ウェスティア譚 6−1

カオル子が意識を取り戻してから、彼女の回復は早かった。柔らかいベッドと肌触りのいい洋服と暖かい日差しと何より提供される美味しい食事。回復が早まるように魂を弄ったとは聞いていたが治りを実感できるのはそれだけのお陰ではないのは明白だ。ただ一つ体調が回復して困ることがあった。


「ねぇ〜ベルちゃん暇。」

「まだ歩けないんだから仕方ないだろう。大人しく寝ていろ」

「え〜寝過ぎて寝れないわよ。もう一生分寝てる。」

「じゃあもう今後は眠らなくてもいいじゃないか。よかったな。」


時刻はお昼を過ぎていたが丁度起きたばかりのこの家の主、ベルベットはそんなカオル子に寝起きで不機嫌なまま言葉を返した。お昼を過ぎても起きてこない場合、モノとジノが起こす決まりになっているらしい。それをお願いした当の本人はいつも不満げに起きてくるそうだ。


「アンタの眠気を貰ったら寝ていられる気がする」

「冗談はやめろ。私の中の唯一の趣味を奪う気か?」

「趣味すっくな。他に趣味とかないの?」

「嗚呼。読書をしたり興味のあることをとことん調べたり…くらいしかないね」

「一個ってなに。結構あるんじゃあないの。」

「細かいことなんて気にするな。めんどくさい」

「めんどくさいって言っちゃったじゃないの。投げやりね」


流石に何かがないともう限界だ。散歩でもして気分転換をしようと少し歩くととまだ骨が軋むように痛むので思うように歩き回ることは困難で、どうにか寝たままでも手にすることのできる娯楽に飢えていた。眠ったままでもできる娯楽にカオル子は思いを馳せた。

任地堂スイッチョベルダの伝承…。まだ始めたばかりだったがもう二度とあの画面とその世界を走り回る金髪の少年を拝むことはできないだろう。おスマホ……。これも当たり前にない。ポケットに入っていたりしなかったかと考えるも仕事場のロッカーの中にしっかりしまっていて持ってはいなかった。ルービックキューブ……。貰ったが最後、完成させることもできずに部屋のオブジェと化してしまっていたがこんなに暇ならあればよかったのにとすら思ってしまう。もう身の回りにあった暇つぶしのネタが尽きてしまったのかヘッドデスクに寄りかかり唸っていると今日の薬が手渡された。


「どうした唸って。体が痛むのか?」

「そりゃあまだ痛むけど唸るほどじゃあないわ。何か暇を潰せるものがないか探してたの。」

「ほぉ。自分で考えるとは関心だな。ほら、薬だ。飲んでしまえ」


爽やかなレモンとミントの香りのする透き通ったエメラルド色の薬品。エグみは無く、少し煮出し過ぎた紅茶のような味だ。毎日ベルベットが起床してくると飲まされるこの薬は傷の治りを速め、倦怠感を払拭してくれるモノらしい。効果も詳しい理由もよく理解できていないがもうこの男は何もしてこないだろうという何処からか湧いてくるのかわからない信頼感に反論せずに受けとって飲むしかなかった。まあ事実飲んでいても体調が悪化したりだとかはなくて毎日確実に回復しているのを感じているためかもしれない。初めて飲まされたあのカブトムシ飼育ケースの土の匂いの薬ほど悪臭と苦味が広がるものでは無く、まだ飲みやすいモノだった。


「この間の痛み止めもこれみたいな味にできないの?」

「良薬は口に苦しと言っただろう?」

「じゃあこれは良薬じゃないの?」

「僕が作ったのは全て良薬だばか」

「バカってひどいわね…でもアタシもこう言うの作るの憧れちゃうちっちゃい時こういうおままごとしてたわ」

「本を読んで材料を集めればできる。」

「ほんとに!?アタシもその本読んでみたい!!」

「ほんとか?難しいが…まあ暇なら本を読んでいれば暇潰しにもなるし。」

「名案じゃない!面白い本にしてね。難しいの読めないから」

「難しい本はないよ。僕も愛読しているからね」

「アンタが読む本が難しいんじゃないの?」

「そんなばかな…」


ちょっと取ってくるから待っていろと彼が部屋を退出するとまた静けさがやってくる。彼の歩く音からは足音が一切作り出されずにまだ一週間と数日しか経っていないが関心してしまう。ぼーっと今日も艶めく外の森の木々を眺めていると彼とは違う小さな足音がパタパタと響いてきた。


「カオル子ちゃん……」

「…カオルちゃん…」

「あら!モノちゃんとジノちゃんじゃないの!どうしたの?」

「あのね…ベル様が絵本貸してあげるって言ってたからね…」

「あのね…ベル様が本読ませるって言ってたからね…」

「お紅茶…入れてきた…」

「お紅茶…用意した…」


うんうん相槌を頷きながら話を聞けばなんとも可愛い、紅茶をわざわざ用意してくれたのだ。彼ら2人は勝手に動くワゴンを従えているわけではないようでえっちらおっちら落とさないようにお盆に乗せて紅茶の入ったティーポットとティーカップを手で運んできた。身を乗り出して手で紅茶を受け取ると意外に重く、よく2人で持ってきたなぁと素直に関心してしまう。


「ありがとうねぇ!とってもいい香り〜!」

「カモミールティー…」

「カモミールのお茶なの…」

「ほんとねぇ!モノちゃんとジノちゃんが淹れたの?火傷してない?大丈夫?」

「うん…頑張った」

「うん…火傷してないよ」

「じゃあ優しさに甘えていただくわね」


熱い琥珀色の紅茶を啜れば爽やかな梅雨前の空や天候を移しとったような風が鼻腔を駆け抜けていく。体の力がホッと抜けてポカポカと体が温まっていく。あまり紅茶に親しんできた人間ではないもののこの紅茶がとても上品で高級なモノだと言うことが理解できた。


「本読みながら楽しんでね…」

「おかわり欲しかったら言ってね……」

「ええ勿論!楽しんで大事に飲むわねありがとう」


ローテーブルの端にそっとティーポットを置けばモジモジとコチラを見てなかなか退室しようとしない2人を見てカオル子は『どうしたの?』と声をかけた。しばらくゴニョゴニョと小さい声で聞き取れなかったが根気強く耳をそば立て続けるとようやく言っていることの意味が聞き取れた。


「…また…撫でてほしい……」

「また…頭…撫でてほしい」


なんて愛おしい双子だろうか。眠っていた母性本能が大きく刺激されてキュンキュンと胸が高鳴ってしまう。勿論、撫でない理由なんてあるわけないだろう。ティーカップもポットの隣に置くと紅茶で温まった手で2人の頭をぬいぐるみを撫でるように優しく優しく撫でた。双子は顔を見合わせてニコニコと笑っている。この子達と出会ってまだ一週間と少ししか経っていないのに固かった表情も随分蕩けて柔らかくなっている気がした。


「また撫でているのか。」


そんな声と共に本を5、6冊持っていたベルベットが現れた。その姿をみればカオル子の手の中からどいて彼の足にまとわりついた。


「別にいいじゃないの。可愛いんだから。ねー!モノちゃんジノちゃん」

「モノ可愛いの?」

「ジノ可愛いの?」

「ええ、とっても可愛くてすぐに撫でちゃいたくなる」

「あまり甘やかすな。赤子返りするだろう?」

「赤ちゃん返りしたらまた育てればいいのよ。」


「全く…お前ってやつは。ほら。この本は自由に読んでいい。読み終わったら教えてくれれば新しいものを持ってくる」


ドサドサとベルベットが運んできた書物がティーカップが乗っているローテーブルへと置かれた。どれも表紙の紙の色が色褪せており、題名を掘った金色の文字も微かにしか読めないため、どんな本なのかパッと見わからない。取り敢えず一番上に詰まれているくすんだ赤色の本を手に取ることにした。


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