game 22. STAFF ONLY


「お、お邪魔します……」


 狭く薄暗い階段を二階へ上がると、思いの外“普通の住居”だった。細長い廊下にいくつか扉が並んでいる。

 このパブへ通い始めて十日余り。二階に足を踏み入れるのは初めてだ。階段の途中にはSTAFF ONLY関係者以外立入禁止のサインがペイントされていて、それを越えるのはちょっとした優越感だった。


「一応、説明しとく。そこがトイレ。奥がノラの部屋。あとは物置」


 カイはそれだけ言うと、手前の扉を開けて入っていった。

 シオンのときといい、どうしてこうも説明する気がないのだろう。


 カイの部屋は、ちょうど裏庭に面する位置にあり、そちら側の壁が一面ガラス張りになっていた。庭を見下ろすようにして広いデスクが据えられ、大きなディスプレイとスピーカー、関数電卓のように多機能すぎるキーボード、その横にはノートパソコンもある。そして座り心地の良さそうなハイバックチェア。いかにもゲーム好きの部屋という感じだ。

 他にはシングルベッドと、スリムなワードローブがあるだけの、すっきりとした部屋だった。


「カイは、ここに住んでるの?」

「いや。住んでいるのは、ノラだけだ」

「ふぅん。……いや、似てないよな?」

「は?」


 脈絡がないのは自覚していた。でも気になるものは仕方ない。


「さっきの……“リス”って人? カイの妹さん?」

「ああ……」


 カイは壁に立てかけてあった折り畳みテーブルを開いてチェス盤を乗せた。

 その背後に二人並べて比べるまでもなく、どちらが似ているかと聞かれれば、断然サシャのほうがカイに似ている。


「おい、手伝えよ」

「あ、ごめん」


 駒を並べ始めていたカイにならって、悠馬も反対側から並べた。


「わかった! 兄妹とかいいつつ実は血がつながってなくて、母親に反対されながらこっそり交際してるとか?」


 カイは奇妙なものを見るような顔で片眉を吊り上げた。


「ほら、ドラマとかでよくあるだろ。気になるあの人に、実は恋人がいた!? って思ったら、次の週に妹でした~みたいなオチ」

「気になるあの人?」

「いや、まあ、それは例えのハナシで。……それで、韓国ドラマとかだと、やっと交際し始めた頃になって、実は生き別れた兄妹でしたってなるパターン……」


 だんだん自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。


「だってさ、めちゃくちゃ日本人顔だったじゃない? さっきの人」

「そりゃ、あっちは純血の日本人だからな」

「え……じゃあ、再婚とか?」

「いや、そういうわけじゃない」


 店の照明よりも淡泊な蛍光灯の下、色素のうすいまつ毛がカイの頬に影を落としている。そこには、何の感情も読み取れなかった。


「でも前に、父親がデンマーク人って……」

「それは、バイオロジカル・ファザーだ」

「え?」


 バイオロジカル・ファザー……直訳すれば、“生物学的父親”といったところか。

カイがさらりと言ったその単語が、悠馬の耳には重たく響いて、それ以上聞くのがはばかられた。


「……そういえば、シオンの部屋は?」

「あいつは部屋なんて要らんだろ。休憩したけりゃ、開店前は店で休むし、開店したらカウンターの中で休むし、客の前でも平気でサボる」


 あ、はい、そうですか。


「飲み物とってくる。適当に座ってろ」

「え、ああ……ありがとう」


 カイが出て行くと、悠馬は部屋を見回して、ベッドの端にそっと腰をおろした。


 なんだか友達の家に遊びに来たみたいだ。こういうのは、いつぶりだろう。お母さんが用意してくれたジュースとお菓子が出てきて、一緒に勉強したり、漫画読んだり、ゲームしたり……。

 まあ、この“家”でお菓子を用意してくれるのは、シオンなのだが。


 階下の店からBGMが漏れてくる。なんとなく耳を傾けながら、そわそわ待っていると、廊下の先で物音がした。

 ガチャ、ギィ……聞こえてくるのは階段のほうではなく、その反対側だ。カイもノラも、今は一階にいるはずなのに。


 そっと廊下に顔を出して確認すると、突き当りのドアが開いていた。さっきのカイの投げやり説明によれば、そこはノラの部屋のはずだ。

 ノラが、休憩でもしに上がってきたのだろうか? 明かりに誘われるように、悠馬の足は薄暗い廊下をそちらに向かっていた。


 部屋の照明が眩しくて、最初気づかなかったのだ。

 そこに、白い人影があることに。


「うわぁあっ!?」


 思わず叫んで、悠馬は手近なドアを開けて飛び込んだ。


「ごっ……、ごめ、なさ……」


 相手に届かぬ謝罪の言葉を、ドアの陰に隠れてつぶやく。心臓がバクバク言っている。


 ノラの部屋にいたのはサシャだった。それだけならまだ、どうということはないのだが、問題はその格好……服装、というか、服が、ない、というか。


 中学の体育の授業で、ボールを二つ服の中に入れてふざける男子がいたが、まさにバレーボールを並べたような爆乳を、惜しげもなくさらしてサシャは部屋の中に突っ立っていた。何をしていたのか、とは考えたくもない。

 幸か不幸か、悠馬がとっさに駆けこんだ先はトイレだった。


 バッチリ見てしまったことは、たぶん、いや絶対、気づかれている。叫び声をあげてしまったし、その前に、サシャが振り向いて目が合ったのだ。

 サシャに慌てた様子はなかった。向こうも、突然の事態に反応できなかったのだろうか。


 どうしよう……。今さら出て行って謝ることもできないし。

 そもそも、サシャは日本語わかるのかな? オレ、英語できないから……何か問い詰められたら、そう答えよう。いや、そもそも英語で問い詰められたら、何を言っているのかがわからない。

 あ、カイが「ロシア系」って言ってたから、ロシア語なのか?


 悠馬の脳内が混乱の絶頂に至る中、今一番会いたくない人の声が聞こえてきた。


「カイ、手伝おうか?」


 廊下の反対側、階段のほうだ。二人分の足音と、カチャカチャと食器の音もする。


「大丈夫だ。下はいいのか?」

伊織いおりが来たから、代わってくれることになった。サシャを待たせてある」

「ああ……またか」


 ああ、はい、そうですか。カレシが戻ってきたらすぐ始められるように、準備万端いつでも来いの体勢で待っていたってわけですか!

 部屋で休憩、って……そういうことするための部屋かよ!?


 廊下が静かになって、さらに少し待ってから、そっとカイの部屋に戻った。

 カイには何も聞かれなかったので、何も言わないでおくことにした。「ちょっとトイレに……」なんて言ってみたところで、トイレのすぐそばがノラの部屋なわけだから、追及されたら怖い。

 ノラは、知ったら怒るだろうか。今頃、サシャが話しているだろうか。


 チェスの続きは、全く集中できなかった。ノラの部屋のほうからは、時々くぐもった話し声が聞こえてくるだけで、何を言っているかもわからなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る