ウェスティア譚 2−2
なるほど、目を凝らせば少し離れたところに家の屋根がわかる。一歩一歩確実に近づいていけば再び家々が連なる群であることがわかった。しかも先ほどまで呑んでいたところより幾分か賑わっている。その住宅密集地に足を踏み入れしばらくすれば八百屋のような店は露店で露の滴る新鮮そうな野菜や果物を売っており、その向かいの店では近くに川か海でもあるのだろう。目の輝いた生きの良さそうな魚を売っていた。
「わぁ……さっきの所もすごかったけどここもすごいわねぇ」
「やっぱり専門的な買い物がしたくなったらここの地区に来るんですよ。今日は八百屋に嫁さんと子供が好きな葡萄が売ってるんでそれを買って帰ることにしますわ」
「いいわね、すごい新鮮で美味しそう」
「お、素っ裸のにいちゃん、このレイトンの市場に来たからにはうちの店で買っていかないと損するぜぇ?」
「ここはレイトンっていう所なのね〜すごい賑やか。おじさん今日のおすすめは何かしら?」
「今日は採れたてのリンゴと葡萄、それにもぎたてのラプンツェルだな!葡萄食ってくか?」
丸く宝石のように輝きを湛えた赤紫色の果実を手渡されれば口に放り込む。ハリのある皮を歯が破り割くと甘い水分に満ち溢れた果肉が口一杯に広がっていく。少し歩いて乾いた喉も冷たい果汁が満たしていった。
「んん〜っ!ちょー美味しい!!」
「はは!だろ!!」
「あ、そうだダニアンアタシが買ってあげる葡萄。」
「え、いいんですかい!?居酒屋でも奢って貰っちまったのに!」
「だってアンタアタシを見物させてくれるために休んだんでしょ。奢ってもらえるって言われた時は素直にご馳走様って言う人間になりなさいよ」
「ありがてえありがてえ…いつかこの御恩は必ず返しますんで!」
「じゃあ今度奥さんと子供達見せてね。おじさん葡萄2房頂戴」
「毎度!2房で1500ペカだよ」
先ほど居酒屋でもらったお釣りを取り出してみる。柄の違う紙幣には『1000』と書いてあるものが3枚。そのうちの一枚と『500』と打刻された金色の丸い硬貨を差し出した。
「1500ペカ丁度だね!毎度っ!」
どうやらお金を払うことに成功したらしい。ただお金を払うという行為なのに初めてのお使いでもした時のような妙な達成感を覚えた。自分は違う土地でも何だかんだやっていけるんじゃないか。そんな淡い期待さえも抱いていた。
気の良さそうな店主は見たこともない木と紙の中間地点のようなものに上手に葡萄たちを包むと麻紐のようなものでくるりと取っ手をつけて手渡してくれた。
「また買いに来てくれや!」
「勿論よ!今度もおすすめ置いておいてね」
店主に挨拶を交わし店から離れたあとダニアンに葡萄を渡してやった。
「振り回して落っことして帰らないように気をつけるのよ?奥さんたちと食べて頂戴な」
「ありがてえありがてえ…ほんとナンベンお礼を言ったらいいのやら…」
「もういいわよお礼は、いっぱい貰ったから。さて、問題の洋服屋さんはどこかしら?」
「そうだったすっかり忘れてた!もうちょい、今度はほんとにチョロっと行ったとこですわ」
「チョロチョロって信用しないわよアタシ」
「まあまあそんなこと言わないで、今度は本当ですから」
賑やかな街音楽とそれに群がる子供達を通りすぎていけば靴の看板や服の看板が目立つところに入った。空いた窓からは店内の様子が伺える。店内には色とりどりのアクセサリーや仕立てたであろう洋服がどこの店にもずらりとお行儀よく並んでいる。
「すごいわね…とっても綺麗」
「ここいら一帯は全部服とか靴とかの店でっせ!ここで好きなお店を選んで好きな服を買ってくだせえ。俺はそろそろ戻らねえと、仕事終わりまでに仕事を始めるっつーのができなくなりそうで、」
「じゃあ急ぎなさいよばか!」
「へへすいやせん、あ、ここのエリアをちょっと行くとさっきとは違う八百屋が一軒あります。そこ越えれば宿があるんでもし泊まるようだったらそこ使ってくだせえ!」
「何やら何まで道案内ありがとうね。」
「こちらこそいろんな話してくれて、お土産までもらっちまってありがとございました!」
「だからもういいって、さ、早く行っちゃいなさい!間に合わなくなるわよ!」
彼と別れを告げれば彼は今きた道を慌てて走っていった。大事そうに葡萄を両手で抱えながら。ここまでの半日しか彼と共にはいなかったがそれなりに楽しかった。知らない事を、知らなければこの先困ることを教えて貰った彼には頭が上がらない。
空の色も夕方を含み始めそうな気配をしているため急いで服を買おうと先ほど窓から覗き見した店舗へと足を進めた。
「これ普通に入るのでいいのかしら?」
閉まっていた扉を恐る恐る引っ張ってみる。開かなかった。
もしや自分の力が足りないのだろうか。何度か頑張って引いてみるも店舗の中で居酒屋とは違うドアベルの音が響いていることしかわからない。
どうしようと一度手を離すと空いた窓の中から声が飛んだ。
「お客さん!引き戸じゃなくて押し戸よ!」
なるほど。押してみれば先ほどの葛藤が嘘のように軽やかなドアベルの音を立てて扉が空いた。
「もう!ずーっとドアベルだけカラカラなってお化けがきたかと思っちゃったじゃない!ってあなたなんで上何も着てないのよ!」
「びっくりさせちゃってごめんなさいね〜押し戸だと思わなかったもんだからぁ、あ、お洋服はねぇ〜なんていうか落として来ちゃったの」
嘘は言っていない。化粧の濃い肥えた、いいや上品に言うとふくよかな女性はおそらく店の人間だろう。その女性は大袈裟に驚いて見せたあとこちらに近づいてきて値踏みするように頭のてっぺんから爪先までを眺めた。
「あら、あなたのこのパンツ、破けてるじゃないの」
「これはこう言うデザインなのよ〜」
「それになぁにその履き物は、見た事ないものね」
「いいでしょこれカッコよくて可愛くて〜」
眉間に皺を寄せていた女はパッと突然笑顔になって声高く言った。
「奇抜なファッションと思っていたらあなたとってもハンサムじゃない!今都会のハンサムの間ではこう言うファッションが流行っているのねぇ」
どうやら都会お金持ちボーイだと認定されたらしい。『今良さそうなのを持ってくるからねぇ!』と乱暴に足音を立てて店内の奥にすっこんでいってしまった。
「…なんだかとてもやかましい…いいや賑やかな方ね…」
まあハンサム認定されたから文句を言うところはない。机の上に綺麗に並べられたアクセサリーを物色しているとマダムが奥から服を持ってきた。
「わたしの見立てではあんたにはこれが似合うと思うんだけどどうかしらどうかしら、ほら早速着てみて早く早く!」
「わわ、ちょっとせかさないで頂戴よゆっくりゆっくり!」
手渡された服は見慣れたワイシャツのようだったが嫌に滑らかで心地良い布地をしていた。身につけているはずなのに何も着ていないかのような風通しと解放感。ピッタリ体にくっつくデザインのはずなのに体のどこも苦しくない。
持ってこられた全身鏡をみてまたびっくり。
「いやだ…アタシ超美人で似合ってるじゃない……」
「でしょう?やっぱりわたしの目に狂いはなかったわ〜!!特にこの腕と肩のところ!ぴっちりしてるからだらしない体だったらわかるはずなのにお人形さんみたいにとっても綺麗!」
「もっと言って」
「お腹のところも健康的な痩せ方で不気味じゃないのが逆に不気味になっちゃうくらい美しいわ!このちょっと破けた変なパンツも着こなせるのはあなたくらいよ」
「もっっと言って!」
「うっかり天から神様の使いが降りて来ちゃったんじゃないかと心配になっちゃうね!」
「マダムこのお洋服はいくらかしら。買うわ」
「そうこなくっちゃあなたの美貌に負けてあげる。5000ペカでどう?」
「これが5000でいいの?マダムはそれでやっていけるの?」
「あなたの美貌が見れただけでもう一生大丈夫よ」
「超褒めるじゃない…」
ポケットを弄って丁度5000ペカ札を引っ張り出す。お釣りでもらったお札たちはあと『1000』と印字してあるものが一枚だけになった。
上機嫌なマダムに5000ペカ札を手渡して店を出る。『素敵なハンサムさん!また買いに来てね〜!』と退店前に言われれば悪い気はせず歩く脚も自然と大股で謎の自信に満ちた面持ちになっていた。
さて、夕暮れの足音がそんな自分に追いついて来たようだ。いい宿を探してまた入り口の所の八百屋さんでくだものを買ってつまみながら明日からの事を考えようと来た道をそのまままっすぐと未開拓の地へ進んでいく。
道の立ち並びはあの村もこの村も変わらずでやはり道の両サイドに構える店舗や家から感じられる生活感も変わらないものである。
「場所は違えど空も同じに見えるし家庭と生活をもってるのはどこも一緒なのねぇ…」
ポエムちっくな言葉が自然と口から出てくる日が来るなんて思っていなかった。普段都会に塗れた生活を送っている体に自然の比率が一気に上がった世界の空気は高級なもので自分が死んでしまい全く知らない世界に送られたんだということすらも忘れてしまいそうになる。そこは1番忘れてはいけない所だとは自分でもわかっているがここでのんびり暮らすのも悪くないかもしれないと既に思い始めてしまっているのだ。
そんなことを考えながら歩いていればダニアンが言っていた八百屋を通り過ぎた。
そのさきに見える建物は心なしか今見てきた民家たちよりも大きく窓が多かった。
「ここが宿屋であってるのかしら……うんあってそうね」
建物一軒一軒マークのデザインこそ違えど皆一様にベッドのデザインを施した看板からここが宿泊施設帯であることは見てとれた。本日のゴールも確認できたので帯の1番最後まで行き1番最初の八百屋へ戻ることにした。
宿屋の入り口にはすでにオレンジ色の火が灯され中からは食事を用意したり風呂を沸かしたりする音と疲れを癒しに来たであろう人々のくつろいだような談笑の声が漏れている。本当にここが異世界でなければどれほど楽しめただろうか。宿泊施設最後の建物からその先を見れば木が生い茂りその先も見通せない程になっていた。そしてその森の入り口には崖から落ちるような人の看板が設置されていることからこの下は崖なんだとわかった。
「崖から落ちたら危ないわね、もう先へは進まないようにしましょうか」
端から引き返し始めればもう空は満を持したとばかりにオレンジ色に輝き出す。白い雲も今は夕日の力を借りて金色に染まっていた。急がなければ真っ暗になって道がわからなくなってしまう、と宿地帯を抜けかけた時だった。どうやら宿泊地帯の入り口が騒がしい。人をかき分け背伸びをしてなんだなんだと野次馬群衆の仲間入りをしてみるとそこには洋服屋を越えたところにあった八百屋があった。
何故八百屋如きでそんなに人が集まるんだろうとよく目を凝らせば小さな子供の姿が二つ見えた。
「ねえねえ、なんであの子供たちをみんな見てるわけ?」
疑問が自我を持ち気が付けば自分の隣にいた老人にそう話しかけていた。
「知らねえのか兄ちゃん、あれは人間じゃねえ。山の吸血鬼が飼ってるバケモンなんだ」
「化け物?アタシにはただの可愛い子供にしか見えないのだけれど。」
「お前さん山の吸血鬼の噂は知らんのか?」
「あ、そういえば今日教えてもらった気がするような…」
化け物と皆に睨まれる子供はどう見てもただの子供。双子なのだろう顔や髪型、服装がそっくり。2人とも左右は反対だが前髪を三つ編みにして流し、片方の子供は白くふわふわとした柔らかそうな髪。もう片方の子供は灰色がかった短い髪を頸で刈り上げていた。あれが飲み屋の店主が話していた化け物なのだろうか。本当に化け物にはどうしても思えなかった。百歩譲って店の品物を盗んだりしてるのならばこうやってガヤガヤされるのも致し方がないと思うが、ちゃんとりんご三つを店主に出し、お金も払っているように見えた。
「ちゃんとお金払ってるじゃない。いい子たちだわ」
「いいやあれは化け物だ!ワシが若い時にも一度見たが全く見た目が変わっておらん!」
「そのお孫さんとかってわけではなくて?それならあり得そうだけど」
「いんや、ありゃ絶対同じやつらだ」
「ふぅん………なんだかかわいそうな子たちね」
村人たちからこんな扱い受けて、という言葉は続かなかった。買い物を終えた双子は2人でしっかりカゴを持ち、お財布であろう巾着袋をしっかり握ってこちらに近づいてきた。皆小さな悲鳴をあげて道を開けたり後退したりして一気に人が動いたからである。
「ば、化け物!村にくるな!」
突然そんな声が群衆から飛び出し小石が投げ込まれた。辛うじて双子には当たらなかったもののそれを皮切りにこちらからもあちらからも、枝や小石が投げ込まれ始めた。双子は投げ込まれる障害物を避けるでもなくただじっと下を向いて小さい足で歩き続けている。もう少しで彼女の目の前にたどり着くという時だった。
一際大きな石が双子の持っていたカゴを直撃し双子の手から籠が、カゴの中に収まっていたリンゴか転げ落ちた。それを拾おうとかがんた子供にも一度当たってしまったからか遠慮はいらないと当たる障害物の数も増えていく。
見ているべきではない。
体が突然動き出した。
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