第2話 兆し

「はぁ…誰も来ない…」


今日は市場が午前中で終わりの日。競争率が低いからお客が来ると睨んで午後も店を立てているが…そもそも人ひとりいない。


「早くしないと…父さんが…」


爪を噛む。無力な自分に腹が立った。


「お、おーい!まだいたのか!」

「あ、昨日の漁師さんたち!」


広場の向こう側からやってきたのは、昨日ポーションを買ってくれた漁師さんたちだった。


「あれ、ちょっと顔色良くなった…ってうわぁ!」

「本当にありがとな!」


いきなり手を握られる。ほのかに磯の香りがした。


「あれ飲んだら、すごく体が軽かったぜ!」

「いったい何が入ってるんだあれ!?」

「わ、ちょっと、押さないで!」


屈強な男たちをなだめるのには、かなり苦労した。




「へぇー薬草と動物の肝ねぇ…」

「だからあんな色なのか。」

「父さんは他にもなにかしてるみたいだったけど…」


説明を続けていると、後ろの方にいた男が口を開いた。


「…『魔術』?」

「マジュツ?」

「いや、リンドから来たっていう若い男に、どうやって来たんだって聞いたら、『魔術』がどうたらって言ってたような…」

「なんだそりゃ。」

「初めて聞く言葉だなぁ。」


「魔術」…帰ったら父さんに聞いてみよう。


「それはそうと、昨日のポーション、また売ってくれよ!」

「ああ、今度は人数分な!」

「いいの!?」

「ああ、これで親父さんとうまいもんでも食いな。」

「ついでに今朝取れた魚もやるよ!でけぇから処理に困ってんだ。」

「えぇ!ありがとう!」


その日は計10本のポーションが売れ、朗らかな気持ちで帰路についた。




「ただいま父さん!あのね、今日は漁師さんたちが10本も…あれ?」


そこらじゅうに薬草が散らばる中、父さんは倒れていた。


「父さん!父さん!」


慌てて駆け寄る。肩を数回揺さぶると、薄く目を開けた。


「ああ…コリオ。」

「父さん、しっかりして!」


急いで父さんをベッドに寝かせる。


「コリオ…父さんは、もうだめだ。」

「何言ってるの!」

「最後に、これを…」


父の手にあったのは、一冊の本だった。


「ポーションの作り方と、必要な材料が、書いてある。仕上げに必要な、『魔術』の使い方も…」

「『魔術』…それがあるなら、父さんの病気も…!」

「魔術は、使い方がとても難しい…無理にとは言わない。」


激しくせき込みながらも言葉を紡ぐ父さんを見て、悟った。

もう、父さんは死んでしまうのだと。


「泣くな…コリオ。」

「だって…父さんがいないと、僕は…」

「お前は立派な子だ。自慢の息子だった。」


夜が更けていき、父さんの呼吸はどんどんゆっくりになっていった。


「父さん。」

「…ん?」

「父さんって、子供のころは、何になりたかったの?」

「なんだ、急に。」

「…なんとなく。」

「そうだなぁ…」


遠い目をした父さんは小さく呟いた。


「冒険者…」

「冒険者?」

「この世界は、見たこともないもので、いっぱいだと…旅の人に聞いたことがある。それを探し求める、仕事なのだと…」

「じゃあ、それになるよ。父さんの代わりに。薬師もやるし、冒険者にもなる。」


父さんはきょとんとした顔をして、少し笑った。


「お前は本当に、いい子だよ。」


そう言って、静かに目を閉じた。


もう、目が開くことはなかった。




それから、10年の歳月が過ぎた。


「コリオ!準備はできたか!」

「うん!大丈夫!」

「あんたの薬ももう飲めなくなっちゃうねぇ。」

「手紙くれたら、また届けに来るよ!」

「少ないけど、野菜持っていきな。」

「遠いからお腹すくだろう?干し肉余ってるから持って行って!」


今日、僕は街を発つ。3日後にリンドである冒険者認定試験を受けるためにだ。


「寂しくなるねぇ。」

「あれ、兄貴、泣いてんのかい?」

「バッカ野郎!俺が泣くわけ…うぅ。」

「みんな元気でね!」

「おう!絶対合格しろよ!」

「寂しかったらいつでも戻ってきな~!」


蒸気を吹き、船が港を離れる。


「ポーションも持ったし、魔術書もある。薬草は…これだけあったら十分かな。」


干し肉をかじりながら、地図を取り出す。


「リンドは…この調子なら無事に着きそうかな。」


甲板に出ると、潮風が頬を撫でた。


「うわーっ!」


眩しい日の光。どこまでも深い海。


「待ってろよ、世界!」




少年は知らない。彼が世界の救世主であることを。

少年は知らない。これから、数多の困難が彼を襲うことを。

少年は知らない。世界の広さを。


これから始まるのは、ある街のしがないポーション売りの大冒険である。

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