ナフィア譚 2−1

どうにかこうにか早足で歩き、空がオレンジ色と青色に混ざる色に姿を変える前に目的としていたエリアまで足をすすめることができた。ベルベット監修のもと地図で大体の場所を把握したがまだ国境付近には遠いそう。どれくらいまだまだかと言われればどんなに早く歩いても最低あと丸1日は山を越すのにかかるくらいだそうだ。

綺麗な水の湧く泉の近くに荷物を下ろして一段落した一行はテキパキ迫り来る夜に向けて支度をしている。

ベルベットは本を開いて最低限の物品を取り出して組み立て、アトラスは拾ってきた枝と石を組み合わせて簡易的な焚き火の元を制作。モノとジノはそこらへんに生えているであろう野草や山菜を摘みに行った。

カオル子だけが何をしたら良いのかわからずにぼーっと突っ立っている。


『どうしましょ。アタシ言い出しっぺなのになんの役にも立ててないわ。今こうしてみんなが一夜を過ごす準備をしてくれてるのにアタシなんて何すればいいかわからず棒立ち?怪我人のアトラスちゃんや子供のモノちゃんジノちゃんが頑張ってるのに?嘘ありえない。いっぺん埋まりなさいカオル子。』

「おい。暇なら水でも汲んできてくれ。」


どんどんのめり込んでいく自己嫌悪はベルベットの言葉によって断ち切られ、崖っぷちからこちらの世界へひきずり上げられた。相変わらず仏面の彼は鉄の鍋のようなものと大きめの木製たらいの様な物をカオル子に差し出していた。


「わかったわ!任せて頂戴!すーぐやっちゃうんだから!」


これ幸い仕事を見つけたと喜んでそれらを受け取り駆け出していくも進行方向は泉とは全くの逆でベルベットの指摘がなかったら彷徨っていたことは確実。きた道を引き返して正しいルートを歩けばすぐ目の前に透き通った水の塊が見えた。言っていた泉はここで正しいだろう。水を掬うためにしゃがみ込んで近づけば底に丸い石が敷き詰められていることも魚が少し泳いでいることも見てとれた。生態系を邪魔しないように土埃を立てないように、そっと上部分の水をたらいと桶に組みさあ行こうと思ったところで気がつく。この大きさのたらいを運ぶには両手を使うしかない。と言うことは手桶は今運ぶことができない。往復しなければいけないがまあそんなのへこむことでもないとたらいを持ち上げれば予想よりずっしり重い。


「え゛っ………死ぬほど重いんだけど。」


双子を両脇に抱えたし抱きもするがそれ以上の重さ。指先が重みで伸び激痛が渡ってくる。でも運ばなくては。せっかく与えられた仕事なんだからと小鹿のようになって歩けば彼の腕の中の水はちゃぷちゃぷ横にずれ上にずれ、カオル子の服を濡らしていく。こんなに大量に汲まなければよかったと後悔して十分ほど格闘すればようやくベルベットたちの待機するところへ辿り着いた。指示された焚き火の子供の横に置いて眺めれば汲んだ時よりも随分減っている。満タンに汲んだはずなのに今桶の中に見える水は7分目ほどしかない。


「服びっしょびしょだな。センスがない。」

「アタシもこんなになるとは思わなかったのよ…はぁ、疲れた重い」

「座るな。手桶もってこい阿呆」

「げっ!忘れてたわ」


腰の痛さにどっかり座り込むもベルベットの手桶の指摘にまたすぐ腰を上げて駆けていくしかなかった。泉のほとりへ再び辿り着けば満タンの水を腹に含んだ手桶だけがポツンと待っていて思わずカオル子はため息を吐きながら隣に腰掛ける。今日1日で嫌と言うほど感じた自分の無力さ、無能さに再度深いため息を吐きながら。


「アタシが行こうって、一緒に行ってって言い出したのにね、アタシが1番役に立ってないの。何にもできてないし。火の起こし方も、食べられる草の見分け方も、料理の仕方も、正しい水の運び方もわからない。危なくなった時にアトラスちゃんやベルちゃんみたいに立ち向かっても行けない。アタシができるのなんてモノちゃんジノちゃんと隠れてるだけなんだわ。アタシってダメなオンナね」


そんなことないよと手桶は慰めてくれない。そうだそうだとこちらを責めることもしない。ただじっと黙ってそこにいてカオル子を見つめるだけ。手桶の中の水にオレンジ色の空が映っている。カオル子が運ぼうと手桶を持てば水面は酷く揺れて空は無くなってしまう。カオル子はその手桶に触れられずにいた。

先ほどは水を汲んですぐに顔を上げてしまったが今度は何もせずに泉を除いてみる。そこにはらしくない顔で泉を見つめるカオル子の表情が映っていてその顔の中を魚は優雅に泳いでいく。


「あらやだアタシ酷い顔じゃない…らしくないわねアンタがそんな顔なんて。まあそりゃ1番無能なことを思い知っちゃったら、無力さを感じちゃったらそんな顔にもなるわよね。…………何で暗い顔のアタシをアタシが肯定してるわけ?」


だがカオル子はそんな自責の念に駆られて暗くなっている顔を慰める人間ではなかった。いつでも明るく楽しく乙女を宿し輝いている顔を求めるオネエだった。憂を帯びた顔はセクシーだなんて言葉をカオル子も知っているが無力に打ちひしがれる表情が憂を帯びた表情とは言えないだろう。諦めは決して美談ではないのだから。これはあくまで自論だが。彼女は泉に映る自分の暗い顔を掬い取ると思い切り自分の顔面に叩き付けた。冷たく柔らかく透明な飛沫が顔の柔らかい皮膚に当たって弾けて溢れていく。もう一度掬い叩きつけ、もう一度掬い叩きつける。柔らかくもあるが衝撃で硬い痛みを与えてくる水は自分を叱責する自分のビンタだろう。自責の念が消えたわけではないがもう彼女の頭の中から自分の非力さをただ嘆く声は完全に消え去っていた。


「無力だったら力をつけなさいな!守られる人間をやめたいなら守る人間にグレードアップしたいなら努力しなさいな!アタシが美貌を身につけた時も、お仕事で笑顔でいられるようになったのも全部努力の賜物でしょうが!アタシはスーパービューティー乙女だけど努力しないで何か得られる天才じゃないんだから努力をしなさいのめしコキ!!」


最後に大きく水を叩きつければカオル子の覚悟は決まっていた。手桶を握る前に少し当たりを見渡せば手頃な大きさの剣にも見立てられそうな枝を見つけて飛びついた。一度試しに振ってみればびょうっと風を引き裂く音が聞こえる。子供の頃紙を丸めてチャンバラごっこをしたり公園でかっこいい枝を意味もなく持ち帰った少年の日の思い出が戻ってくる。できないならば練習すればいい。そうしてゆっくり、でも確実に身につけていけばいい。絶望の瞳は消え去り青空を押し固めた宝石のような瞳には光が戻っていた。早くベルベットのところに戻らなくてはと手桶を持って歩き始めた。


「手桶も重っ!」


決心をしただけでは力なんて変わらずに手桶は重い。だが先ほどよりは水を零さずに運べている。…気がするだけかもしれないがベルベットのところに辿り着くまでに服は濡れなかった。


「ただいま〜」

「遅かったな。熊にでも食われたかと期待していたのに」

「期待?心配の間違いでしょベルちゃん」

「まあまあ。」


ベルベットの相変わらずの憎まれ口に対抗するカオル子を見て少し彼は安心したのだろうか。何でもないとため息を吐けば満足したのかカオル子の話を遮断した。


「すーぐアタシの言うことが聞こえなくなっちゃうんだから…」

「カオル子さん!見てください!キジを捕まえましたよ!」


いつの間にかついていた火に水で冷たくなった手をかざしていれば頭に鳥の羽を数本つけたアトラスが嬉しそうに大きなキジを2羽掲げて見せてきた。こんなもの弓矢も無しにどうやって捕まえたのだろうか。聞けば巣を見つけたから後ろから登って捕まえたそうでどうりで頭に羽が刺さっているわけだ。


「アトラスちゃんパワフルねぇ…」

「パチンコ玉もなくて弓矢もないのでしょうがなく登りました!」

「ちん…」

「黙れカオル子。それ以上阿呆が増えることを言ったら君の夕食はなしだ。」

「ひっどぉい!」

「酷くない妥当。そんなことを言っている暇があるならモノとジノの手伝いをしてやれ。」

「言われなくてもお手伝いはしますよーだ!」


何やら作業をしている双子を覗き込めばどうやら夕食の支度をしているらしい。包丁やまな板はカオル子が汲んできた水で清められ、そのついでに摘んできたものたちも土を洗い流されて水々しくそこに存在していた。


「今日のご飯は何かしら〜?」

「スープだよ…」

「根っこが抜けたから根菜たっぷり葉っぱたっぷりスープ…」

「あったまりそうね〜!」

「うん、それにキジをツミレにして…」

「出汁とっておいしくする…」

「プロじゃないの。あ、アタシ何かすることある?」

「カオル子ちゃん、お鍋にお水汲んできてほしい…」

「スープのおっきいお鍋にお水汲んできてほしい…」

「水汲みね!アタシプロだから!任せて!」


どうやらここでのカオル子の仕事は水汲みであることが半決定しているらしい。反論もせずに細い持ち手のバケツが退化したような鍋を引っ掴むと川原へと猛ダッシュした。もうこの道を通るのも3度目。徐々に薄暗くなっていくのを感じながら綺麗な水を汲めば双子の元へ駆け戻った。もちろん水の溢れは最小限になるように意識しながら。


「はい!汲んできたわよ!」

「ありがとう…」

「あそこの火にぶら下げて…」

「あそこね!わかった!」


いつの間にやらアトラスが用意していた焚き火の元には火が灯り何やら鍋をぶら下げるような棒まで組み立て、設置してあった。さすが慣れている人は違うなぁ…なんて呑気に思いながら鍋をぶら下げれば、重みに軋むこともなく火の真上に安定する。そういえばベルベットは何をしているのかと顔を上げればすぐ近くの木の枝に何やら布を結びつけ、1人で呑気にハンモックを拵えて遊んでいた。

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