game 27. 夕凪


「そうか。トラさん相手にそこまで健闘したなら、上出来だな」


 パブに戻ってくると、程なくしてノラも帰ってきて、対戦の様子を聞いて満足そうだ。


 というよりも、帰りがけに公園を通ってトラさんたちに捉まって、既にあらましは聞かされてきたらしい。それでもノラは悠馬やシオンの口から詳細を聞きたがった。結果から言えば三戦全敗なんだけれどもと、悠馬のほうが気後れしてしまう。


 ただ、帰ってきて早々チェスの対戦相手を買って出てくれたのは正直ありがたい。公園でカイとトラさんの対戦を見てからというもの、悠馬はもっとチェスがやりたくて仕方がなかった。

 それと同時に、面と向かって座っているのはやっぱりちょっと気まずい。


 チェス盤からチラチラ視線を上げて伺うも、ノラの様子はいつも通りだ。

 やっぱり、サシャから何も聞いていないのだろうか。


「カイも、喜んでいただろう」

「カイが? なんで」

「なんでって、ユウマにチェスを教えているのはほとんどカイだから」

「教えてるっていうなら、ノラのほうだよ。カイは、オレをさんざん負かして面白がってるだけじゃないか」


 悠馬が唇を尖らせても、ノラは泰然としている。


「そんなことはない。どうすればユウマがもっと上手くなるだろうって、あいつも考えてるんだよ」


 それは嘘だ。「オレだと勝負にならないからな」なんて言っていたドヤ顔を見せてやりたい。

 でも、あまり言うのも、子供っぽい気がしてやめた。


「例えば、そうだな……」


 ノラはビショップを指先でつまんだまま少し考える。


「顔を上げてごらん、ユウマ」


 言われて顔を上げると、ノラは視線を落としたままで、再び駒を並べている。


「けっこう、うるさいものだろう」


 今は店内のBGMもかかっていない。話し声もなくなると、しんと静かな空間だ。


 それでも、ノラの言わんとしていることはすぐにわかった。ノラの背後はカウンターで、その向こうには色とりどりのボトルが林立している。様々な形のグラスがキラキラと光を弾いて並んでいる。

 シオンはその前を行き来しながら、のんびりと作業しているように見えて、絶えず動きがあった。


「最初のうち、カイはいつもそっち側に座っていただろう。この前、初めてこっちに座っているのを見て驚いたよ」


 驚いているようには見えなかったけれど、と悠馬は思った。


 あれは、初めてサシャに会った日だ。

 ノラが電話で呼び出されて、悠馬はカイを公園に迎えに行った。帰ってきたときテーブルの上にはチェス盤が広げられたままで、カイはさっさとスツールのほうに座った。


 悠馬も意外に思ったのでよく覚えている。ソファにふんぞり返るスパルタ・キングのイメージが、悠馬の中で定着していたからだ。まだ寝惚けているのかとも思ったが、あれ以降、昼間にテーブル席でやるときに、どっち側に座るかはランダムになった気がする。


「最初のうちは、オレの気が散らないように……ってこと?」

「あいつもたぶん、ユウマの上達を認めているんだ」

「そう……なのかな……」


 スパルタなのは相変わらずだし、いまだに白星一つあげられない。


「そういえば、ノラも前は、いつもこっち側だったよね?」

「ああ。カイを見て真似た。あいつは口に出さないけど、案外気を遣うやつなんだ」

「そうかな?」


 今度は本気で疑った。


 公園から帰ってきてから、カイは二階の自室にこもっている。昼寝を中断されたから、その続きでもしているのだろうか。



 + ♔ +



 開店準備に入る頃には、カイも降りてきてノラと選手交代した。

 金曜日ということもあってか、夜になると店は少し混んできたので、今日も二階のカイの部屋にあがることになった。


 二回目となると、少しは慣れたものだ。おまけに、周りに人がいないのもやりやすい。まあ、カイと二人きりというのも、それはそれでやりにくい部分もあるけれど。

 カイは、そのあたりも何か考えがあってのことなのだろうか?



 あっという間に二時間ほどが経ち、一階に下りると、店の様子がおかしかった。


「ユウマ、帰るの?」


 珍しく、シオンがそんなことを言う。

 今まで悲しいくらいに誰にも引き留められなくて、後ろ髪を引かれながら駅に向かったことは何度もある。正直、もう少し後の電車にしたって悠馬としては全然構わないのだ。翌朝寝坊したら、大学の講義を休むだけのことだし。


「南北線が止まっているらしい」

「えっ!?」

「人身事故だってさ。ついさっき」


 近くのテーブル席にいたおじさんが、スマホ画面を見せて教えてくれた。


「こりゃあ、しばらく動かないな」

「やだねえ。やるならせめて、時間を選んでやってくれってんだ」


 内心、同じことを思ってしまっていた自分に気づいて、悠馬は反省した。自分勝手なのは誰だ。


「タクシー、呼ぼうか? ノラがいれば送ってあげられるんだけど……」


 言われてみると、店内にノラの姿はない。日中不在がちなノラだが、時々、パブの営業中でもどこかへ出かけていくことがあった。その間はカイが手伝いに入ったりするが、今日はシオンが気を利かせてくれたのだろうか。


「えっと……バスとかって、あるのかな? 羽舞はぶ駅あたりまで出たら、何とかなると思うけど……」


 聞きながら、自分でもスマホを取りだして経路検索する。下宿までの交通手段としては、やはり南北線が真っ先にサジェストされた。

 今まで考えたこともなかった。南北線を使わず……バスなら当然、電車より時間がかかるだろう。羽舞駅で乗り継いで……家までどれくらいかかるのだろう。既に真っ暗な外へ目を向けると、急に心細くなった。


「羽舞行きなら、公園前から出てるぞ。南側の乗り場、たしか38番だったかな」

「いや、この近く通ってるのもあるんじゃないかね?」

「でも本数少ないだろ」


 お客さんたちまで、一緒になって考えてくれる。


「遅くなっても構わないなら、ここで待ってもいいよ。そのうち、ノラも帰ってくるだろう」


 それが最善かもしれない。明日は土曜日で、どうせ予定なんてないのだから。

 ノラが帰ってきたら、車で送ってもらえるということだろうか? それなら楽だけれど、時間も遅いし、家まで遠いし、さすがに申し訳ない。でも電車の再開を待つにしても、事故が起きたのがついさっきなら、一体いつになるだろう?

 ここで判断を誤れば、余計に帰りにくくなってしまう。やっぱり、バスのあるうちに出てしまうべきだろうか。


 迷っているうちに、シオンの口から新たな提案が出た。


「それとも、明日の予定が大丈夫なら……」

「ああ。オレの部屋に泊まればいい」


 振り向くと、後ろにカイが立っていた。


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