game 5. 日常への回帰


 家に帰り着いてからも、怒りはなかなか収まらなかった。


 十字町駅から四十分余り、電車に揺られ続けても、発散どころか凝縮されてしまった気がする。何なら途中からは帰宅のサラリーマンたちにもみくちゃにされて、余計に加算されたのではないか。

 これも全部、あいつのせいだ。


 高原たかはら大学西口駅で降りて、下宿までの道のり十五分。夜風にあたりながら自転車をこいでも、頭はまったくクールダウンしなかった。


 目まぐるしい一日だった。


 電車に乗ってはるばる深見緑地公園へ赴き、チェスの観戦をして、帰ってくるだけのはずだった。

 黄金に染まるイチョウの木の下、見知らぬ世界に誘われた。モノトーンの店の中、ベンガラ色のソファの上で説明を聞き、夕闇迫る住宅街の細道で白い少年に脅されて別れを告げた。


 あんなことを言われなければ、明日は朝からあの店に行って「賭けの勝負を引き受ける」と告げるはずだったのに。

 これというのも、全部あいつのせいだ。


 それに、駅まで送るのをカイに任せた「シオン」だって悪い。あと、もう一人の「ノラ」も……、何だろう? べつに、何もしていないか。

 いや、何もしなかったのが悪い! いじめにおいては、傍観者だって加害者同然なのだ! って、何の話だっけ?


『そんなこと、おまえに関係あるのか?』


 カイの言葉が蘇る。

 そうだよ、オレには関係のないことだ。「カイ」というのが名字だろうと下の名前だろうと。シオンとノラの、誰が悪かろうとなかろうと。


 もう二度と、関わることはないのだから。


 せいぜい後悔するがいいさ。だが、もう遅い。あっちは悠馬の連絡先も何も知らないのだ。

 惜しむらくは、彼らが逃がした魚の大きさに気づくことすらないことだ。謝罪して、頭を下げて頼みこむなら、もう一度考え直してやらなくもないのに……。


『やるか、やらないか、決めるのはおまえだ』


 そうだよ、決めるのはオレだ。


 なのに何なんだよ、あの“上から”な態度は!? あっちがお願いしてきている立場じゃないのかよ。


『それなら、他のやつを探すだけだ』


 カイの言葉は明瞭で、それだけによく耳に残っていた。


「なんだよ、顔が良くって、声もって。チートかよ!」


 でも、口は悪い。

 態度も悪い。性格も悪い。目つきも悪い。ガラも悪い。悪いを並べて、少しだけ気持ちが回復した。あれじゃ、絶対友達少ないだろ。


 それは自分も似たようなものだと気づいて、悠馬はまた少しへこんだ。

 少なくとも、カイにはシオンとノラがいる。「友達」というのとは違うかもしれないけれど、年の離れた相手とあれだけ気安く接するなんて、親戚くらいしか悠馬には思い浮かばない。いや、親戚でも無理だ。

 それとも、三人は親戚同士なのだろうか。


「ま、どーでもいいや!」


 悠馬はスマホを片手にベッドに寝転がった。


(でも、全然似てなかったよな……)


 カイは父親がデンマーク人だと言っていた。外国人の血が混じれば、それだけ見た目が違ってくるということか。シオンもノラも、日本人の顔立ちだった。

 高校の頃にクラスメイトの誰かが言っていた「イケメンは全員ハーフかクオーター」説を信用するなら、あの二人もアジアとか、どこかしらの外国の血が混じっているのかもしれないが。


 母親については何も言わなかった。ということは、日本人なのだろうか。

 たしか、髪の色は黒髪が優性遺伝のはずだ。母親が黒髪の日本人なら、子供も黒髪の可能性が高いということになる。せいぜい、薄めの茶髪だろうか。それも例外はあるかもしれないが。


 あるいは母親がハーフで、隔世遺伝で淡い髪色が出てきたとか? それとも、やはり母親も白人で……。


 悠馬は手の中のスマホを無意識にいじっていた。検索欄に「デンマーク人 髪の色」と打ち込んで、そこで正気に戻った。


「そうだ、メシ、食おう」



 + + ♔ + +



 一晩眠ると、すべてが幻だったような気がしてくる。

 意気揚々店に行って、賭けを引き受けると言っても、何のことかと首を傾げられたらどうしよう。いや、何ならあの店自体が存在していなかった、なんてことは……?


 悠馬はベッドから飛び起きて、椅子の上のバッグをひったくった。外ポケットのファスナーを引き開け、右手を突っこむ。


……ない。


 何の手応えもない。内ポケットも空っぽで、最後にはバッグの中身を全部床にひっくり返してみたが、探し物は見当たらなかった。


「そうだ、上着!」


 悠馬は立ち上がって、昨日着ていた上着のポケットと、ついでにジーンズのポケットもあらためた。それでもない。

 デスクに入れた? いや、帰ってから一度も出していない。あるとしたら昨日のバッグか服、そのどちらかだ。どこかで落としてきたのでなければ……。


 泣きそうな気持ちでバッグの側に戻り、床にへたりこむ。

 半ば無意識にバッグの背を撫でた手が、外ポケットに入りこんで、硬い紙の角に触れた。

 ファスナーの縫い代のところに引っかかっていたのだ。悠馬は急いで引っぱり出した。


 King‘s Crossキングス・クロス


 ワインレッドのショップカードを確認して、思わず安堵のため息が出た。

 そこでまた、ハッとする。


「いや、だから、オレには関係ないんだってば!」


 カードを放り投げかけて、慌ててバッグのポケットに丁寧にしまい直した。


 そうだ、大学、行こう。


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