game 26. 昼中の公園


 イチョウの大樹に近づいていくと、テーブルを囲っていた中から数人がこちらに気づいた。


「シオンさん! お疲れ様ですっ!」


 真っ先に駆け付けてきたのは二十代前半くらいの若い男だ。どうやら、ここにいるのはおじさんばかりというわけではなかったらしい。

 おじさんを通り越しておじいさん世代の人もいるが、ちらほらとだが、比較的若い人も見受けられる。


 その中でも最年少といったところか。目の前まで来ると、勢いよく頭を下げて、また勢いよく起き上がる。そこへ注がれるシオンの視線は冷たかった。


「僕はべつに、疲れているつもりはないんだけれどね……」


 いや、ただの挨拶文だから! とツッコむ前に、もっと激しいツッコミがバシンッと広場に響いた。


「バカヤロウ! 余計なこと言ってねえで、おめえはさっさと源さんとこまで走ってこいや」

「へい! すんません!」


 見ているこっちが泣きたいくらいだが、ぶたれた当人はなぜかヘラヘラ笑顔で走り去った。叩かれすぎて、頭がおかしくなったのだろうか。


「すみません、シオンさん。リョウのやつには、あとでキツく言っときますんで」


 ぶったほうのお兄さんは、豪快に叩いた平手をひらりと笑顔で返し、三人を奥へ導く。今ので十分キツかったと思うのは、自分だけだろうか。

 悠馬にとっては未知の世界すぎて戦慄が走る。


 おじさん連中も、広場に響いた快音などまるで聞こえなかったかのように朗らかに三人を迎えた。どうやらみんな、シオンやカイとは顔見知りらしい。その中の一人に、シオンは歩み寄って声をかけた。


「トラさん」


 お店で一度会ったことのある人だ。縞模様の入った某球団のユニフォームを着ていたのでよく覚えている。今日は、それとお揃いのキャップも装備中だ。


「おう、来てくれたか」


 向こうも軽く手を挙げて応じた。それから、持ってきたブツの確認が始まる。


「こりゃあ、また豪勢だな」

「お気に召したなら何より」


 差し出しているのはオシャレな籐のバスケット(シオンは“ハンパー”と呼んでいた)なのだが、はた目には昼日中の公園で怪しい取引でもしているように見えてならない。


 ハンパーの中身は、おにぎりやサンドイッチだけではなかった。いつの間に入れてきたのか、チェス駒の箱を取り出しながらシオンが言う。


「あとで、ユウマと手合わせしてやってもらえないかな」

「えっ!?」


 驚いたのは悠馬のほうだ。ここへ来る間も、そんな話は聞いていない。


「慣れてきたみたいだから、そろそろ腕試しに他の人とやってみるのもいいと思ってね」

「オレが相手だと、勝負にならないからな」


 隣でカイが憎まれ口を叩く。事実なので言い返す気にもならない。


「まだ日は浅いけど、筋はいいよ。それに、カイとノラがみっちり仕込んだからね」

「へえ、二人のお弟子さんかい! そりゃあ楽しみだ」


 ニカッと笑ったトラさんの口は、歯が何本か欠けていた。


「わしらの世代じゃ、チェスやる奴は少なくてなあ。見ての通り、みぃんな将棋のほうばっか行きやがる」


 イチョウの大樹を囲む四つのテーブルのうち、チェス用は左端だけで、真ん中の二つは将棋用だ。表面に焼印された桝目が違う。人が集まっているのも主にその二つだ。残る一台は、白と黒の小さな丸石が並んでいるところを見ると囲碁だろう。


「こうしてノラやカイが来てくれるのが、おっちゃん、楽しみなんだ」


 目尻のしわを深めるトラさんを見て、悠馬はふと、亡き祖父を思い出した。まだ幼い頃、一緒に将棋を指しながら、祖父もこんな顔をしていただろうか。今となってはよく思い出せない。


 感傷に片足突っ込みかけた悠馬を置いて、トラさんはまたシオンのほうを見上げて聞いた。


「そういや、ノラはどうした? 今日は来ねえのかい」

「仕事が入ってしまってね」


 女に呼び出されて、とは言えまい。


 そうしてひと通り話が終わると、トラさんは広場によく響く声で周囲に告げた。


「みんな、昼メシにしようや。シオンたちから差し入れだ」


 野太い歓声が沸いた。

 たちまち、どこからともなく長机がやって来て広場の端に並ぶ。先程ぶっ叩かれていたリョウという若者が、大きな鍋を抱えて駆け戻ってきた。中には拳骨みたいな唐揚げがゴロゴロしている。それから味噌汁の入った寸胴鍋も現れて、シオンの作ってきたおにぎりやサンドイッチと共に長机に据えられた。


 おじさんたちが列をなし、食料をもらっては広場のあちこちに座りこんで食べ始める。まるで浮浪者の炊き出しだ。


「シオンたちって、いつもこんなことやっているの?」


 ボランティア活動に意欲的、というタイプには見えないけれど。


「こんなこと?」

「いや、おにぎりとかサンドイッチ作ったり……」

「いつも、作っているように見えていたかい?」

「え? いや……」


 シオンが目を細めて笑う。蛇に睨まれたカエルって、こんな気持ちだろうか。

 悠馬の困り顔に満足したのか、蛇はケロリとして声のトーンを変えた。


「僕は、対価を伴わない労働はしないよ。今日は、まあ、ユウマの練習台になってもらうぶんと、この前代わりにチェスをやってもらったお礼ってところかな」

「なぁんだ、それもひっくるめてかい」


 隣でおにぎりを頬張っていたトラさんが、おどけたように声をあげる。


「そりゃあ、もちっと色付けてもらわねえとなぁ」

「なら、あとでカイにも相手させよう。そのかわり、悠馬とは三ゲームやってもらう。もちろん、手加減無しで頼むよ」

「うわはは! シオンにゃ敵わねえや」


 うぅっ。正直、少しくらいは手心加えてほしかった。


 昼食を終えると、約束通り悠馬はトラさんと三戦した。勝利には至らなかったものの、なるほどいつもより手応えがあった。特に後半、盤上の駒が減ってくると、トラさんの狙いが予測できた。


 カイが相手のときは、まだ駒がほとんど残っている状態でいきなりクイーンが斬り込んできてチェックメイトをかけられることもある。まるで青天の霹靂へきれきだ。それに比べれば、トラさんの手は読みやすい。これがノラの言っていた“視野の広さ”の違いだろうか。


 一戦目より二戦目、三戦目と、回を追うごとに勝利が近づいている気がする。もう一戦やれば、あるいは……とはやる気持ちはあるが、当のトラさんは早速カイとのご褒美・マッチに挑んでいた。


 悠馬と対戦していたときは終始ニコニコ笑顔だったのに、今は腕を組んで難しい顔をして、ウンウン唸って苦しそうだ。

 それでも、さっきより楽しそうに見えるのはなぜだろう。隣のテーブルで将棋観戦をしていた人たちも、半分くらいがこちらに流れてきていた。


『オレだって、シロウトの相手なんか楽しくないね』


 早く、上手くなりたい。


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