#3 新たなライバーができるまで

「───で、話って? わざわざ場所を改めてまでするってことは、人に聞かれたくない話なんだろうけど」

「うん」


 デビューが決まった次の月曜日の放課後。高校から少し離れたコーヒーショップで向かいの席に座った少女は、フラペチーノのストローに口をつけながらこちらを見た。まだまだ暑いけど秋ということになっている九月、プラカップの中身はフレーバーの通りの栗色をしている。

 月宮つきみやことり、私の高校での一番の親友だ。そしてお互いに秘密を握り合う仲でもある。普段から一緒にいて特に親しいことは全く隠していないけど、私とことりが共有している秘密はクラスの誰も、それこそ恐ろしいほど鋭い九鬼朱音でも知らないだろう。


「エティアさんのアレ見た?」

「うん。……何やってたの、律」

「まあいろいろ事情があって……後から動画が出るからそれで」


 まあ、バズったからね。切り抜きどころかアーカイブの再生回数が凄いことになっている。なんかやたら褒められているとはいえライバーの雑談に出てきただけのただのスタッフのはずなのに、あそこまで注目を浴びるとは思っていなかった。大概なことをやっていた点を抜きにしても、ちょっと自分の話題性を舐めていたかも。

 ことりは私が雪であることを知っている。ちょっとした配信外での事故だ。双方向の。


「それで、その件をきっかけに、デビューすることになりまして」

「あ、やっと?」

「その反応は本意じゃないけど……うん。で、これからキャラデザを依頼するところなんだけど」

「うん」

「私としてはことりにお願いしたくて」


 私もことりの秘密を知っている。彼女はイラストレーターだ。それも商業経験のないアマチュアながらフォロワー数5桁の、いわゆる神絵師。

 デビューに際して当然ながら、これから分身として活動していく体を用意する必要があるんだけど、ハルカ姉さんは私に担当絵師……つまり「ママ」を自分で選ぶ余地を与えてくれた。ほぼ間違いなくことりことsperシュペルに自分で頼ませるためだ、あの人は私たちの関係を知っているから。


「いいよ。というか、むしろこっちからお願い」

「よかった、ありがと」

「私もそろそろプロになるつもりだったし、実績が欲しかったの。ついでに美大の入試に書けるから、できれば早急に。……ちなみにいつ?」

「もう合格はほぼ決まってるだろうに。四期生に入るから、来月の13日」

「一ヶ月後か、ちょうどいいかも。納品は今週末にはできると思うけど」

「大丈夫、というか早すぎるくらいだよ。それじゃ、契約の詳細はすぐに事務所の方から届くから」


 とんとん拍子だ。……まあ、そうなるのはわかる。どうやらことりは私がデビューすることになるのを予想していたようだから。ハルカ姉さんの性格と電ファンの社風も知っていることりにとって、そうなれば高確率で自分に話が来ることまで身構えておくのは難しくなかったのだろう。あとはそれがいつになるか、初仕事になるかどうかだけだったわけだ。

 あまり感情豊かなほうではないことりはそれでもわかるほくほく顔でフラペチーノを半分まで減らすと、おもむろにスケッチブックを取りだした。


「それで、今のところ考えてることを聞かせてもらえる?」

「うん。まだざっくりだけど───」





  ◆◇◆◇◆





 sperは当たり前のように、モデル用のみならず宣材用の立ち絵まで合わせて三日で仕上げてきた。元来の異様なほどの筆の速さもあって、あの場で大まかな骨子と雰囲気を固めた分本当に早かった。

 私は想像以上にしっくりきたその立ち絵をそのままスタッフさんに、ひいては事務所お抱えのモデラーへと送って、ライバーとしての準備を始めた。といっても現時点で八人もいる居住ライバーと同じ準備だから、ノウハウもあるし困ったら聞けばいい。同期や後輩からビジネスパートナーになったスタッフも手伝ってくれて至れり尽くせり、このあたりは企業勢のいいところだ。


「なかなか形になってきたね、ちゃん」

「まだ形だけだけどね。相談に乗ってくれてありがと、エティアっ」


 立ち絵が来た段階でライバーとしての名前も決めて、それからはこのシェアハウスではそちらを名乗り始めた。そういうルールだし、ライバーとして生きると決めた以上はできる限りのことやるつもりだ。みんなのこともこれからは先輩と呼ぶし、キャラも積極的に自分自身へ染みつかせていく。

 当たり前とばかりに事務所から支給された機材を部屋に運び、セットアップとこれまでのただの女子高生が使っていたマシンからの引き継ぎをして……部屋をライバー仕様にすることにはさほど手間取らなかった。代わる代わる寄ってたかっては世話を焼いてくる先輩たちのおかげだから、そこは感謝だ。


「そういえば、四期生はあと二人入居してくるらしいよ。やたら気合い入ったマンションにしてはまだまだスカスカだから、もっと来てくれるといいんだけどね」

「それは仕方ないよ、特にPROGRESSプログレスの人たちはこれまでもやってきた環境があるんだし。三分の一も入ってる時点でむしろすごいと思う」


 仲間が増えるのは素直に嬉しいけど、強要することではないとも思う。いざ住んでみると快適だしサポートも手厚いし、一人でいたければそれも簡単だし自堕落でも社交性がなくても周りだって似たもの同士だから気にしなくていいしと避ける理由がないくらいだけど……それは私たちの感覚だし、結局は好みだ。

 電ファンは積極的に有望な個人勢にスカウトをかけていて、そうして加入したメンバーは「電脳ファンタジアPROGRESS」と呼ばれるんだけど、特に彼らは個人勢時代からやってきた環境もある。飛び込む勇気を称えこそすれ、慣れ親しんだ城を守ることが悪いこととは思えない。


 そんな電ファンハウスはもはや高層マンションそのものの規模と行き届いた内装設備をしているけど、そんなものをいちVtuber事務所が創設期から用意できたことには理由があった。なんでも親会社の経営者によって、モデルケースとしてついでに利用されているらしいのだ。

 電脳ファンタジアは近現代の日本に名を轟かせる九鬼グループが所有する芸能事務所の傘下にある。この九鬼グループというのがとにかく大きくオールジャンルなものだから、もはや九鬼の手が届くものだけで生活できてしまうほどだ。そんな九鬼のアルファテストができる箱庭として、電ファンハウスは都合がよかった。


「ここの何もかも得してる感、一度浸かると離れられないんだけどねー」

「だからこそ怖い、なんてことはあると思うよ? 現に今目の前にある機器も、ぜーんぶデモンディーヴァ九鬼傘下企業のだし」


 ただ、そこまでなんでもあるとかえって怖くなる心理もわからなくはないんだよね。いずれ離れることがあったら生きていけなくなりそうだし。私はここに住むこと自体は拒否権がなかったし、開き直ってもらえるものはどんどん使うつもりだけど。






 もうひとつ特色を挙げると、電ファンのライバーは将来の不安が小さい。引退しても裏方として残ることもできるし、希望すればグループ内に斡旋してもらえるんだよね。

 今のところ利用者というか引退者自体がまだいないけど、これのおかげでVtuberという履歴書に書けない職業以外のものに常に保険をかけておく必要がなくなる点は、それこそ個人勢や多くの他事務所から見れば反則そのものだ。現在ハウスに一人だけいるPROGRESSの先輩はそう断言していた。


「あ、来たみたい。今度はどんなイロモノの子なのかな?」

「イロモノ前提なんだ。普通に可愛い後輩もいいと思うんだけどなぁ」

「その枠はフロルちゃんで埋まってるから。ひとつの期の中にMCとかできそうな子が二人もいると思う? ここ電ファンだよ?」

「…………」

「そこ黙っちゃダメだよ心愛ここあ先輩」


 その当人である一色いっしき心愛先輩はもう、たった三ヶ月で電ファンに染まりきっているけど。

 企業ライバーには先輩後輩の関係があるけど、簡略化も兼ねてPROGRESSは加入時点での最新と同期扱いだ。四ヶ月前にスカウトされた心愛先輩は三期生扱いで、昨日まではこの家で一番の新参だった。


 当たり前にイロモノ前提の物言いをするエティア先輩も電ファンのことをなんだと思っているのか一度問いただされるべきだと思うけど、私も反論はできなかった。とはいえデビューが決まったのは私の方が後だから、自称はあまりしたくない「普通に可愛い後輩枠」ももう一人くらいはいてもおかしくないと思うんだけど……。


「すんません、全部運んでもらっちゃって」

「いえ、我々はライバーさんのサポートが仕事ですから」

「そのスタッフへの殊勝な態度、君はいつまでもつかな」


 と、部屋の外から声がしてきた。どうやらちょうど到着した新人と担当のスタッフさん、それからもう一人。二期生の嘉渡かど決斗けっと先輩、通称デュエ兄だ。昨日まで二人きりだった男性ライバー入居者で、この間はワサビシューの話のときに絶叫していた。最大の被害者だったからね。

 さもスタッフさんのことは信用も媚びもしてはいけないとばかりだけど、これはここに住むライバーの総意といってもいい。けっこう扱いは雑で手酷いんだよね、特に公式番組のとき。それもエンタメ的な弄りではあるけど。

 私は理解はできるけど、まだちょっと同調はしづらい。ついこの間までどちらかというとスタッフ寄りの立場だったし、実体験していないし。イタズラの形では何度も仕掛けていたし。


「おお、エティアと心愛。それにフロル、順調か?」

「デュエ兄! うん、今のところはだけどね」

はるさん、よければあちらに挨拶してきていただいても構いませんよ。荷物は室内まで運んでおきますので」

「うす!」


 こちらに気付いた。部屋の扉を開けっ放しにして、入口付近で話していたからね。エレベーターは荷物で埋まっているだろうし、階段で上がってくるんじゃないかとちょっと期待して待っていたんだ。

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