game 16. 北風


「ダメだ。おまえがナイトを選んだんだろうが。最後まで貫けよ」


 迷える悠馬を、カイは冷酷に突っぱねた。


「いや、それは一時いっときの気の迷いっていうか……。ちょっと、触っちゃっただけだし?」

「一瞬でも、触れたならそれがおまえの次の手だ。何度も言わせるな」


 甘いものを食べて、スパルタ・キングは完全復活していた。


 こうなってみると、和栗ほうじ茶パフェのあとにモンブランまで平らげるのを看過したのは間違いだった。

 考えてみれば、どっちも栗じゃないか。


「じゃあ、このナイトをここに動かすっていうのは……どうかな?」

「やればいいだろ」


 にべもない。


 さっき公園で見たものは何だったのだろう。白昼夢か、はたまたイチョウの古木が見せた幻か。


「なんだ、降参リザインか。だったらそう言って、さっさと駒を並べ直せ」

「いや、ちょっと待って!」

「待ったはなし。パスもなし。それがチェスのだ」


 悠馬はテーブルの下で拳を握った。今は仲裁役のシオンもいない。二人が戻ってきてすぐに、留守番を任せて買出しに行ってしまったのだ。


「あーあ。やっぱり、ノラとが良かったなあ」

「おまえに選ぶ権利あるのかよ?」


 それは、ごもっともです。


 うなだれる悠馬のつむじに、スパルタ・キングの尊大な声が降ってきた。


「一つ、いいコトを教えてやろう」

「何だよ? 『おまえはもう負けている』ってか?」

「そのナイトを選んだのは正解だ」

「えっ!?」


 思わず顔を上げると、カイもチェス盤をのぞき込んでいたらしい。思いがけない近距離に、悠馬はのけぞるように背筋を伸ばした。

 あの細い顎に、思いきり頭突きをくらわせなくて良かった……。


「まあ、重要なのはそれをどう動かすかってことだけどな。それによっては、起死回生の一手にもなるし、最低の悪手にもなる」

「え、何それ? どうすればいいの?」

「知るか。あとは自分で考えろ」


 やっぱり一発くらわせておけば良かった!


 そこでようやく、ゴングならぬドアベルが鳴った。シオン審判員に仲裁を求めようと顔を向けると、入ってきたのは、


「あれ、ノラ。おかえり」

「ああ。ただいま」


 ノラにいつもの笑顔はなかった。それだけ言って、さっさと奥の階段へ向かう。その後ろで、ドアが閉まりきる前にまた開いた。


 現れたのは、白い美女だ。

 カイよりも白い、ほとんど真っ白と言っていいようなショートヘアに白い肌。着ているものまで上下ともに白い。一足早く冬がやって来たかのようだった。


 そして何よりも目を引くのは、その巨乳……いや、あれはもはや、爆乳とかいうカテゴリーに分類されるべき代物ではなかろうか。現実世界では見たことのないサイズで、白一色のTシャツがあり得ないほどに変形している。


 白人爆乳美女は悠馬に気づくと、ニコッと笑って手を振ってきた。そのままノラを追って二階へ上がる。悠馬は何も反応できず、ただその後ろ姿を見送った。


「誰!? カイの親戚? お姉さん?」


 足音が聞こえなくなると、悠馬は思わずチェス盤の上に身を乗り出していた。あんな姉がいたら、人生どんなに豊かだっただろう。

 聞かれたカイは、無関心を通り越して不機嫌に見えた。


「なんでだよ。ノラが連れてきたんじゃねえか」

「いや、なんか……似てたから?」

「どこが。顔だって全然違うだろうが」

「そうかな?」


 カイの背後に、さっき通り過ぎて行った美女を思い浮かべて比べてみる。

 カイをもう一段階漂白して、女体化したらきっとあんな感じだ。服まで白いところといい、そっくりだ。


「おまえ、目悪いのか? あっちはどう見たってロシア系だろ」


 カイは口が悪い。

 あの美女は、口が悪くないだろう。きっと性格もいい。だって、初対面の悠馬に優しく笑いかけてくれたのだから。そういうところは、ノラ寄りかもしれない。


 秋も終わりなのに半袖Tシャツという出で立ちも、ノラと同属だと言えよう。


「座れ。続き」

「え、ああ……」


 単語二つの短い命令も、いつもなら腹を立てるところだが、今は気にならなかった。大人しく座り直したものの、正直、チェスどころじゃない。

 これって、どういう状況だったっけ?


「ナイト一つに、どれだけ時間かけてんだ。負けたって構わねえから、さっさとしろよ」

「いや、オレは構うから!」

「だったら――」


 そのとき、カウンターの奥で物音がした。勝手口のほうだ。


 カウンターの向こうは壁を挟んで調理場になっている。人がすれ違うのがやっとの細長いスペースにコンロやシンクが並んでいて、“厨房”と言ったら「そんな大層なものじゃないよ」とシオンに笑われた。


 そのキッチンの一角に業務用冷蔵庫と食品庫があって、ときどき業者の人たちが来ては、キッチン脇の勝手口から品物を搬入していく。

 今日もシオンが帰りがけにちょうど業者さんに出会ったのだろうか、勝手口のほうからはシオンの他に知らない男性の声がする。


「じゃあ、これは冷蔵庫に入れておきますね」

「いつも悪いね」

「いえ、こちらこそ。またよろしくお願いします!」


 再びドアの開閉する音がした。


「おい。こっちに集中しろよ」


 カイの言葉に引き戻されてチェス盤を見る。えっと、どういう状況だったっけ?


 爆乳美女が現れたあたりから、どうもカイの機嫌が悪い。あれが眼福でなくて何だというのだ。ははん。さては、カイには刺激が強すぎたか?

 悠馬の意識がまたまたお散歩を始めたところで、暖簾のれんを押し開けてシオンが入ってきた。


「ノラは、もう帰ってるかな?」

「ああ」


 カイはぶっきらぼうに答えて、人差し指を天井に向けた。その後ろ姿に冷たい視線を送ってから、シオンはクスッと笑う。


「……そう、サシャも一緒なんだね」


 サシャ――それがあの美女の名前なのか。

 詳しく知りたいところだが、それきりシオンは話題を変えた。


「ユウマ。今日の晩ご飯、牡蠣かきにしようと思うんだけど。フライとグラタン、どっちがいい?」

「え? いや、オレは……どっちでも」

「うん、やっぱりカキオコにしようか」


 シオンは一人頷いて、エプロンを着ける。


「あ、オレも手伝うよ!」

「いいから、キミはそっちに集中してなさい」

「でも……。いつも悪いし。オレ、一応自炊はしてるから、手伝うくらいはできるよ」

「申し出はありがたいけど。狭いキッチンでウロチョロされると、うっかり刺したくなっちゃうからね」


 シオンはニッコリ笑って、再び暖簾の向こうに消えた。いつからかその手にはペティナイフが揺れていた。


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