game 2. 黄金の公園


 黒と白の駒が乱れ舞う。


 こちら側で、背を向けて黒駒を打っているのは黒い短髪に黒服の青年。座っていてもわかる長身で、黒いトレンチコートの下ですらりと長い足を放り出している。その先のブーツに至るまで全身黒一色だ。


 その向かいで白駒を打つ少年は、白いパーカーのフードを目深にかぶり、薄い色のジーンズは椅子の上であぐらをかいている。フードからのぞく髪も肌も色が淡く、顔立ちは外国人かハーフに見える。


 二人の手は盤上を忙しなく行き交って、次々駒を取り合った。

 カン、コン、カン、コン、駒の動きに合わせて軽快な音が響く。


 やがてテンポが少し緩やかになった。

 白の駒は残り少ない。黒は片側に寄って守りを固めているようだ。近づいた白駒が、またとられた。


 少し間があって、それから白の駒が動いた。


――コトン。


 音を立てて降り立つと同時に、テーブルの脇で見ていた男性が高らかに宣言する。


「チェックメイト。白の勝ち」


 ワッと歓声が上がった。

 白い少年がニヤリと口端を歪める。


 黒が優勢に見えたのに、どうやらそうでもなかったらしい。面白い。もう一度、今度は最初から見たいと思っていると、三人は駒を並べ直し始めた。


 三人というのは、プレイヤーの二人に加えて、先ほど勝敗を告げた男性だ。白いワイシャツの上にヘリンボーン柄の茶色いベスト、プレスのきいたスラックス。会計士とか、公務員といった、お堅い職業が似合いそうな装いだ。おまけに銀縁眼鏡をかけている。

 職場を抜け出して公園で油を売っているようにも見えるが、親しげな様子からすると二人の仲間だろう。何やら雑談しながら駒を並べているが、その声は集まったギャラリーにかき消されて一番外側にいる悠馬のもとには届かない。


 程なくして、白と黒の駒がそれぞれの端に二列ずつ、きれいに整列していた。観客たちも、さっきまでのざわめきが噓のように大人しく試合開始を待っている。


 チェスって、ああいう並べ方だったのかと悠馬は思った。ぎっちり詰まって、なんだか窮屈そうだ。なんとなく、もう少し離れて並んでいるのを想像していた。それは将棋だっただろうか。


 眼鏡の男性の合図で再びゲームが始まった。

 隙間なく並んでいた駒は、あっという間にばらけていって、四角い盤のあちこちで駒の取り合いが始まった。



  + ♔ +



「明後日の木曜日、午後三時に、またこの場所でやりますから。よかったら見に来てください」


 次のゲームが終わると、銀縁眼鏡の男性がギャラリーに向けてアナウンスした。

人垣が徐々にほぐれていく。それでもまだ何人かは、余韻に浸っているのか去りがたそうにしている。悠馬もその一人だ。


「ええ、今日はもうおしまいです。また明後日に」


 男性は根気よく対応して解散を促す。幸いにも、離れたところに一人ポツンと佇む悠馬は看過された。そうして見物客も減って静かになると、男性はテーブルの側に戻って二人に話しかけた。


「どう? 目ぼしいのは、いた?」

「まだ何とも」


 答えたのは白い少年だ。普通に日本語だったのが、ちょっと意外で、思わず笑ってしまった。

 すると、その少年が視線を上げた。


 悠馬は慌てて背を向けて歩き出した。もう周囲に残っているのは女性ばかりで、三人のほうを見ながらヒソヒソ話している。声をかけるかどうかの相談でもしているのだろうか。



 + + ♔ + +



 二日後が待ち遠しかった。


 どうせ明日は休むから、と決めてかかると、水曜日は大学へ行くのが苦痛でなくなった。ついでに木曜の午前も出席して、その日の午後、悠馬は満を持して再び大学をサボった。


 緑地公園駅十四時三十六分着の電車を選んで乗った。次の四十八分では、万が一公園内で道に迷ったときに時間が厳しい。今日は絶対に、最初から見たいと思った。


 駅を出て、前回の記憶を頼りに公園を歩く。池に着いた時点でまだ十分以上あったので、そのあたりを少しウロウロしてから左の遊歩道に入った。


 少し早いけれど人が集まり始めている。イチョウの大樹の下、切株のようなテーブルにはチェス駒が並び、それを遠巻きに囲っている。ちょっと出遅れたか? だが、早すぎるよりはマシだろう。


 黒髪の青年は、今日は丈の短いジャケットを着ているが、相変わらず黒一色だ。白い少年のほうは、たぶん一昨日とデザインは違うけれど、やはり白っぽいパーカー姿をしている。

 二人の傍らには、今日も銀縁眼鏡の男性が立っていた。白シャツにダークブラウンのベスト、同系色で細かなタータンチェックが入っている。相変わらず昼下がりの公園には不似合いな格好だ。


 折角だから今日は反対側から観戦しようと、悠馬は白い少年の後ろに回った。

 それだけで、見える景色がガラリと変わった。


 チェス盤の向こうに座るのは、浅黒い肌に精悍な顔つきの青年。今まで見えていた繊細な白い少年とは何もかもが対照的だ。伏し目がちに盤上の駒をもてあそびながら、何を話しているのだろう、と思ったら、ふいに顔を上げて笑った。


(なんだよ。無駄話してないで、早く始めろよ)


 顔を背けついでにスマートフォンを取り出してみると、時間はすでに三時を過ぎている。三時スタートじゃないのか。みんなも、なぜ文句を言わないんだ。イラっとしながらポケットに戻す。観客はさらに増えていた。


 最初のうちは互いに適度な距離を保っていたはずなのに、後から来た者たちが間を埋め、さらに隙間を埋めて、近すぎる距離がストレスを生む。何食わぬ顔で斜め前に陣取る者まで出てきた。


(こんなことなら、もう一本後の電車にすればよかった)


 人が増えたぶん雑音も増している。自分の立ち位置は変わらないはずなのに、さっきよりテーブルが遠い。反対側に並ぶ観衆の間にも、ちょっとした軋轢あつれきが見て取れる。

 さっさとゲームを始めてくれればいいのに。いや、違うか。いさかいになるくらいなら帰ればいいのだ。


 再びスマホを確認すると、また二分が経過していた。まだ二分だけだったのか、という驚きも無きにしもあらずだが。


 そうこうするうち更に一分が経ち、二分が経ち、ますます人も増えて、ここへ来たことすら後悔し始めた頃、ついにゲームが始まった。


 始まってしまえば、そんなことどうでも良くなった。

 カン、カン、カコン。

 コン、カコン。

 その音を聞くだけで、不思議と苛立ちは霧散していく。


 二回目のゲームが終わった頃にはすっかり心洗われて、悠馬は清々しい気持ちで秋空を仰いだ。


(次は三日後……日曜日か)


 今日もまた、銀縁眼鏡の男性のアナウンスでお開きになった。

 ただ、少し物足りなさもある。前回は途中からの観戦だったが、近くにいた観客の話から察するに少なくとも三ゲームはやったはずだ。


 周りも同じように思ってか、前回以上に解散の足が鈍い。

 その間を縫って、眼鏡の男性が歩いてくる。どこへ行くのかと思って見ていると、男は悠馬の目の前で足を止めた。


「キミ、大学生?」


 一瞬、彼は警察か役所の人で、大学をサボっているのがバレて補導でもされるのかと焦った。

 考えてみれば、大学生がちょっと講義をサボったくらいでとがめるのは親くらいのものか。不良行為の経験が乏しい悠馬には、そのあたりの判断が難しい。


「はい。そうです、けど……」

「チェスは、やったことある?」


 この人は、何を聞こうとしているのだろう? ルールも知らない素人が、二度も観戦しに来たなんて、馬鹿みたいだろうか。少しかじった程度だが、昔やっていたからつい懐かしくて……とでも言っておくほうが無難だろうか。

 実際、将棋なら小さい頃に祖父の相手でやったことがある。それこそ“かじった程度”で、すでにルールもうろ覚えだが。


 さんざん迷った挙句、悠馬は素直に白状した。


「いえ、全然。正直、ルールもあんまり……」


 結果的には、それが正解だった。


「よかったら、僕たちと一緒に来てくれないか」


 黄金の木洩れ日の中、悠馬の道が彼らの世界に交差した。





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