ウェスティア譚 1−2

ダニアンに酒場と言われていたのでどんなにやかましくむさ苦しいところだろうと思っていたが連れられてきた酒場は小綺麗で手入れの行き届いた良いところだった。

夢の国ネズミ〜ランドの中にあるコンセプトレストランのようで思わずはしゃいでしまうのは仕方がない。

入店を知らせる入口のドアベルがからんとなれば厨房からこちらも健康そうに日焼けした男が大声と主に顔を覗かせた。


「ダニアン!テメェまぁた仕事はサボりか!」

「いやこれは必要なサボりだからカミさんには内緒にしてくんねえか」

「どうしようかなぁ?」

「樽ストックしてやるからさぁ」


世界関係なく店の中でのお願い事はやはり酒を入れることなのかと笑いが込み上げてしまう。自分もお願い事を聞いてやる時はよく酒をストックさせていた。なんだかここは普段の日常と変わらない雰囲気を感じ取って自然と顔は綻んだ。


「お前その隣の上素っ裸の男は誰だ?いやにヒョロっちいが」

「初対面でヒョロっちいなんて失礼じゃないのかしら?このスーパー美ボディを見てもそんな感想しか出てこないなんて可哀想ね」

「なんだ坊主テメェ」

「おいおいオーナー、あんまり乱暴な口聞いたらダメだぜ。このお方は魔法使いでいらっしゃるんだ」

「魔法使いだぁ?確かにそれなら日焼けしてねえのもヒョロっとしてんのも納得がいくなぁ」

「だろ?きっとすごいお方なんだと思うぜ」

「だから聞いてるダニアンちゃん、アタシここに来る間もナンベンも言ったけど魔法使いじゃないって。」

「ダニアン!!こいつもこう言ってるじゃあねえか!魔法だなんて俺ぁ信じねえぜ」

「違うんすよ、きっと魔法使い様は謙遜なさってるんだ。」

「けっ、なぁにが謙遜だ」

「オーナーがあってるわよ。アタシ何度も使えないって言ってるわよ?アタシも魔法使いなんて信じてないからオーナーとは気が合いそうね」

「そら見ろ、坊主本人がそう言ってんだ」

「ちょっと!さっきから気になってたけど坊主呼びなんて失礼じゃなあい??アタシ坊主なんて言われる歳じゃないわよ!ひどいわね。お姉さんって呼びなさいよ」

「いんヤァ俺には20そこらの坊主にしか見えないぜ?」

「ヤァだオーナーったらお世辞が上手なんだからぁ〜」

「お世辞じゃねえよ本心だよ。20の若造に出す酒なんてねえ。帰った帰った」

「そんなこと言わずにオーナー、飲まさせてくだせえよぉ」

「オメェ1人で飲めばいいだろうがよ。坊主は指咥えてみとけ」

「オーナー。アタシ30代よ」

「30代!!???」


ダニアンとオーナーの声が重なった歪な不協和音の爆弾が鼓膜を大きく振るわせた。キーンという残り音を残してしっかり静かになってしまったこの場所に、反射で閉じた瞳をそろそろと開く。

信じられないと言った様子で叫んだ時の表情のままポカーンと口を開きっぱなしにしている2人と目があってしまった。


「何よ。あまりの美貌に石にでもなっちゃった?」

「お前さんやっぱり魔法使いさんでねえの?」

「はぁ??オーナーも裏切り者になるの???」

「な、だろ?言ったろオーナー。このお方は魔法使いさんなんだよ」

「違うわよ。」

「若返りの魔法とか使ってるんだろ」

「使ってないわ」

「じゃあなんでそんな美貌を30代にもなって保ち続けられるんだよ」

「化粧水。と日々のケア」

「化粧水?どこの泉の水だ?聞いたことねえな」

「泉の水じゃないわよ。頭のいい美容のスペシャリストたちが手に塩をかけて作ってくれたお薬よ」

「さすが魔法使い様はしもべ達を侍らせて、それでいて独自のお薬まで作って日頃お使いなさるんですね…」

「しもべ????アンタなに言ってるの。なんで何言っても魔法使いになるのよ脳内どうなってんの。ここの人たち怖い」

「ささっ、カオル子様何を飲みます?俺が奢りますんで」

「魔法使いさんなら安くしとくよ!その分ダニアンにふっかけるから安心して飲んだ飲んだ!」

「オーナー、今月金欠なんすよ俺!?」

「じゃあなんで連れてきたんだよ!またツケる気かい?」

「いいわよアタシが出すから」


そういえば忘れていたがブワブワぐちゃぐちゃシュワーっとなってここに来る前に100万円を貰ったのだ。正しくは円ではなくここで流通している通貨なのだがそんなのは関係ない。敵対視されていないだけ感謝すべきか、それにここでのお金の使い方を今学んでおくのもいい機会だ。尻のポケットから綺麗な札束を取り出してとん、と机に置いた。


「オーナー、これで足りるかしら?」


突然見たこともないような札束を机に置かれて仕舞えばオーナーとダニアンは本日二度目の石化。

『魔法使いさんは金持ちなんだなぁ…』と言われたところでしまった、と思うも時すでにお寿司。にぎにぎ。いや遅し。

まあこの反応を見るに余裕のよっちゃんで足りることが判明した。


「とりあえずここの通の人はまず何を最初に頼むのかしらぁん?」

「やっぱり酒場に来たらビーリャがどの店でも普通ですぁ!」

「ビーリャ?どんなもんかしらそれは」

「何!?ビーリャを知らねえとは魔法使いさん、人生損してまっせ。すぐ用意しますんで!」


厨房に引っ込んでいったオーナーは大声で奥さんを呼んでいるようで妻の名前であろうものを連呼しながら樽のような材質がボコむとぶつかるような軽やかな音が何度か聞こえた。

ビーリャ…名前だけからしたら薫が元いた世界のビールというお馴染みのやつに似ていそうだとまだ見ぬ酒に心を躍らせる。異世界に飛ばされても知らないお酒を飲めることはここに来てよかったと思える数少ない利点のうち一つだ。というかここに来てからまだこのビーリャというものに出会う以外いいことは起こっていない。それによくよく考えればビーリャが美味しいものかも確証がないのだ。さてどんなものが出てくるのかと身構えているとご対面の時は意外と早く訪れた。


「へいビーリャお待ち!」


どん!と音を立てて肘をついていた木製のカウンター小さな樽を模したカップが置かれる。大きさは慣れ親しんだジョッキと瓜二つで小さな既視感に口の端がゆるりとつりあがった。

ホップの独特なこの香り、シュワシュワと声あげるこの男、そして黄金がかった液体とこぼれ落ちそうなほどのもちもちとした泡。間違いない。親の顔より見たお酒ビールだった。


「やだぁ!ビールじゃないお久しぶりね元気してた?アタシあなたに会えなくてとぉっっってもとってもとっても寂しかったんだからぁん!」

「魔法使いさんビーリャ知ってたんか」

「名前が違うから何事かと思ったけどアタシがいたところでもあったわよこれ。アタシこれを人様に売りつけて自分もご馳走になる仕事してたの」

「そりゃすげぇ!イリファの女みてぇじゃねえか!」

「オーナー、イリファなんぞに行ったことがあるんですかい?」

「いんや、あんな金が酸素より早く減っちまうとこなんて一生かかっても行けやしねえ。でもすげぇな魔法使いさん。まぁこんだけ別嬪さんなら当たり前か」

「イリファ?イリファってよくわからないけれど褒められてるのはわかったわ」

「魔法使いさんは知らねえことが多いんだな。イリファっつうのはリスタチア跨いで真っ直ぐ国を渡った別の国だ」

「待って待っって?リスタチアって何?」

「リスタチアも知らねえのかお前さん!」


ガキでも知っていると言う言葉もこの世界生まれでは無い彼女には特になんのダメージも与えない。本当に知らないからである。素直に知らないと言えば親切に奥から地図まで引っ張り出してきてオーナーとダニアンは教えてくれた。


「ほら、この地図にはここら辺の五大帝国が乗ってんだ。この地図に載ってる国は四つの国が円を描く様に存在していてなぁ?見てみぃ?」


言われるがまま覗き込んでみれば確かに。真ん中の綺麗な円をドーナツの穴とするように同じ大きさのパーツの国が円を作っている。小学校の地図資料集で見た東西南北がかっちり適合されそうだ。オーナーはその四等分されたドーナツのパーツを指差しながら丁寧に国名を読み上げた。


「北のサウスィア、東のイリファ、南のナフィア、んで西のウェスティアだ。」

「へぇ……ドーナツ分けっ子したみたいな形ね。」

「そうだぜぇ?ガキの頃寝る前に読んでもらった絵本にゃこの国は神様が食べ残したドーナツだって書いてあったなぁ懐かしい……んで空いたドーナツの穴の位置になってるこの国が中央国リスタチアだ」

「真ん中にあるってことは強いの?」

「いんやぁこの五つの国はぜぇんぶ対等にはなってるぜ」

ってところ引っかかるわね」

「さっすが魔法使いさん見る目があるね」

「やだぁ!褒めても何にも出ないわよぉ」


酒の場になればもう自分のターン。せっかく必要な地理学習のお勉強の空気だったのにあっという間に場を見知った環境とそっくりにしてしまう。異世界に飛ばされて記念すべき一杯だ。小難しい話の前に冷えた状態で美味しく頂きたい。『カオル子いっきまぁす!』なんて何処ぞの主人公がいいそうなセリフのあと滑らかな木製取手を手で掴みぐいぐいと喉の音を鳴らして胃へ送りきってしまった。


「おぉ〜!」

「いい飲みっぷりだなぁ!魔法使いさん」


アル中カラカラの体に染みる冷えたビーリャの感覚は心地よく、まだ昼間だと言うのに『っくぅ〜!』と声を上げてしまう。


「糖分補給ならぬアルコール補給しただけよ。さてお話の続きを聞きましょうか」


ジョッキ一杯…いや小樽いっぱい分のビーリャを摂取すればにっちもさっちも行かずにくたくただった体と脳みそもしゃっきりと起き上がる。自分で飲み屋のテンションにしておいて一応この世界では常識そうだから知っておこうとまたお勉強の雰囲気を要求した。


「コロコロ変わって大変そうだね魔法使いさん、まぁいいや…どこまで話したかな」

「一応五つの国が対等だってところまでよ。ちょっとまって話し始める前にビーリャおかわり。それと適当なおつまみも頼んで」

「俺まだ一口も飲んでねえのに魔法使いさんはもう2杯目かいな」

「もうアタシがこの際魔法使いでも童貞でもそうじゃなくてもどうでもいいからその呼び方やめてちょうだい、カオル子って呼んでよ。言いづらいでしょ」

「確かに言いずらいでっせ…すんません、カオル子さんって呼ばせてもらいますわ」

「はいはいもうそれでいいわよ。アタシもちゃんと妥協するわ」


呼び方をやっと魔法使いから矯正できたがまだ求めることは多そうだ。だが妥協して彼も自分自身を希望の名前で呼んでくれたんだからこちらもさんがつくのは許してやらなければならない。

ダニアンがオーナーに注文をしている間に復習復習、と地図を指でなぞった。


「ねぇダニアンちゃん本題に入る前に一つ質問いいかしら」

「あい!なんでもおっしゃってくだせえ」

「アタシが今いるここはどこの国なのかしら?」

「そんなことも知らずに一体どうやってここまで来たんです?さっきからあまりにもここのことを知らなすぎる」

「それがねぇ、アタシも一体何がどうなってこうなってるのかわけわかめ」

「と、言いますと?」


特段隠しているわけでもなく、それに誰かに話さないと一人分の脳みその容量を遥かに超える。喋ったからと言って殺されるなどは一言も言われなかのでまた新しく運ばれてきたビーリャをちびちび啜りながらここに至るまでの経緯を彼女は簡単に説明し始めた。

自分はこの世界の生まれではないこと。

元いた世界で死んで気がついたら真っ白な空間にいたこと。

めちゃくちゃ綺麗な子供とお話ししたこと。

願い事を言ったら百万円を貰えて目が覚めたらあの土の道に寝ていたこと。

そして今自分を投げた張本人と側からみたら仲睦まじく酒を飲んでいること。

自分で言葉にしてみるとやはり自分でもあり得ないことだと思う。目の前のダニアンも真剣に聞いている様だが目の輝きが物語を読みきかせしてもらっている子供のそれだからあまり信じてはいないんだろう。

信じてくれるとは思っていなかったため傷付くことはなくやはり自分以外でも信じられないのだと言う安心感を抱いた。


「へぇ………そんなことがあったんですねぇ」

「そ。信じても信じなくてもどっちでもいいけど取り敢えずお酒は程々にしなさいってことだと思うわ」

「教訓ですね…じゃあ俺も今日はビーリャ一杯で我慢しようかな。」

「ぜっったいできないと思うわよそれ。」

「ですよねぇ」

「あら?もしかしてあり得ないくらい話の論点動いたかしら?」

「言われてみれば。一応対等の理由話からビーリャは程々にって話に変わったじゃねえか」

「アタシったら言葉のキャッチボール下手くそなのね…………」

「カオル子さんと話すの楽しいんで無問題!じゃあ順番に今どこにいるのか話してきますわ」


そんなことないとフォローしてくれたダニアンは再び地図に視線を落とす。そしてとある国の一点を指差した。


「今カオル子さんがいるのはここだぜウェスティア。まあ正確な場所を言うとウェスティアの中の1つの土地、マディルトさ。因みに俺は生まれも育ちもこのマディルト。都市から若干離れてちゃあいるが田舎すぎずのどかで平和な所が好きだぁ。此処からもっと奥に行っちまえば崖ばっかりの住みにくい所だから、こうやって普通の生活をするのは此処が限界さ。」

「じゃあ人が住んでる場所も此処を越えちゃったら終わりなのねぇ」

「いやぁそれがなぁ…………」


突然怪しげな表情で語り出す彼にピタ、とアルコールを摂取する手が止まってしまう。


「実は此処を超えた場所の土地の名前はセロプアっつうんだがな妙な噂があるんだ」

「噂?」

「そうだぁ。実は魔術を使い人を食っちまうコワァイコワァイ吸血鬼が住んでるっつ〜噂だ」

「ギャァああああああああっっ!!!!!!……ってなにそれ、アタシの話よりそっちの方がありえないじゃない。」

「それがそったらあり得ない話じゃねえんだ。何百年も前からそう噂されててそこの吸血鬼が飼ってるメイドがたまぁに此処に買い物に来るんだ。そのメイドの姿を見たやつは何人もいる。本当に何年も何十年も見た目が変わらねえガキなんだとよ」

「へぇ、不思議な話ね。まあ魔術を使うって所も吸血鬼だって所も信じられないけど。でもその吸血鬼もアタシと一緒で勘違いされて可哀想に」

「魔法使いさんそりゃいけねえ。」

「なにがよ」


突然厨房に引っ込んだはずのオーナーが怖い顔を覗かせた。


「今魔法使いさんと吸血鬼のバケモンが同じで可哀想にっつったろ」

「ええ、まあ言ったけど。」

「魔法と魔術は全くの別もんだ」

「えぇ?そうなの?」

「嗚呼、この国じゃあな魔法と魔術は違ったもので魔術使いだなんてことが知れ渡ったらされちまうんだ」

「えぇ!?嘘でしょ重すぎない???!!!」

「しーっ!!そんなこと言ってるのが聞かれて密告されちまったら命の危険がありまっせカオル子さん!」

「ちょっと前にそんなこと言ってたやつがこの間連れてかれたんだ。あんまりそう言うことぁ言っちゃいかんねぇ」

「アタシずーーーっと、それこそちっちゃい時から魔法も魔術もおんなじもんだと思ってたんだけど」

「此処の国では違うんだよそいつぁ。」


オーナーはなぜそこまで魔法使いと魔術使いが差別されるのかという話を詳しくしてくれた。


「まず第一の常識としてこの世界では当たり前に『魔法』つーものが存在するんだ。この魔法っつぅのはそれを使う人間が体と精神を鍛えて神様に祈り、神に許されたものだけが使えんだ。俺の甥っ子もこの間儀式を受けて魔法が使える様になったんだぁ」

「そりゃあおめでたいわね。」

「嗚呼、んで魔法を使うったってなにもなきゃぁ使えねえ。杖を媒介にしたりを媒介にしねえと魔法は使えねぇんだ」

「あぁ!魔法の杖ってやつね!小さい時は憧れたなぁ…自分の身長と同じくらいの杖に綺麗な宝石がはまってて…憧れちゃう」

「でも此処で魔法を使うときは杖か魔法石のどちらか一つでいいんでさぁ」

「へぇ!ならアタシのピアスについてる誕生石でいけるかしら?」

「おぉっとっと!注意しねえといけねえのがこの時に使う魔法石は普通の宝石と違うっちゅーことだな」

「普通の宝石と違う?どう言うこと?」

「俺もそりゃあわからねえんだが…」

「わからないのに全部知ってるみたいに話始めたのアナタ!?」

「オーナーは話に持ってくのはうまいのに…」


しっかりしなさいよとオーナーの方をバシバシ叩きつつ談笑に花がさく。もう店に来てから余裕で一時間以上はたっているのだろう。薫が話に熱中していて気が付かなかったがこの店の中には1つ人影が増えていた。

オーナーが気がつくために取り付けられたドアベルも音を出したのか怪しい。それほどまでに静かに自然にその影の主は店内に存在し、そして彼女たちの会話に耳を傾けていた。


「残念、面白い話だと思ったのになぁ」

「悪いな魔法使いさん、今度までに話のオチ考えとくんで…」

「考えちゃダメでしょ正しい情報を伝えなさいよ」

「じゃあ貴方は魔法石と普通の宝石、なにが違うと思う?」

「え?うーんなんだろう………ん?」


突然飛んできた視線に3人は正直に考えてしまうが違和感に思考を停止し目を合わせる。今までずっと3人で会話をしていたため別の所から質問が飛んでくるなんて霊体験以外では絶対にありえない。声の主を探して後ろを振り返ると溢れんばかりの柔らかな肉体をほぼ下着のような硬い甲冑に収め込み、顔にかかった赤い髪の毛を耳にかけ直す女がたっていた。


「お客さんいつからいたんだい!」

「貴方達が地図を見てドーナツだなんだの言っていた時から話は聞かせてもらってましたよ。」

「いやあうっかり話し込んじまってドアベルが鳴ったのにすら気が付かなかった悪いな悪りぃな。んで嬢ちゃんはなにを飲むんだい?」

「そうですね、私も冷えたビーリャを一杯いただきましょうか」

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