、皇太子にはそれを可能にしえるほどの絶大な影響力がある。


 だから、恐れている。

 両家の当主が譲歩することを。


 俺は次期当主の長兄とは違う。

 ただの未息子に過ぎない。


 皇太子の出方次第では、父上たちが折れて両家の為に婚約破棄を承諾するだろう。


 そうなった時の為に、俺とフィオナで予め対策を講じる必要がある。


 しかし、その方法が思いつかない。


 せめて、もっと時間があればと。

 俺が焦りに駆られている時、フィオナの落ち着いた声が聞こえてきた。


「ねぇ、エル」


「どうした?」


「私を救う為になら強くなれる?」


「そんなの当たり前だろ」



 フィオナは聞かなくてもわかるようなことを俺に問いかけてきた。


 どうして、今。そんな当たり前の事を確認してくるのかと疑問に思ったが、フィオナの表情を見てすぐにわかった。


 彼女には打開策があるのだと。

 恐らく、それは俺が聞きたくない。

 方法なのだろうと身構える。



「エル、そう答えてくれてありがとう。私たち三人が笑って過ごせる未来の為に、どうか強くなって。その為の時間なら、私が稼いであげるから」






 あれから半年の時が過ぎ。

 俺とフィオナは氷山にいた。


 あの日、フィオナから提案された打開策を実行する為に俺たちは氷山へと来た。


 俺と幼馴染のミラはフィオナの提案を受け入れたくはなかった。しかし、俺たちが危惧していた通りに物事が進んでしまった。


 父上たちが皇太子の要求を呑んでしまい、無力な俺たちは窮地に立たされた。他の打開策もなく、俺とミラはフィオナの提案を受け入れるしかなかった。



「じゃあ、そろそろ準備を始めるね」


「本当にいいのか? 今ならま――」


「――エル、私を信じて! 私もエルとミラちゃんのこと信じてるから」



 フィオナの提案。


 それは皇太子に狙われた自分が行方不明になればいい。そうなればあの皇太子でも流石に諦めるだろう、というものだった。彼女には、誰にも見つからずに行方を眩ます。


 とっておきの方法があった。



「そうか、やっぱりフィオナの意志は変わらないんだね。それなら俺たちも無事を信じて頑張るよ」


「うん、私が凍結睡眠してるからって焦って無茶するのはダメだからね」



 凍結睡眠。

 一部の魔物たちが冬季間を過ごす為に行う冬眠を参考にして創られた氷魔法。


 凍結睡眠は周囲から氷のエネルギーを集めた状態を持続しながら、肉体を凍結させて睡眠状態となる魔法だ。そんな凍結睡眠という魔法は一人の女性によって生み出された。


 凍結の魔女。


 彼女は魔物たちの冬眠状態を魔法使いの自分にも応用できないかと思い、実際に自身の肉体で試すことにした。


 それから数百年後。


 氷山で眠っていた彼女を偶然見つけた一人の男性によって、彼女は現世へと帰還した。


 数百年の時を得て目覚めた彼女は、目論見通りに実験が成功したことに歓喜した。


 寿命。


 誰もが抗う事のできない制約。


 氷の魔法使いだった彼女は寿命という時間制限のせいで、自身の成長には限界があると悟った。


 その事に悩んだ彼女は寿命という制約から逃れることを夢見て、この無理難題を解決すべく模索し始めた。


 そして、彼女が辿り着いた答えこそが凍結睡眠という魔法の始まりだった。


 寿命を消費しない修練法。

 これが凍結睡眠という魔法の能力。


 つまり、彼女は凍結睡眠で肉体の劣化を止めると同時に、氷山から氷のエネルギーを自律的に取り込むことで氷魔法の修練をしていたのだ。


 その効果は絶大だった。


 彼女は自身の限界を優に超え、北部一の魔法使いへと上り詰めた。しかし、彼女の伝説は意外にも早く幕を閉じることになった。


 二度目の凍結睡眠。


 更なる高みを目指して行った凍結睡眠から彼女が目覚める事はなかった。


 睡眠状態とは言え、人が寿命という制約から解き放たれる魔法にリスクがない方がおかしい。絶大な効果には、それ相応のリスクを伴うものだ。


 凍結の魔女が生み出した。


 凍結睡眠は軽度の障害から始まり、永眠という最悪の結果まで起こりうる危険な魔法だと現代では知られている。


 そういった後遺症の発現確率は凍結期間に比例して大きくなる。だから、俺は一日でもはやくフィオナを目覚めさせたいと思う気持ちが強い。



「本当にすまない……俺にヤツを払いのける力がないせいで、フィオナに大きな犠牲を強いることになってしまった」


「エル、そんな顔をしないでよね。この決断は私が決めたことで望んだことよ。どんな結果になったとしても後悔はないわ。それに約束してくれたでしょ? エルが強くなって、私を迎えに来てくれるって」


「約束したさ、俺の全てに掛けて誓う、と。今でもその気持ちは揺るがない。どんな代償を払ってでも力を手に入れてみせる。そして必ずこの地へと戻って来るよ」


 フィオナがこれから行う凍結睡眠は発動してしまうと、自力で目覚める事はできない。だから、すべての準備が整ったタイミングで俺がフィオナを起こさなければならない。



「うん、ここで気長に待ってるね。でも、のんびりし過ぎるとエルの名誉に傷がついちゃうから気をつけてよね?」


「俺の名誉よ?」


「だって、もしオジさんになったエルが十四歳の私を連れまわしたらさ。みんなからロリコン貴族って呼ばれちゃうでしょ」


「フッ、そんなに待たせないさ」


「やっと、笑ってくれた。凍結睡眠の前にその笑顔が見たかったんだ。これで気持ちよく寝られそうだよ――おやすみ、エル」


「おやすみ、フィオナ」


 俺はフィオナの凍結睡眠を見届けてからその場を後にしたが……数歩ほど進んだところで名残惜しくなった俺は、顔だけ彼女の方へと向けた。


「見えなくても、つい見てしまうな……」


 視線の先には、確かに彼女がいる。

 しかし、その姿を見る事はできない。


 フィオナは氷山の中心部に形成された空洞の中で、氷壁と一体化する様に眠っている。

 氷壁の奥深くで眠っている彼女は、自身の周囲に特殊な氷を造り出していた。


 魔法で造り出した特殊な氷は鏡のように光を反射する性質を持ち、氷壁の外部からはフィオナの姿が見えなくなっている。


 その上、氷壁内のフィオナは凍結睡眠を使用することで生命活動すら止まっている状態だ。そんな氷山の一部と化した彼女を見つけ出すことはほぼ不可能だろう。


 俺だけが知る彼女の居場所。

 俺しか救い出せない彼女。

 その事を胸に刻み込み。

 俺は凍結した彼女に誓いを立てる。


「フィオナ、必ず迎えにくるからな」


 この時の俺は知る由もなかった。

 十一年後の未来で魔王と対峙し、壮絶な闘いの末に自身が朽ちることなど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る