game 12. ブレイク①


 店のドアを開けて、入ってきたのはノラだ。


「ユウマ、来ていたのか。良かった」

「え、あ……、お邪魔してます」


 なんだかよそよそしくなってしまった。

 カイはいつも余計な一言が多いのに、こういうところでもノラは正反対だ。


 ノラは黒のロングコートをひるがえし、悠馬の後ろを大股に横切ると、奥のテーブルに大きな紙袋を置いた。


 公園ではチェスの対戦で観客にわかりやすいよう黒ずくめなのかと思っていたが、いつ会っても黒っぽい服装をしている。

 カイのほうは他の色も着るが、圧倒的に白系が多い。そしてだいたいフードがついている。


 ノラは大きな紙袋に手を突っこんで、これまた大きな箱を取り出した。何が始まるのかと思って眺めていると、パカっと開けられた箱の中にはパステルカラーの小さな丸いお菓子がずらりと並んでいる。マカロンだ。


「ユウマも食べる?」


 ノラが振り向いて聞いてきた。


「えっ? ……いや、オレは」

「甘いのは苦手?」

「いや、そういうわけじゃ……ないけど」


 特段好きということもないが、それより何より、どう考えたって今の自分はお邪魔虫だ。

 遠慮しようと席を立ちかけて、一瞬、頭がふわりとした。


「食えよ。頭使って、疲れただろ」


 向かいのソファを立ってカイが言う。


「買ってきたのは、ノラじゃないか」

「賭けに勝ったのはオレだ」

「賭け? ……って、もしかしてさっき言ってた、公園のチェスのやつ!?」


 カイはニヤリと笑って、悠馬の横を通り過ぎていった。

 大の大人が二人揃って、スイーツかけて勝負してたのかよ。


「というより、最初からユウマも数に入ってるから。食べてくれないと、オレが困る」


 毒気のないノラに言われると、食べざるを得なくなる。


「ユウマも、手洗っておいで」


 もはや退路は断たれた。


 店のトイレで手を洗って戻ってくると、すでに四つの小皿が用意され、三人で箱の中身を物色していた。

 カイとノラは額寄せ合って箱をのぞき込み、シオンは商品説明の紙を片手に検討している。


「一番濃い茶色がショコラで、それからマロン、キャラメル……」

「ユウマはどれにする?」

「あ、オレは何でも」


 空いていたソファに腰掛けると、シオンが持っていた紙を渡してきた。


「僕は、ローズとテヴェールをもらおうかな。ユウマも、見る?」


 賭けの当人たちよりも、シオンのほうが先に決めてしまったようだ。悠馬も少し気が楽になった。


「じゃあ、オレはこの……シトロン? もらっていいかな」

「シオン、そっちはフランボワーズ。ローズはこれだ」

「ノラ、オランジュはなかったのか?」

「あれは季節限定らしい」


 誰も聞いていない。


 悠馬は恐る恐る、淡黄色のマカロンに手を伸ばした。思ったよりもろくて、少しへこませてしまった。


「遠慮しないで、好きなだけ取ったらいいよ」


 先に取り終えたシオンが、カウンターのほうに移動しながら悠馬に言う。

 たしかに、残りを二人で分けるには多すぎだ。


「ヴァニーユは食えよ。“プルミエ”のマカロンは、これ食わなきゃ始まらない」


 そう言って、カイがベージュ色のマカロンを勝手に悠馬の皿に乗せてきた。


「いいの? もらっても」

「ヴァニーユは四つあるからな。一つくらい、やるよ」


 それって、四人で一コずつということなんじゃ……。そう言おうとして顔を上げると、カイの皿にはすでにマカロンが山積みだ。


「カイは、甘いものが好きなんだな」


 タコ焼きが好きで、マカロンが好き。ヘンなやつだ。


「ノラが勝ったら、賭けの賞品は何だったの?」

「同じだ。負けたほうが、買ってくる」


 カイは早速、パステルブルーのマカロンにかじりつく。


「え、じゃあもしかして、ノラも甘いもの好き?」

「こう見えて、ノラはかなりの甘党だよ」


 シオンの声は、カウンターの中からした。


 ノラがファンシーなスイーツ店にひとり並んで、ローズやショコラのマカロンを注文しているところを想像してみる。


「こう見えてって……意外かな?」

「うん。すごく」


 反射的に答えてから、ノラ本人に聞かれたのだと気づいた。


「あっ、いや! 悪いイミじゃなくて。むしろ、いいっていうか。スイーツ男子とか? そういうの、カッコイイ……って……」

「ありがとう」


 下手に取り繕うと余計酷くなることに、最初に気づくべきだった。


 ノラの笑顔から逃れるため、悠馬はマカロンに手をつけた。


「いただきます」


 サクッと砕けて、奥から甘酸っぱいレモンの風味が溢れ出す。香りは鼻腔を立ち昇り、甘さが脳にまで染みわたっていくようだ。医学的には、不正確な表現だが。


 疲れには甘いものが効く、なんてよく言うが、そうか、自分は疲れていたのか。ジンジンと頭が痺れる感覚も久しぶりだ。もしかしたら、受験以来かもしれない。


「どうぞ」


 カチャリと音がして、顔を上げるとシオンがカップ&ソーサーを差し出していた。深紅に金線の装飾が優雅だ。


「“ストランド”の、ダージリン・クラシック」


 何を言っているのかわからなかったが、とりあえず中身は紅茶らしい。

 一口飲むと、上品な茶葉の香りがして、それから渋みと酸味がマカロンの残していった甘味と溶け合った。


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