米良先輩

 驚くことに、ボク達一年生は、三人とも二年生のお世話をする事になった。


「さ、佐藤君……」

「なに?」

「ぼく達、どうなるのかな?」


 山田君が不安げに聞いてくる。

 今、三人で階段の踊り場にいる。

 上級生のいる教室って、何でか威圧感が半端なくて、行きづらい。

 身動きできないボク達は、ソワソワして励まし合っている。


「まあ、死ぬ事はないと思うけど」

「先輩、どこに連れてかれたのかな」


 ここで、黙っていた林田君が喋った。


「仕置き部屋」

「え?」

「精神病棟で、暴れたら特殊な処置がやられるんだよ。大抵は、注射器を打ち込まれたり、バンドで固定されるけど。……暴れまくったら、殴られて、独房みたいな部屋に連れてかれる」


 ボソボソと喋る林田君は、ギョロっとした目で山田君の頭部を見ていた。山田君は変な汗を掻いて、必死に目を逸らしている。


 本当に気持ち悪いな、この人。

 言ってはなんだが、本当に犯罪をしでかしそうで怖い。


「え、健常者だよね?」

「ひひっ!」

「林田君って、好きな物何かある?」

「だ、太宰……治……」


 あ、意外と普通か。

 小説を読むらしい。


「太宰治を知って、自殺って、すごいなって……」

「死なないでね」


 何だかんだ言って、会話できるから本当におかしい人よりはマシか。

 そんな事を言いつつ、ボクらは「そろそろ、……行く?」と階段の踊り場を後にする。


 二年生の教室。

 少子化に負けず、クラスは4クラスだった。

 一年で、5クラスだ。


 ボクはCクラス。

 山田君はBクラス。

 林田君はAクラス。


 三人で並び、無言で見つめ合う。

 お互いに頷いて、扉を開けた。


「うわ、きも~いっ!」


 ボクだけ扉を開けないで、まずは様子見。

 林田君の入った教室からは、悲鳴なのか、怒号なのか、女子の突き刺すような声が聞こえてくる。


「みんなぁ! オモチャ来たよ!」


 山田君の方は、もう人権すらなかった。

 いや、ボクらは人権なんかないけど。

 露骨に人間扱いしてくれない。


 ボクはというと、扉の前から動けなかった。

 廊下の窓から入ってきた日光が熱を伴い、ボクの背中を温めてくれる。

 まるで、「行きなさい」と聖母マリアの顔をした悪魔が背中を擦っているかのようだった。


「もう、……いいんじゃないかな。頑張ったよ。ボク」


 何もしてない。

 何もしてこなかった。

 でも、生きてるだけで、人間は頑張ったと言える。

 だって、生きることって当たり前じゃ――。


「ちょっと。早く来なって」


 向こうから扉を開け、声を掛けてきた。

 眉を釣り上げた先輩がボクの腕を掴み、中に引きこんできた。

 手首に伝わる体温。

 女子特有の手の柔らかさが、何だか虚しかった。


「あっは。可愛い……♪」

「早くイジメようよ!」

「でも、誰がご主人様なわけ?」


 黒板の前まで連れて行かれ、女子達から注目を浴びる。

 山田君が言っていた。

 女子だらけの空間では、男子はモテモテで、例えブサイクでもハーレムが作れるって。


 大人の階段を上れる。

 つまり、早急にエッチ行為をできるため、山田君は入学した。

 メスに分からせてやるんだ、って息巻いていた。


 ボクは視線を持ち上げて、目の前を見る。


「あ、目が合った。……わたし?」


 を持ってる先輩。


「お、こっちかな?」


 明らかにボクシングか何かやってる、筋肉質な先輩。


「んー、そそるぅ♪」


 乗馬ムチを持ってる先輩。


 どうしよう。

 ハーレム状態なのに、選択肢がない。

 皆さん、美人揃いで外見だけ見ればワクワクする。

 教室内は良い匂いが漂っていたし、ニコニコと笑っていて、温かい空気。


 でも、世の中って、に気づくと、途端に空気が冷え込むんだなって実感した。


 例えば、甘酸っぱい青春を過ごすために、可愛い女の子のキャラがたくさんいる中で、「この子だ!」とお気に入りを選ぶゲームがある。

 そういうのなら、普段やらないボクでも分かる。

 どれも色とりどりの花だから。


 だけど、目の前の光景は、地獄出身の鬼の中から謎のヒロイン選択を迫られているみたいで、金玉がギュッと縮み上がる。


 まあ、奉仕する相手は決まってるんだけど。


「で、誰なの?」


 隣に立つ鬼がボクに聞いてきた。

 ボクは震えながら、名前を言った。


「米良……モリナ……先輩です」


 クラスの女子が一斉に視線を注ぐ。

 教室の真ん中に座る、一人の先輩。


「……」


 本を読んでいたらしい。

 視線に気づいて、米良先輩がジロっとした目でボクを見てきた。

 何の反応もなく、何も言わず、ただ上目でジッと見つめてくるだけ。


「……へ……へぇ」


 周りの反応は微妙だった。

 さっきまでの明るい空気が死に、米良先輩が本を閉じる。


「……じゃあ……どうぞ」


 背中を押され、ボクは米良先輩の前まで歩いていく。

 すぐ目の前まで行くと、思わず生唾を飲んだ。


 米良先輩は、形容しがたい美の持ち主だった。

 目はパッチリしていて、彫りの深い顔立ち。

 一瞬、外国の人かと思ったけど、名前から察するにハーフだろう。


 雪のように真っ白な肌と血のように真っ赤な唇が特徴的。

 座ってる姿を見ただけで分かる。

 スラリと背が高くて、日本人とは違う、別の遺伝子を持った体つき。


 何より、眼力が半端なかった。


「……っす。佐藤、ケイタです」

「…………」

「ボク、今日から奉仕することになったみたいで、……っす」

「…………」


 何も言わねえじゃん。

 つい、心の中で愚痴ってしまった。

 米良先輩は視線を落とし、何か考えていた。

 視線が下がったことで、瞼のラインがハッキリと見えた。

 瞼の折り目は、綺麗な溝がスッと伸びていて、あたかも精巧に作られた西洋人形のようだった。


「ポチ君」

「へ?」

「……犬……欲しかったからね」

「へ? え? 犬?」


 そして、視線が上がり、ボクを見てくる。

 伸ばした手を返し、手の平を見せてくる。


「お手」

「あ、はい」


 ぽふっ。

 躊躇いなく、お手をした。

 ボクより大きな手を上下に振り、米良先輩は笑った。


「これから、……よろしくね」


 米良先輩は不思議な人だった。

 とても美しくて、女としての艶がある。

 口角を釣り上げる所は、清らかな印象を与えてくるし、手の平は羽毛みたいに柔らかかった。


 ――まあ、悪魔なんだけどね。

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