game 7. 暮残る空


 今日も一日が終わった。

 つつがなく。何事もなく。何もなく。


 昼と夜の境界線に向かって自転車をこぐ。太陽の名残がすっかり飲みこまれてしまう前に、いったいどこまで行けるのだろう。

 コンビニの明かりが煌々とさとす。諦めろ、ここらはすでに、闇の世界だ。


 今日一日で、いったい何ができただろう。

 筋肉の名前をいくつか覚えた? 明日になったらいくつか忘れて、また必死に覚え直す。少しずつ、少しずつ。繰り返し。

 そうやって積み上げたものが、砂上の楼閣だったなら、いつか一気に崩れ去る。


 どこかに行きたい。

 ここではない、どこか。

 でも、どこへ?


 明日は土曜日。ようやく週末だ、というよろこびは陰キャにも等しくあるが、それは幾ばくかの憂鬱ゆううつと背中合わせにやってくる。

 週末だからといって、特別な予定があるはずもない。ただ、講義やクラスメイトの呪縛から一時的に解き放たれるというだけのことだ。


 やることがないから勉強をする。哀しいかな、友達のいないぶん、かわりに時間はたくさんあるのだ。

 そうやってここまで登ってきた。難関大学医学部。将来安泰。その“将来”っていうのは、いつのことだろう? まだ何一つ安定しない。峻険な道半ば。


 同じ境遇のクラスメイトたちは、今の状況に安心できているのだろうか。

 みんなは今頃……。ノートの空白を見つめて思い描く。まあ、どうせ、サークルやバイトに勤しんでいるのだろう。あるいはナースとデートしたり、新しい下着を買いに行ったり。


 そして先輩の過去レポートを丸パクリして課題を提出し、カンニングで試験をパスし、何食わぬ顔して医者への階段を上っていくのだ。


 自分はいったい、何のために勉強しているのだろう。机に向かうたび、疑問が鎌首をもたげる。

 関係ない。人は人、自分は自分。自分の知識のためだ――どれだけ言い聞かせてみても、綺麗事きれいごとにしか聞こえない。結局、真面目にやった者が馬鹿を見る。


――そんなこと、おまえに関係あるのか?


 あの少年なら、何と言うだろう。

 今日もまた夕日が沈む。


 暗澹あんたんたる思いを宿した頭には、明晰な思考は保てない。一日ずっと勉強をしたつもりだったのに、成果は乏しかった。時間はたっぷりあったはずなのに。今日一日、いったい何をやっていたのだろう。


(こんなことなら)


 暮残る空の遥か南に思いを馳せる。あの人たちは、今日一日どうしていたのだろう。もらったショップカードはまだバッグに入れたまま。あれから丸二日、何の連絡もせずに過ぎてしまった。


――それなら、他のやつを探すだけだ。


 もう、見つけただろうか。


 向こうだって、早くプレイヤーを決めてしまいたいはずだ。

 賭けの勝負はおよそ一か月後と言っていた。十一月も終わりに近づく今、早く決めてしまわなければ“一か月後”が年末年始にかかってしまう。……いや、そこは心配するところじゃないか。


 公園のチェス・マッチは、次の開催は日曜。きっと明日には他の候補者が立てられる。もしかしたら、もう決まっているかもしれないけれど。

 こんなことなら、こちらも連絡先を伝えておけば良かった。

 これというのも、あの生っちろいクソガキのせいだ!


 それに塩谷さん、じゃなくてシオン。駅までカイに送らせたこともだけど、その前に、あの場で返事を聞くべきだったんじゃないのか? そうすれば、きっと引き受けていた。そうすれば、きっと今頃……。


 それから、黒い人……ノラも。いや、やっぱりあの人は、べつに悪くないか。

 ていうか、ノラって何だ? 野良犬とか野良猫みたいじゃないか。あだ名としても、あんまりだ。それとも、名前だろうか。名字の一部とか? 「森宮」がかつて「モーリー」などと呼ばれていたみたいに。


 どうせ、今はみんな「森宮くん」だ。悪いかよ。もう大学生なんだし、それでいいんじゃないの? いつまでも、子供っぽいあだ名で呼び合ったりとか。仲間意識に縛られて、いつでもつるんで、会えない時間も繋がってるとか……。そういうの、オレは要らない。


 明日になれば、きっと他の誰かに決まる。それで全部、片が付く。誰か……自分ではない誰かが、あそこに加わって、黄金のイチョウの木の下で…………嫌だ。

 やっぱり、なんかイヤだ!


 悠馬は急いでバッグからカードを引っぱり出した。King‘s Crossキングス・クロスの文字を確認し、裏返すと簡単な地図と住所、電話番号、それに営業時間が載っている。

 夜は午後六時から午前一時まで。今は七時過ぎだ。ここから十字町まで一時間ほどかかるが、閉店までにはじゅうぶん間に合う。それとも、営業中に訪ねるのは迷惑だろうか。


 でも、今日中に伝えたい。


 悠馬は赤いショップカードをバッグにしまうと、夜の街へ飛び出した。


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