game 9. 十字町のパブ


 翌日、指定された時間に行くと、店内は昨夜と打って変わってどことなく慌ただしい雰囲気だ。


「お邪魔します……」


 なるべく静かに入ろうとしたのに、ドアを引いたとたんカランカランと派手な音がした。


「いらっしゃい、ユウマ」


 真っ先に振り返ったのはノラだ。


「すぐ片付けるから、待ってて。カウンターは、もう掃除終わっているから。好きなところに座るといい」


 テーブルを拭いていた手を一旦止めて、わざわざ悠馬の近くへ来てそれだけ伝えると、また掃除に戻っていった。


 この人は、一見クールで近寄りがたい印象なのに、近づくとなんだか温かいと思った。細身に見えて意外と筋肉質のようで、代謝が良いからか今日も半袖姿だが、そういうことではなくて……。

 昨日もお店での様子を見ていると、キビキビと動き回る一方で、少し手が空くとお客さんたち誰とでも気さくに話をしていた。へえ、ちょっと意外だなと思って眺めている時に、ふいに振り向いて視線がぶつかると、やわらかに微笑みかけられた。


 逆に、白い天使のような少年――に見えたカイは、実際には愛想が悪くて常に仏頂面だ。おまけに、少年どころか年上だったとは。

 店の奥、二階へ上がる階段の横には暖簾のれんがかかっていて、カイはしきりと往復しながらグラスや皿をその中へと運んでいく。


 一人シオンだけはカウンターの中から動かず、グラスを磨いていた。バーテンダーがよくやっていそうなやつ、というイメージだが、その所作もどこかのんびりとして見える。


 ノラがモップを持ち出してきたので、悠馬は邪魔にならないよう、とりあえずカウンターの一番手前の席に腰掛けた。手持ち無沙汰で、なんとなく店内を見回してみる。

 忙しく動き回る二人を見ていると、せめて口だけでも動かさなければ申し訳ない気がしてきた。


「……バーって、昼間もやっているんですね」

「敬語は要らないよ、ユウマ」

「あ、すみませ……じゃなくて、……ごめん?」

「謝る必要はない。僕たちが、そのほうがやりやすいからとお願いしているだけのことだからね」


 穏やかな微笑みに、ゆったりとした口調。それでも、いま一つ“お願い”されているという気がしないのはなぜだろう?


 まあ、とにかく……この人は「シオン」、呼び捨てにする。敬語は使わない。タメ口で話す。

 カウンターテーブルの木目を視線でなぞりながら、悠馬は頭の中で繰り返し唱えた。


「さっきの話に戻ると、僕は一応、“パブ”と呼んでいる。軽食なんかも出しているし、ランチもやっているからね」


 昨日帰ってからショップカードの裏を確認してみると、地図の隣に小さな太陽マークと三日月マークが並んでいて、太陽の横には「11:00~13:00」の表記があった。そして、今日来てほしいと言われた時間は午後一時過ぎだ。


「といっても、ランチは週末だけだけど」


 そう、さらに横には(土日のみ)とあった。


 週二日、二時間だけのランチ営業。昨日の様子では、夜もそんなに客が多いわけではなさそうだったけれど。そんなので大丈夫なのだろうか。

 夜は普通に“バー”という感じだった。まあ、普通のバーにも行ったことがないので、あくまでイメージだが。パブの定義についてはよくわからないが、そういうものなのだろうか。パブと言ったら……おっp、いや、やっぱり何でもないです。


「ユウマ、お腹は空いてない? 何か飲む?」

「あ、いや……、大丈夫……」


 敬語を避けようと気にするあまり、語尾がゴニョゴニョしてしまう。


 午後一時過ぎという時間から、お腹は満たして来るべきだと判断した。

 お昼前後の集合はこれが難しいところだ。集合して、まずは一緒にお昼ごはんなのか、食べてから集合なのか。外して、自分だけ空腹に耐えながら過ごすほど惨めなことはない。待ち合わせのお作法は、ボッチの陰キャには格式が高い。


 でも、よくよく考えてみると、今の時間までランチ営業をしていたのなら、みんな食べるヒマなんてなかったのではないか。だとしたら、お腹を空かせてきたほうが良かったか? 今の質問は、そういう意図だった? それに、せっかく聞いてくれたのだから、飲み物くらいはお願いするべきだったんじゃ……。


 木目がぐにゃりと歪んで、グルグルと思考が渦を巻く。

 こういう時、考えれば答えが見つかるというものでもない。考えれば考えるほど混乱して、何を考えるべきなのかさえ分からなくなってしまう。それが分かっていても、考えることを止められないのだ。


 その渦の中へ、シオンの声が投じられた。


「一応確認しておくけど、チェスの経験は全くないんだよね。そこが間違っていると、キミをプレイヤーに選んだ時点で僕たちの不戦敗だ」

「あ、はい……うん。お恥ずかしながら、全然」


 昨夜帰ってから少し勉強したが、それは数に入らないだろう。


「あ。将棋なら、小さい頃にちょっとだけやったことあるけど。それも、もうほとんど覚えていないし」

「それは構わないよ」


 シオンが最後のグラスを棚に戻して、カウンターから出てきた。ちょうど他の二人も仕事を終えたようだ。


「では、初級レッスンといこうか」


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