game 21. リス


 思い出しても悔しくて、悠馬は地団駄を踏んだ。

 いや、混んだ電車の中でさすがにそれは無理なので、脳内で暴れ回って車窓に流れる街並みを破壊し尽くしただけだ。


 どうして文句の一つも言えなかったのだろう。言われるがまま、ただ受け入れて……いや、引き受けたつもりはないけれど。少なくともあの三人はそう解釈したようだ。白々しいお礼を言って去っていった。


 もしも時間を巻き戻して、あの場面をやり直せたら、ガツンと言い返してやるのに。あまりに悔しくて、今日一日ずっと、休み時間も講義中も何度も思い返してはシミュレーションした。


「サークルの練習がある? フン、それがどうした。オレにはチェスの練習があるんだ。負担はイーヴンでいこうじゃないか。自分のぶんは、ちゃんとやって来いよ」


 いや、やっぱりここは「そんなことオレに関係あるか?」の一言でビシッと終わらせて、颯爽さっそうと立ち去るのが正解だろうか。

 何だっていい。やり直して、ひとこと言ってやらなければ気がすまない。


 でも、もしも本当に時間が巻き戻せたなら、選ぶべき場面はもっと他にあるのだろう。


 それでも、今日はめげずに最後の講義まで出席してきたことだけは、自分をめてやりたい。

 誰も褒めてくれないので、自分で褒めるしかない。


 そのうち車内は人もまばらになり、もはや地団駄踏む気も失せた頃、電車は十字町駅に着いた。


 暗くなった住宅街の細道を歩いて、その店を見つけるとホッとする。

 King‘s Crossキングス・クロス

 赤い木枠に黒っぽいガラスの扉。中からは温かな光が漏れている。扉をひらくとカランカランと音がして、穏やかなジャズ・ミュージックが溢れ出た。


「いらっしゃい、ユウマ」


 黒い服に黒いエプロンを着けたノラが、いつもの笑顔で迎えてくれた。


 今日はテーブル席二つが埋まっている。悠馬はカウンターの一番奥に腰掛けた。


「カイは?」

「用事で出かけている。そろそろ帰ってくるはずだ」

「へえ……、珍しい」


 もう日も暮れているので、公園で昼寝ということもないだろう。スイーツでも食べに行っているのだろうか。


 珍しいといえば、入口側のテーブル席だ。若い女性ばかりの三人グループ。学生だろうか、オシャレな格好をして、その一角だけいつになく華やいでいる。


「そういえば、この店って……」


 テーブル席のお客さんに遠慮して声を落とすと、ノラもカウンターに寄りかかって耳を近づけてくれた。


「女性のお客さん、少ないよね?」


 店員がイケメン揃いな割に、ここの常連さんは圧倒的におじさんが多い。それを売りにしていなくても、口コミやSNSで広まりそうなものなのに。

 ただでさえシックな内装の店内は、大体いつも地味なスーツのおじさんたちで埋め尽くされていた。


 いや、“埋め尽くされて”は言い過ぎだ。この店に埋め尽くすほど客が入っているところなんて、見たことがない。


「ああ、それは」


 ノラはクスリと笑って、それから攻守交代、悠馬の耳元に唇を寄せた。


「シオンが、そういうお客さんをすべを心得ているから」

「え……」


 思わずそちらを見ると、聞こえていたのかシオンは口端をニヤリと歪ませた。銀縁眼鏡があやしく光る。

 危険なので、目を逸らせておこう……そう決めたとき、ガラス戸の向こうに白い影が見えた。


「カイ!」


 出かかった声を急いで引っ込めた。

 先にその名を呼んだのは、テーブル席にいた若い女性客だ。


「また来ちゃった」


 ピョンと立ち上がって、入ってきたカイの左腕に抱きつく。短いスカートの裾がふわりと揺れた。


「今日はお友達連れてきてあげたよ!」

「おまえ、ここに来るの母親から止められてんだろ」

「ママには言ってないもん」

「だったらそれ飲んでさっさと帰れよ、リス。話がややこしくなる」

「もぉーう。”リス“じゃなくて、”アリス“って呼んでって、いつも言ってるでしょ!」


 カイ、おまえもか……。

 悠馬の中に黒い感情がフツフツと沸く。それが渦を巻き始めたとき、女性客の連れの言葉が割って入った。


「この人が、アリスのお兄さん?」

「そう。お兄ちゃんの、カイ。ねっ、カッコイイでしょ!」


 そのパターンかいっ!


 悠馬はガックリと膝から崩れ落ちた。

 もちろんそれは脳内悠馬のことで、本体のほうはカウンターチェアから滑り落ちないよう辛うじて留まっている。


 ドラマとかでよくあるやつだ。主人公が相手役のことを意識しかけた頃になって、その人が異性と仲良くデートしているところを目撃してしまう。そこで、気になる続きはまた来週……となるわけだが、だいたい次の週で実は兄弟姉妹でした~とかなるパターンなのはわかっているので、わざわざ衝撃シーン的な演出をして持越さないでもらいたい。


「ユウマ。うるさいのがいるから、上でやろう」


 気づけばカイが、チェス盤と駒を回収して悠馬の横に立っていた。そういえば、準備しておくのを忘れていた。


 けれどその腕には、さっきの女性がまだくっついている。


「誰? 新しいバイトさん?」

「え、えっと……」

「藤沢リスです! アリスって呼んでねっ」

「あ……森宮悠馬です」


 半ば条件反射のように名乗ってから、気がついた。

 そうか。カイの本名は「藤沢カイ」というのか。


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