Check✙Mate

上田 直巳

I. ギャンビット

game 1. 青い彼方へ



 どこかに行きたい。

 どこへ行けば良いのかはわからない。

 どこへ行きたいのかさえわからない。

 わかるのは、ここではないどこか、ということだけだ。



 車窓には陳腐な住宅街の風景がただ流れていく。家、家、家、たまに公園、畑、そしてまた家。その繰り返し。無意味な記号の羅列みたいに。

 過ぎ去って、一つも心に残らない。

 ならばこの道中に意味なんてあるのだろうか。

 どこかに辿り着けば、それは見出せるのだろうか。




 その駅で降りたのは偶然だった。

 電車がホームに滑り込む途中で、目の覚めるような青が通り過ぎていった。近くで見たくて、森宮もりみや悠馬ゆうまは開いたドアから滑り出た。


 ホームを反対方向に歩いてみたが、デジタルサイネージ広告はすでに次のものに切り替わっていて、しばらく待っても青い広告は現れない。

 乗ってきた電車はすでに走り去っていた。次を待つ気にもならなず、このまま駅を出ることにした。もともと目的地があったわけじゃない。ただ、このまま乗っていたら終点の駅に着くのだろうなと、ボンヤリ思っていただけだ。


 緑地公園駅の名の通り、駅を出るとすぐ目の前が大きな公園の入口だった。近所で見かけるような、遊具がポツンと置かれた公園とはまるで規模が違う。森のように樹木が茂り、整備された幅広い道がまっすぐに伸びている。

 そばに案内板も立っていたが、とりあえず進んでみることにした。


 カラフルなウェアのランナーたちが、何人も走り過ぎて行く。軽いジョギングの人もいれば、本気走りの人も、のんびり歩いている人もいる。犬の散歩をする人。ベンチに座る人。ベビーカーの親子……。

 自由だ。大学のキャンパスもたいがい自由なものだが、ここにはまた違った種類の自由があると悠馬は思った。


 直線的な大通りを端まで歩くと、広大な池に突き当たった。そこから道は左右に分かれ、池に沿ってなだらかな曲線を描いている。二つの道を見比べて、悠馬は迷うことなく左をとった。

 イチョウの木が、まさに見頃だったからだ。


 少し進むと遊歩道は池を離れ、きらびやかに色づくイチョウ並木へと悠馬をいざなった。黄金色の小さな扇がまた一枚、舞い降りる。ずらりと続く木々は頭上にも枝葉を伸ばし、まるで黄金のトンネルだ。

 見上げると、隙間からのぞく空の青さが目にしみた。そういえば、最近ちゃんと空を見たことがない気がする。




 今朝、目が覚めたときには時刻は間もなく九時というところだった。どう頑張っても一限目の講義に間に合わない。それでも悠馬はベッドを飛び降りて、条件反射のように身支度を進めていた。


 クローゼットから着られる服を選び出す。バッグの中身を入れ替える。教室で腹が鳴っては困るので、とりあえず食パンを一枚、ちぎっては口に詰め込む。

 そうやって頭を使ううち、目が覚めて冷静になってきたのか、それとも考えることに疲れたのか、脳内でささやかな反乱が始まった。


 一限目は、もう諦めても良いのではないか。


 今から自転車を飛ばして教室に駆け込んでも、悪目立ちするだけだ。どのみち今日の一限目は、講義の初めに出欠をとるやつだから、途中から出ても良くて遅刻、運が悪ければ欠席扱いになる。そうだ、それならいっそ休み時間を狙って忍び込み、二限目から出るほうがいい。

 そうと決まると、少し余裕ができた。教科書一冊分だけ、バッグが軽くなった。


 食パンの残りをトーストし、卵を焼いてコーヒーを淹れる。休日よりもマトモな朝ごはんかもしれないと思うと、苦笑が漏れた。

 スマホで音楽をかける。窓を少し開けると、爽やかな秋風が吹きこんだ。


 優雅な朝食を終えて、食器を洗う時間があるかどうか確認すると、すでに二限目も間に合うかあやしい。もういっそ、三限目からでも良いのでは……悪魔のささやきを振り切って、悠馬は急いで家を出た。


 幸い、人通りの少ない時間帯だ。このペースで自転車を飛ばせば間に合う。学生用駐輪場はいっぱいだろうから、とりあえず教職員用のほうに突っこんで、あとで休憩時間にスペースを探しに戻ろう。

 そんなことを考えながら大学に向かっていた、はずだった。自転車はいつの間にか駅のほうへ向かっていた。


 べつに目的があったわけではない。

 駅の駐輪場に自転車を入れると、改札を抜けて、南向きの電車に飛び乗った。




 カン、カン、カコン。

 コン、カコン。


 黄金色に染まった並木道に、小気味好い音が響いている。木槌で打つような軽快な音だ。つられるように足が進む。


 イチョウのトンネルを抜けた先は広場になっていて、大樹がまるでラスボスみたいに威風堂々待ち構えていた。

 悠馬は一瞬、それが音を出しているのかと思った。


 切り株のようなテーブルが三つ、イチョウの大樹を半円に囲むように並んでいる。その左奥のほうに大勢人が集まっているのが、どうやら音の出処らしい。人垣の合間からのぞいてみると、そこに四つ目のテーブルが見えた。


 音の正体はチェスだった。木のテーブルには表面に焼き印のような桝目が入っていて、その上を駒が移動するたび、カン、コン、と鮮やかな音を立てる。


 テーブルを挟んで対戦しているのは、白い少年と黒い青年だ。



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2024年12月1日 12:00
2024年12月1日 17:00
2024年12月1日 19:00

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