第4話

おばあちゃんちから帰ってきた翌日。

僕はいつも通りの時間に目覚めた。

いつも通りの時間に朝ご飯を食べ、いつも通りの時間に登校した。

ただ、いつもと違うのは、授業中にぼんやりする事が多くなった。


先週末、僕は一人でおばあちゃんちに行った。

しっかりと計画を立て、しっかりと予習もしたつもりだった。

でもちょっとした失敗で僕はすぐにダメになってしまった。

情けない。

僕はもっと強い男だったと思っていたのに。

ちょっと転んだり、ちょっとぶつかったりしただけで泣きそうになるとは。

あの時お姉さんがいなかったら泣いていたかもしれない。


あのお姉さんは、何で僕を助けてくれたんだろう。

たまたま?

でも、迷子になった僕をわざわざ見つけてくれたのは——


「——じゃあこの問題を藤宮くん」

「え、あ、はい!」

急に先生に呼ばれてびっくりした。

今は算数の時間。

先生が指している式を見て素早く頭で計算する。

「42です」

「よろしい。では次の問題を——」


「ただいま」

学校が終わり、僕は家に帰ってきた。

今日の僕は散々だった。

算数はどうにかなったものの、体育の時はボールが顔に当たるし、給食では牛乳をこぼしてしまった。

こんなので僕はちゃんとお兄ちゃんになれるのだろうか?

「おかえりー」

リビングの方からお母さんの声が聞こえてきた。

「つばさー、今日の夜ご飯何食べたいー?」

リビングに行くとお母さんがソファに座ってテレビを見ていた。

「別に何でもいいけど」

「そういうの困るー。何でもいいから食べたい物考えて」

「え……じゃあハンバーグ」

「ハンバーグかぁ……」

お母さんは少し渋い顔をした。

何でもいいって言ったのに。

お母さんはのそのそとキッチンへ移動し、冷蔵庫を開けた。

「材料は……ある。ということは後は私のやる気次第。うーん……えーい、頑張れ私。えいえいおー!つばさ!待ってて、お母さん美味しいハンバーグ作るからね!」

僕に向かってビシッと親指を立てる。

「うん。じゃあ、僕宿題するから」

「頑張れー、フレフレー」


自分の部屋に戻る。

今日の宿題はそんなに多くない。すぐに片付けられそうだ。

ノートを開くと、残りのページが少ない事に気づいた。

「新しいノートあったかな……」

引き出しを開ける。いつもはそこに新しいノートを何冊か置いてある。

けれども、今は一冊も無かった。

どうしよう、家のどこかにあるかな。

一旦リビングに戻り、お母さんに声をかける。

「お母さん、新しいノートってどこかにある?」

キッチンからお母さんの声がする。

「えー、ノートぉー?部屋に無いの?無いなら無いかなー」

困った。

「もう無かった。ノート買いに行っていい?」

「えー、今からぁー?もう少ししたらお父さん帰ってくるから、お父さんと一緒に行ってー」

「わかった」


ハンバーグの焼き上がるいい匂いがしてきた頃にお父さんが帰ってきた。

「ノート?よし分かった。ご飯食べたら行くか」

「出来たー!ほら、お皿持ってて。お父さんは早く着替えて」

家族三人揃ったところで夜ご飯の時間となった。


「美味しい?つばさ」

「美味しいよ。ご飯お代わり」

「よしよし、いっぱいお食べ」

「僕もお代わり」

「お父さんはダメ。ダイエットしなさい」

「そ、そんな……」

「じゃあ、半分だけだよー?」

「ありがとうございます。ありがとうございます」


夜ご飯を食べ終わった後、僕はお父さんと駅の方へ向かった。

いつもノートを買っている文房具屋さんはまだ開いていた。

「ギリギリ間に合ったな。ほら、ノート買っておいで」

「うん」

ノートを買い、店を出る。

家に帰ろうとしたところでお父さんが真面目な顔して話しかけてきた。

「つばさ……お父さんちょっとトイレ行っていいかい?」

「え、うん、いいけど」

「すまんね!すぐ出してくるからちょっとそこで待っててくれ」

「うん。ゆっくりでいいよ」

お父さんはトイレに向かい、僕は買ったノートを確かめ、何気なく周りを見渡す。

ドクン、と心臓が高鳴った。


あれは、あのお姉さん?

思わず僕は駆け出していた。

けれども、すぐに見失ってしまった。

駅前で、色んな人があちこちに歩いているから、追いかけにくかった。

どこに行ったのだろう。

そもそも、何で僕は駆け出してしまったのだろう。

お姉さんに会って、どうしたかったのだろう。

ただあの時、たまたま助けてもらっただけの——

まだ僕は探している。

もう完全に見失っているのに。

そろそろ戻ろう。

お父さんが僕を探しているかもしれない。


「何かお困りかな、少年!」

後ろから声がした。


びっくりして振り向くと、あのお姉さんがいた。

「え?え?え……?」

お姉さんだ。

たださっき見かけたお姉さんと服装が違う。

なぜ僕は見間違えたのだろう。

そうだ、あの時と同じ服を着ていたから、髪型も一緒だったし、だからきっとあのお姉さんだと——

「どうしたの?」

「あ、いえ。あの、あの時はありがとうございました。あの、駅で——」

「お。覚えててくれたんだ、どういたしまして。それで、今は何に困っているのかな?少年は」

お姉さんも僕の事を覚えていた。

何かお尻がムズムズして、飛び上がりたいような気分だった。

「今は!その、特に困っていません。お姉さんを探してたんですけど、見つからないなと思ってたらお姉さんから声をかけられて」

「私を探してた?何で」

「え、あの、ノートを買いに来てて、店を出たらお姉さんっぽい人を見かけてですね、あ、結局は人違いだったみたいなんですが」

「うん?」

うまく言葉にできない。僕は何を説明したいのだろう。

その時、お姉さんの近くにいた女の人がお姉さんに話しかけた。

「みーちゃん、大丈夫そう?」

「わかんない。とりあえず迷子じゃなさそうだけど」

お姉さんに似ているような気がする。

僕の視線に気づいたのか、女の人が僕に話しかけてきた。

「あ、私みーちゃんのお姉ちゃんで……あれ、ていうかみーちゃんこの子に自己紹介した?」

「ううん、してない」

「え、じゃあどうしよう。みーちゃんって言ってもわからないよね、えっと」

「落ち着けお姉ちゃん。少年!私はミツキ。美しい月、と書いてミツキね。家族からはみーちゃんと呼ばれてるよ」

「あ、あ、私はヨーコ。太陽の陽に子供の子、でヨーコ。さっき言った通りみーちゃんのお姉ちゃんしてます」

「ミツキお姉さんにヨーコお姉さん。あ、僕はツバサです。藤宮翼と言います。ツバサは、あの、鳥の翼です」

「ツバサくんかぁ。それで、何で私を探していたの?」

「あの、あの時は本当にありがとうございました。ちゃんとお礼を言えてなかったと思って……だから、さっきミツキお姉さんに似た人を見かけた時に、お礼言わなきゃと思って……」

嘘だ。

いや、お礼を言おうと思っていたのは確かにそうだけど。

でも僕はあの時そんな事考えてなくて。

「律儀だねぇ。私に似た人を見かけたからってそんな……私に似た人……」

ミツキお姉さんは考え込んでしまった。

「みーちゃん?」

「ねぇ、ツバサくん。もしかしてその人、あの時の私と同じ服装だった?」

「!そうです!」

「みーちゃん、知ってる人?」

「うん、まぁ、知ってる。多分あの子だと思う」

「あの子?私も知ってる子?」

「お姉ちゃんは知らないかな。てかお姉ちゃん私の交友関係全然知らないでしょ」

「う……だってみーちゃん全然紹介してくれないし……」

「紹介しようにも部屋に引きこもってるかどっか行ってるかでしょ」

ヨーコお姉さんは少し泣きそうな顔で黙り込んでしまった。

ミツキお姉さん少し意地悪?

「あ!つばさ!ここにいたのかぁー」

お父さんの声がした。

「あれ、君は……」

お父さんが僕の近くに来て、ミツキお姉さんを見た。

「おじさんはツバサくんのお父さんですか?」

ミツキお姉さんが尋ねる。

「あ、はい。そうです」

「ダメじゃないですか!こんな小さい子を一人にして!何かあったらどうするんですか!」

「あ、はい……すみません……」

お父さんはミツキお姉さんの迫力にたじたじになっている。

「僕が悪いんです!勝手にどっか行ったのは僕なので!お父さんは悪くないです!」

「ん。まぁ、君の責任も多少はあるかもしれないけど、親には親の責任ってのがあるからね」

「申し訳ございません。申し訳ございません」

「みーちゃん、そこまでにしとこ?お父さんも謝ってるし」

ヨーコお姉さんはあたふたしている。

「親なら、子から目を離さないでください!」

「はい、はい……面目次第もございません……」

「ふー……ツバサくんも。私を探してたのかもしれないけど、夜の街は危ないんだからね。勝手にうろうろしない事」

「はい……ごめんなさい」

ヨーコお姉さんはまだあたふたしている。

「じゃあ、分かってくれてところで私達は帰ります。ツバサくん、どうやら近所に住んでるみたいだから、また会ったらよろしくね。バイバイ。お姉ちゃん、帰るよ」

「あ……あ……あの、お疲れ様でした。それでは失礼いたします」

「あ、ミツキお姉さん!ヨーコお姉さん!さようなら!」

手を振り、お姉さん達は去っていった。

後に残された僕とお父さんはしばらくぼんやりしていた。

「……いやぁ、怒られちゃった……あの子、おばあちゃんちに行った時に駅で助けてくれた子だろ?」

「うん。あれ、何でお父さんミツキお姉さんの顔知ってるの?」

「あ!え?いや、つばさ言ってたじゃないか、あんな感じの子だって」

「言ってたかなぁ……?」

「それよりつばさ、確かにお父さんが不用心だった。ごめんな」

「ううん、僕も勝手に離れてごめん」

「じゃ、帰るか。つばさ、手を繋ごうか」

「うん」

僕とお父さんは手を繋ぎ、家に向かって歩き出した。

途中、お父さんは色々と話しかけてきてくれたけど、僕は適当な返事しかできなかった。

ずっと、ミツキお姉さんが言った、『また会ったらよろしくね』の言葉が頭を巡っていたから。

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渡り鳥 清明 @kiyoaki2024

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