#36 最初からわかっている相手だっただけだからノーカン
11月6日、火曜日。
「……なんか朝から静かだったな」
「それなんだけどね。クラスで一番うるさいのが悟りを開いてたからだと思うよ」
「悟りって……」
「りっちゃん、突っ込むのそっちで合ってる?」
「まあうるさいのは間違ってないから」
購買のパンを齧りつつ静かに呟くことりと、見事なお弁当をつまみながら心ない一言を浴びせる橙乃。多角的に性格と環境が出ている三人の間で、私はなるべく簡単でシンプルなものをと再三お願いしているのに橙乃のに負けず劣らずの弁当箱と向き合っていた。
私は対外的には
あの人たち、私のことをライバーとして見ているのか妹分として見ているのかよくわからない。もしかしたら住み込みで大きなキッチンを使えるのが楽しいだけかもしれない。
「西垣くんが一言も発さないの、近くにいるとほんと怖いよ」
「まあ確かに不気味ではあった」
「あんまりな言い草だね……」
「そうして認識されるだけの個性があると思えば、いいことだとは思いますよ」
「朱音はちょっと寛容すぎじゃない?」
違和感の原因は西垣くんという男子生徒だった。声の大きいムードメーカーなんだけど、彼は重度の民草だ。そんな彼、今日はいやに静かなのだ。全く関係ないグループの女子陣がざわつくほど。
……ところで、この昼休みに集っているのは三人だけではなかった。あと二人いて、片方は双葉。最近はちょっとことりと二人の秘密が多くて一緒に過ごす機会が減っているけど、私にとってはことりに並ぶほど気を許せる親友といっていい。
そんな親友の推しは月雪フロル。私は親友にそうと知らずに推されることとなっていた。困ったという思いが嬉しさと半々で、私は日々表情筋を鍛え続けている。
もう一人は九鬼朱音だった。橙乃とは家が隣の幼馴染で、私とも間違いなく友人といっていいほどの仲だ。普段は双子の幼馴染と一緒にいるんだけど、今日はその二人は所用で教室にいない。
向こうの幼馴染たちはいつも一緒にいるくらいの仲で、私やことりは彼女たちにとって外部では特に気安い関係、くらいの感覚だろうか。たまにというには多いくらいの頻度でこうして一緒になる。
「誰もどうして彼がああなってたのか疑問に思わないの凄いよね」
「まあわかるからねー」
「最上さんや上杉くんあたりもだけど、隠さないからねぇ」
風通しのいいクラスなのだ。一部の生徒に至っては誰が推しであるかをクラス全員に把握されているし。……いや、それは教室で倒れたりしたせいな気はするけど。
……ところで、そんな西垣くんは今この教室にいない。
「……あ、流れてきた!」
「…………っ」
「昨日投稿されただけの歌ってみたを即昼休みに流してくるの、いくらなんでもガチ感すごいね」
「推し活ここに極まれりというか」
「でもこういう思い切りのいいところは見習いたいかも」
身構えていなければ噎せていたかもしれない。なにしろ私が歌って、つい昨日出したばかりのものが昼放送から流れてきたから。
西垣くん、放送部な上に火曜日の当番なのだ。尋常ならざる様子にもしかしたらとは思ったんだけど、見事に予感が当たった。この学校の放送室はなかなかいい機材を置いてあるから、スマホで再生したものをそのまま校内放送に流せるようになっている。
……いや、恥ずかしいよこれ。自分がいる中で自分の歌を放送されるの、この学校で経験したのは水波ちゃんと私だけだと思う。
あと双葉は後生だからそこは見習わないでほしい。そうなったら頬の筋肉がつってしまいそうだ。
「……やっぱほんと上手いよね。Vtuberって歌上手くないとなれないのかなぁ……」
「それ双葉が言うんだ」
「どうだろ。電ファンは水波ちゃんが関わってるなら、鍛えることができるだけかも」
「……こうして聴いてみると、水波ちゃんの歌い方がちらほら感じられますね」
「わかるんだ」
「大元は母ですから。ただどことなく、水波ちゃんが身につけた癖が伝わっているような気がします」
「へえ……フロルちゃんは特に長く指導を受けてたらしいし、より影響があるのかな」
……怖い。あらゆる面で鋭い朱音だけど、こうして私の歌い方の無自覚な部分まで見抜かれてしまうとちょっと怖くなってくる。もうこの子の前で本気で歌ったりできないし、先日のカラオケで相当危ない橋を渡ったのだと実感して肝が冷えた。
「……ああ、そういえば」
「ん? ことり、何か?」
「そのフロルの配信で水波ちゃんが出てきたとき、幼馴染にゲームがすごく上手い人がいるって言ってたけど」
「ああ、アレね。うん、朱音だよ」
「やっぱり……」
「九津堂の人間卒業認定を受ける子とはとても思えない見た目と身分だけどね」
「朱音はちょっと信じられないくらい上手いからね」
私は確信していたけど、ことりは確認したかったらしい。隣のクラスにもう一人、こちらもやたらとゲームの上手い水波ちゃんの幼馴染がいるから二択だったのだろう。
しかししっかり橙乃から確認がなされて、ことりと双葉は揃って乾いた笑いをみせた。うん、そういう反応になるほどの偉業なんだよね。私これから挑戦するけど。
「フロルちゃんはやるんでしたっけ。……彼女ほどの腕なら、やっていればできると思いますよ」
「涼しい顔してるの納得いかないな……」
なんかお墨付きをもらったけど、あんまり名誉ではない気がしてきた。受け取ったら人外呼ばわりを認めることになりそうだ。朱音本人がそれを受け取っていないとはいえ。
ただどちらかというと、ダクリタの回をしっかり確認されていることがほぼ確定したのが怖い。このお嬢様、思いのほか見ている。
「ちなみに朱音、挑戦のときに特別意識したことって何かある?」
「というと、通常プレイではやらないこと? ……そうですね、いくつか」
ここで口を挟んだのは橙乃だった。ふと気になっただけ、という様子ではあったけど、結果的にはこれはありがたい。表立ってはできなくても、こっそりそれを意識しておくくらいはできそうだ。
まさか朱音ちゃんもフロル当人に直接聞かれているとは思っていないだろうけど、減るものでもないということか答えてくれた。
「といっても、『ヴァンパイアハンターハンターズ』と『ドラグメントエイジ』は解説動画があるので……それよりも詳しい説明はできません」
「VHHのほうはRTAだけどね……」
「改めて意味不明だよねっ」
「なので『クロノーシス・リローデッド』を」
まあ、それはそうだ。ドラグメントエイジ、略称ドラエイは当初それ一本でのし上がった実況者がいるし、VHHはせれなさんがRTA解説動画を出している。このふたつは私も既に勉強を始めていた。
ただ、クロリロはそのあたりが不完全だった。結局のところ良質な攻略解説動画があるかどうかは運次第なところもあるし、他二つと比べるほどの難易度ではないから目立ちすぎることがない。
しかもやるのはただの攻略ではなく、公式ではない縛りプレイの一種だ。どうやらよほどマイナーか、もしかすると朱音オリジナルの縛りであるようで、ちょうど資料に困っているところだったのだ。
「あのタイトルは合成を縛ると回復量が確実に足りなくなるので、大ダメージを受けない、HPの少ない状態で敵と遭遇しないことを意識する必要があります」
「そうだね、確かに。合成後のポーション全然落ちてないし」
「方策はいくつかあるのですが……『宙渡りの回廊』で使えるところだと、ひとつは階段上での足踏み、それから“魔吸いの剣”ですね」
「あ、そっか。パンと“魔力の実”は余るくらいあるから」
「満腹度をHPに変換できる要素は、安全を確保しつつなるべく使った方がいいですね。あとは、階層を降りる直前の“カビたパン”」
「あ、そっか! そのタイミングなら困らないんだ!」
「ほへー……降りたら状態異常が消えるの普通に意味わかんないけど、そう使えば確かに役に立つんだ……」
で、この話。結論からいえばかなり役に立った。私もそういうシステムと基本の攻略法くらいは知っていたけど、高難度ダンジョンのときにこそ重要になることはさほど知らなかったから。
いろいろ教わったけど、大まかにまとめると「余るリソースを足りないリソースへ変換する方法を大切に」と「高難度でこそ輝くアイテムを上手く使う」、それから「思い切りと慎重さのバランスを間違えない」といったところかな。しっかり覚えておこう。
「ちょっとお茶買ってくるね」
「あ、私も」
ひととおり話が終わってから、午前の体育もあって足りなくなっていた飲み物を買いに校内の自販機へ。これに橙乃がついてきたんだけど……渡り廊下で二人きりになったところで、話しかけられた。
「役に立った?」
「……何が?」
「さっきの攻略情報」
素で聞き返してしまった。主語も目的語もない問いだったし、なんの話をしていたのかわからなかったから。
しかし橙乃、当たり前とばかりに答えてくる。さっきの、つまりクロリロの攻略情報……それが今ピンポイントで役に立つ人物など、そうはいない。あれはもう20年以上前のタイトルだ。
つまり、橙乃はこう言っている。律、お前が月雪フロルだろう、と。
凄いねことり、凸待ちのときの予想が当たっていた。じゃなくて。
「…………」
「なんでわかったの、って顔してるけど」
「なんのこと……」
「今年の8月22日」
「!」
誤魔化そうとした涙ぐましい努力は瞬時に露と消えた。これはダメだ、揺らがないところで確信されている。
8月22日というと、私のデビューが決まる三週間ほど前のことだ。まだそこまで前でもないから覚えている、当時サブマネとしてついていたルフェ先輩がテレビ暁へ収録に行った日だった。
「いたんだ……」
「管理の手伝いで裏に詰めてたの。そしたらなんか、向こうから友達が来たから」
「じゃあ最初から」
「初配信の第一声でわかったよ。収録中、裏方でもちゃんと雪としての声出してたもんね」
「その上で他人事として話すの聞かれてたの!? 恥ずかしい……」
小早川橙乃はテレビ暁CEOの一人娘だ。そう思うと確かに、電ファンの関係者としてテレビ暁に言った時点でこうなる可能性はあったことになる。迂闊ではあったけど……だからといって仕事を放棄するわけにもいかなかったし。
それに、そういう立場で関係者として現場にいる以上、もろもろの事情と守秘義務に縛られるのは橙乃のほうも同じだ。
「まあ大丈夫だよ、誰にも……それこそ朱音にも言わないからさ」
「うん、お願い。どうせそのうち私自身が行くことになるし、そこでどのみちバレるのが前倒しされただけだと思っておくよ……」
「それに、できる手助けはするよ。友達がライバーやってるなんて、そんな面白そうなこともなかなかないし。困ってるなら助けたい気持ちもある」
まあ、いいか。もともとずっと伏せておける相手というわけでもない。そういう意味では将来的に確実に関わることになる朱音もそうなんだけど、このあたりは割り切りが肝要だろう。
それに見方を変えれば、これまでことりだけだったところに強力な味方が増えるともいえる。向こうも面白がっているなら、こっちも利用してやればいいか。
「それにしても、同級生親子か……いよいよもって面白いことになってるね」
「えっ待って」
「さすがにわかるよ。すごく距離近いし、声を変えてるといっても律ほどは完璧じゃないし、そうと疑ってかかれば落書きでも画風は見える」
「それ本人は」
「これから。すぐ言うつもりだけどね。……それに、別に私や朱音にはそこまで隠す気なさそうだし」
ううん。もしかして私、橙乃のことを舐めていたのかな。この子、エティア先輩並に与しづらい気がしてきた。
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