第2話「運命の出会い」

 医学部の研究棟、3階。早乙女燐は緊張した面持ちで廊下を歩いていた。今日は研究プロジェクトの面接日だった。


 受付で名前を告げると、燐は小さな待合室に案内された。そこには既に何人かの学生が座っていた。みな、燐よりも露出度の高い服装をしている。燐は無意識に襟元を寄せた。


「早乙女さん」


 呼ばれた名前に、燐は小さく体を震わせた。深呼吸をして立ち上がると、面接室のドアに向かった。


 扉を開けると、そこには予想外の光景が広がっていた。部屋の中央に大きな円卓があり、そこに座っているのは教授たちではなく、一人の若い男性だった。


「どうぞ、お座りください」


 男性の声は、驚くほど柔らかく、心地よかった。燐は戸惑いながらも、指示された席に着いた。


「僕は鷹宮翔です。このプロジェクトのリーダーを務めています」


 燐は驚きを隠せなかった。鷹宮翔――その名は、大学中で有名だった。希少な「超越男子」として、常に注目の的だったのだ。


「え、えっと……早乙女燐です。よろしくお願いします」


 燐は小さく頭を下げた。翔は優しく微笑んだ。


「早乙女さんの応募書類、とても興味深く拝見しました。特に、あなたの研究への情熱が伝わってきて」


 翔の言葉に、燐は顔を上げた。彼の瞳には、純粋な興味の輝きがあった。


「ありがとうございます。私、このテーマにはずっと興味があって……」


 燐は、自分でも驚くほど流暢に話し始めた。乳がんの早期発見の重要性、現在の検診方法の問題点、そして新たなアプローチの可能性について。


 燐は、自分の声が部屋に響くのを聞いて驚いた。普段は控えめな彼女の言葉が、まるで堰を切ったように流れ出す。


「乳がんの早期発見は、生存率を劇的に向上させます」彼女は力強く始めた。「ステージ1で発見された場合、5年生存率は約100%に近いのです。しかし、ステージ4まで進行すると、その率は27%まで下がってしまいます」


 燐の瞳が輝きを増す。彼女の姿勢は自然と前のめりになり、手振りも大きくなっていく。


「現在の標準的な検診方法、マンモグラフィーには限界があります」彼女は続ける。「特に、若い女性や高密度乳房の方々にとっては、精度が低下してしまうんです。それに、放射線被曝のリスクも無視できません」


 鷹宮翔は、燐の熱弁に聞き入っていた。彼の表情には、純粋な興味と驚きが浮かんでいる。


「そこで私が提案したいのは、新たなアプローチです」


 燐の声にさらに力が込められる。


「非侵襲的で高精度、そして患者の負担が少ない方法を開発できないでしょうか。例えば、生体センサーと人工知能を組み合わせた新しい検診システムです」


 燐は息を整えながら、自身のアイデアを展開していく。


「このシステムは、乳房組織の微細な変化を検出し、早期段階でのがん細胞の特定を可能にします。さらに、個々の患者のデータを蓄積・分析することで、個人化された予防プランの提案も可能になるはずです」


 彼女の言葉が途切れると、部屋に一瞬の静寂が訪れた。燐は我に返り、自分がこれほど熱く語ったことに驚きを隠せない。頬が熱くなるのを感じながら、彼女は小さく息を吐いた。


「す、すみません。つい熱くなってしまって……」


 彼女は小さな声で言葉を添えた。


 しかし、翔の表情は真剣そのものだった。彼の瞳には、燐の情熱に呼応するような輝きが宿っていた。


「いえ、素晴らしい洞察です。早乙女さんの考えは、まさに僕たちが目指しているものと一致しています」


 翔は立ち上がり、窓際に歩み寄った。


「このプロジェクトは、単なる医学研究ではありません。私たちは、社会を変えようとしているのです」


 翔の背中越しに、キャンパスの景色が広がっていた。燐は、その姿に不思議な魅力を感じた。


「早乙女さん、一緒にこの研究をしませんか?」


 翔が振り返り、燐に手を差し伸べた。その瞬間、燐の心臓が大きく鼓動した。これが運命の瞬間だと、彼女は本能的に感じ取っていた。


「はい、喜んで!」


 燐は、迷うことなく翔の手を取った。二人の手が触れた瞬間、小さな電流のようなものが走った。


 面接室を出た燐は、廊下で深く息を吐いた。胸の高鳴りが収まらない。


「燐! どうだった?」


 待っていた詩織が駆け寄ってきた。燐は、珍しく明るい笑顔で答えた。


「合格したわ。これから、鷹宮翔さんとプロジェクトを一緒にすることになったの」


 詩織の表情が、一瞬凍りついた。


「鷹宮翔と!? あの超越男子と!?」


 燐は詩織の反応に少し戸惑ったが、すぐに気を取り直した。


「うん。すごく真剣で、知的な人だったわ」


 詩織は何か言いかけたが、結局黙ってしまった。燐は、友人の複雑な表情に気づかなかった。


 その日の夕方、燐は研究棟の屋上にいた。夕日に照らされた街並みを眺めながら、彼女は今日の出来事を振り返っていた。


「これから、どうなるのかしら……」


 不安と期待が入り混じった複雑な思いを胸に、燐は深く息を吸い込んだ。風が彼女の髪を優しく撫でる。そして、その風に乗って、かすかに聞こえてきた。


「早乙女さん?」


 振り返ると、そこに翔が立っていた。夕陽に照らされた彼の姿は、まるで絵画のように美しかった。


「明日から、よろしくお願いします」


 翔が差し出した手を、燐は迷わず握り返した。二人の影が、夕陽に長く伸びていく。

新しい物語の幕開けだった。

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