第3話 旅の途中で

沖に出て十数時間が経ったころ、船は穏やかな航海を続けていた。


「あーよく寝た。」


甲板に出て伸びをする。関節がぱきぱきと鳴る音が聞こえた。


「さすがに三日かかるとなると、暇だなぁ。」


元居た港町からリンドへ行くのには、汽車、馬車、船の三つの方法がある。汽車は早いが高い、馬車は時間がかかりすぎるので諦めた。船なら多少の危険があるものの、一番費用も抑えられる。


「でもこの海域、『魔層迷宮ラビリンス』の近くなんだよなぁ。」


鞄に入れていた本を開く。リンドからやってきた商人から買ったもので、中にはこの世界の出で立ちが描かれている。


曰く、この世界は「魔気スピリトゥス」で満ち溢れている。父さんが使っていた魔術は、この魔気スピリトゥスを操作する技術らしい。その魔気スピリトゥスも、濃い場所と薄い場所、つまり濃度がある。特に濃い場所は「魔層迷宮ラビリンス」と呼ばれ、魔気スピリトゥスをエネルギー源として生活する魔物がたくさんいると言われている。


「魔物…実際に会ってみたいなぁ。」


虫のような小さなものから、獣のような大きいものまで、たくさんの魔物がいるが、その中でもひときわ強い、言わば災害級の魔物もいる。そんな怪物が人里を襲うようなことがあれば、人間はたちまち滅亡してしまう。


「そのための、冒険者。」


冒険者はそんな魔物から人々を守ったり、魔層迷宮ラビリンスの探索をして資源を確保する人たちだ。20年前ほどから活動を始め、今なお人類の発展に貢献している。


「あぁ!早く着かないかなぁ!」

「小僧、ずいぶん暇してるじゃねぇか。」


突然の声に振り向くと、この船の船長がいた。白い髭が乱雑に伸び、太いパイプをくゆらせている。


「暇なら掃除を手伝ってくんねぇか。最近人手不足でなぁ。」

「いいよ!その代わり、また何冊か本を借りてもいい?」

「物好きなやつめ。あんなものでいいならくれてやるよ。」

「やった!」


船長からブラシを受け取り、甲板をこする。その間も、何度も本の内容を反芻していた。




「助かった。礼を言う。ほら、書斎の鍵だ。もう日が暮れるから中に入れ。」

「ありがとう!」


すぐさま船長室の隣にある書斎に行き、鍵を開けて中に入る。おびただしい量の航海日誌の中には、この近くにある魔層迷宮ラビリンスである、「母なる群青の大海ネスカトリア」についての本があった。


「これこれ!」


埃をかぶったそれを手に取り、ぱらぱらとめくる。


「うーん。やっぱりこれも作り話っぽいなぁ。」


「母なる群青の大海ネスカトリア」は非常に濃い魔気を帯びた海域にある魔層迷宮ラビリンスだ。そのため、探索がほとんど進んでいないらしい。


「小僧は冒険者になりたいのか?」

「うん!そのためにリンドに行くんだ!」

「なら悪いことは言わねぇ。やめておけ。」


船長はどかっと椅子に腰を下ろした。


「今までにもこの船に乗った冒険者はいた…みんな『母なる群青の大海ネスカトリア』を探索して、富と名声を手に入れたかった…結局、一人も帰ってこなかったよ。」


パイプを吸い、ゆっくりと煙を吐き出す。


「一番大事なのは命さ。自ら危険に飛び込むようなやつを勇敢とは言わねぇ。それは無謀って言うのさ。」

「それでも僕は…」


その時、轟音とともに、船が大きく揺れた。


「座礁か!?いや、ありえねぇ。航路は絶対に安全なところを通るようにしてる!」

「ってことは…」


急いで甲板に出ると、巨大な影が蠢くのを見た。うねうねと動く複数の触手が船にはりついている。


「魔物だ!大きいよ!」

「くそ!まさかか…!」

って何!?」

「ちょっと前、リンドの港で妙な噂を聞いたんだ!なんでも、魔層迷宮ラビリンスを中心として魔気スピリトゥスが高濃度の範囲が広がってるらしい!」


リンド冒険者組合の定めるところでは、魔気濃度スピリトゥス・レベルは10段階あるとされている。一般的に、人間が住むことのできる濃度は3~4、魔物は5以上となっている。今いる海域はせいぜい4程度のはずだ。


「船長!僕に任せてくれない?」

「何言ってんだ!お前はまだ子供だろ!」

「僕があの魔物を引きはがすから、ありったけで加速して!」

「は!?おい、ちょっと待て!」


自分の船室にかけこみ、鞄の中からふたつのポーションを取り出す。ひとつは、海のように澄んだ青色の液体、もうひとつには、きらきらと輝く黒色の液体があった。ふたを開け、それぞれ半分ほど飲む。


「よし、行くぞ!」


船内のキッチンから大振りのナイフを持ち出し、そのまま甲板に出る。


「おい小僧!何をする気…」


その勢いのまま、海に飛び出した。


「小僧ぉぉおおおおっっ!!」


手のひらを合わせ、目を閉じる。


「耐水50mLと暗視50mL、そして…『魔気操作マニピュレイト』!」


…冒険者の中でも、「術師」は特殊な職業である。多大な精神力と体力を必要とするため、苦手とする者も多い。だが、「魔気スピリトゥスを操る」という特殊性を持つ彼らだからこそ、得意とする状況がある。


それは、魔気濃度スピリトゥス・レベル場合だ。


「(うげっ、冷たっ!耐冷も飲んどけばよかったな…)」


だが、思った通り、強い海流の中でも体が動かせる。暗闇でも魔物の姿がよく見える。魔物は、8本の脚を持った怪物だった。


「(『クラーケン』!初めて見た!)」


船を捕まえている脚は3本。なんとかなりそうだ。


「(やっぱり魔気濃度スピリトゥス・レベルが高い!これなら…)」


慎重に、ナイフに力をこめる。周囲の水がナイフの周りに集まり、大きな刃となった。


「(よし、これなら!)」


大きな力の気配にクラーケンも気づく。即座に脚の一本をこちらに伸ばしてきた。


「(いいよ!まとめてぶった切る!…『水刃アクア・ラーミナ』!)」


振り下ろした刃は激流を生み、さらに大きな刃となって…


船に巻き付く脚ごと、両断した。


半分の脚を失ったクラーケンは慌てたように墨を吐き、海底へと恐ろしい速さで消えた。


「(なんだこれ、見えない!でも、なんとかなった…)」


水面に上がると、船長が心配そうな目でこちらを見ていた。親指を立てると、すぐに浮き輪を持ってきて、僕は船に戻ることができた。




「助かった…小僧、強いんだな。」

「逃げてくれて助かったよ。もし反撃されてたら、ポーションの効果も切れて大変なことになってた。」

「ポーション…?なんだ、それは。」


シャワーを浴び、墨を流した後、僕は船長室で暖かいミルクをいただいていた。


「薬草とかいろんなものを調合して、魔術を加えた薬なんだ。これがあればいちいち魔術を使わなくていいから簡単だし、ストックもできるんだ。」

「そんな便利なもんがあるのか…ほとんど海の上にいるもんだから知らなかったぜ。」

「良かったらいる?病気とか寒さとか、いろんなものに効くよ。」

「おう、なら何個か買おうかな。何がある?」

「えーと、耐風とか、耐水とか…あ、使用量には気を付けてね。6時間に100mLまで。それまでなら組み合わせて飲んでも大丈夫だから。」


そうしてその日は、夜の襲撃が嘘だったかのように穏やかに過ごした。

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