第一章 剣風団

第1話 団長ディアンド

「おーい、シエル! いい加減起きろ! 朝だぞ!」


激しい声が耳に飛び込み、シエル・クレアセールは一瞬にして意識を取り戻した。重いまぶたを開け、部屋を見回す。窓から差し込む朝の光が、鋭く彼の顔を照らしていた。


「なんだよ、あと五分だけ……」


シエルは布団を頭まで引き上げ、再び眠りの中に沈もうとした。しかし、その瞬間、さらに大きな声が部屋に響き渡った。


「お前、これから団長との剣の稽古だろ?外、見てみろって!」


夢と現実の狭間にいるシエルは、ぼんやりとその言葉に反応した。「団長との稽古?」そんなことがあるはずがない、と一瞬疑ったが、すぐに現実を思い出した。慌てて布団を跳ね飛ばし、眠気を振り払うように目をこすりながら窓の外を覗く。そこには、一人で剣の素振りを始めている団長の姿があった。


「まずい、寝坊した!なんでもっと早く起こしてくれないんだよ、リアン!」


シエルは目の前に立つ親友で幼馴染のリアン・ナイトリーに向かって叫んだ。リアンは腕を組み、ニヤリと笑いを浮かべている。


「だから、さっきからずっと呼んでるんだよ!お前、本当に寝坊ぐせ治らないな。」


シエルは慌てて身支度を始めた。服を乱暴に引っ張って着替え、靴を無造作に履き、手早く髪を整える。そんな彼を見ながら、リアンは苦笑し、軽く背中を叩いた。


「団長が待ってるぞ。これ以上遅れると、知らないからな。」


シエルは急いで部屋を飛び出した。廊下を駆け抜け、階段を一気に駆け下り、団長の待つ場所へと向かっていく。リアンの笑い声が、背後にいつまでも響いていた。


「はあ、はあ、ごめん!遅くなりました!」


シエルは息を切らしながら、団長の前で頭を下げた。彼の額には汗が浮かび、頬はほんのりと赤くなっていた。

いつもの稽古場は、街を一望できる小高い丘の上にあった。そこからは、朝日に照らされたビネットの街並みと、遠く広がる海が美しく輝いて見えた。丘には常に爽やかな風が吹き、海の香りと草の匂いが微かに混ざり合っている。街の喧騒からは隔絶された、静謐な空気がそこにはあった。


その丘の一角には、彼らの拠点「剣風団」の宿舎が構えられている。団長ディアンドが立ち上げたこの組織は、街のあらゆる依頼を請け負う何でも屋だ。盗賊の討伐や護衛任務はもちろん、時には人々の届け物や落し物の探索まで、多岐にわたる仕事をこなしながら生計を立てていた。ディアンド率いる剣風団は、その確実な仕事ぶりで街の人々から厚い信頼と尊敬を集めている。


ディアンドは、遅れてきたシエルを一瞥すると、眉をわずかにひそめた。彼は遅刻を許すような性格ではなかったが、日常的な出来事であることを悟ると、少しだけ表情を緩めた。その瞬間を見逃さなかったシエルは、再び深く頭を下げた。


「さて、始めるか。しっかりついてこいよ。」


ディアンドは木刀を持ち上げ、冷静な声でシエルに告げた。シエルは無言で頷く。稽古が始まると、丘の上は木刀がぶつかり合う音と、汗の香りで満たされた。ビネットの街で人々が活気に溢れている一方で、丘の上には厳しい鍛錬の静かな緊張が漂っていた。


「どうした、シエル。踏み込みが甘いぞ。」


ディアンドは冷静な目で、シエルの攻撃を軽々と受け流していた。シエルの木刀は確かにディアンドの隙を狙っていたが、その動きを揺るがすには至っていない。


「少しは腕を上げたな。だが、まだまだだ!」


次の瞬間、ディアンドの猛攻が始まった。彼の剣は風のように素早く、シエルはその全てを受け止めようと、息を大きく吸い、全神経を集中させた。木刀同士がぶつかり合う音が、丘の上に響き渡る。


「はあ、はあ、まだまだだ!」


息を荒らしながらもシエルは再び構え、ディアンドに突進しようとした。そのとき、宿舎の方から明るい声が響いた。


「お兄ちゃん!お父さん!お水とタオル、ここに置いておくね!お兄ちゃん、頑張って!」


駆けてきたのは、妹のマーガレットだった。彼女は団の看板娘であり、家事や事務仕事、さらには街の人々の手伝いに至るまで、剣風団の要となる存在だった。


「おお、マーガレット、ありがとう。」


ディアンドは一瞬だけシエルから視線を外し、娘の方に向き直った。その瞬間をシエルは逃さなかった。「今だ!」心の中で叫び、ディアンドの隙を突いて素早く横に回り込んだ。そして、一気に木刀を振り抜いた。


一撃は空気を切り裂き、静寂を引き裂いたかのように響き渡った。だが、ディアンドはその一撃の軌道を瞬時に見極め、素早く身をかわしていた。シエルの機転には一瞬驚いたものの、彼の反応は見事なまでに迅速だった。


ディアンドはシエルの攻撃を軽やかに避けると、無駄のない動きで彼の背中に一撃を見舞った。鈍い音が響き、シエルは地面に崩れ落ちた。その瞬間、稽古場全体に緊張が走り、風すらも止まったかのように感じられた。周囲にいた団員たちも、息を飲んでその場を見守った。


ディアンドは冷静な目で倒れ込んだシエルを見下ろした。彼の木刀はしっかりと握られており、揺るぎない意志がその手に宿っている。シエルは背中に走る痛みを堪えながら、ゆっくりと顔を上げた。彼の目には燃えるような闘志が宿っており、その輝きは少しも失われていなかった。


「お兄ちゃん!!」


マーガレットは、シエルが倒れ込んだのを見ると、急いで駆け寄った。彼女の手が兄の顔に触れ、汚れを優しく拭き取る。


「お父さん、もっと手加減してあげてよ!」


彼女の声は心配に満ちており、目には涙が浮かびそうだった。眉をひそめた彼女の視線が、ディアンドに向けられた。


ディアンドはマーガレットの視線を受け、わずかに口元を緩めた。

その笑みは父親としての愛情が垣間見えるもので、厳格な団長の表情とは対照的だった。そして、シエルに向けて手を差し出し、静かに告げる。


「今日はよくやった。だが、まだまだ修行が必要だな。」


その言葉には、冷静な厳しさと同時に、成長を見守る優しさが含まれていた。ディアンドの眼差しには、団員としてのシエルへの期待と、父親としての誇りが宿っていた。シエルは痛みをこらえながらも、その手をしっかりと握り返し、立ち上がった。背中に残る鈍痛は、彼がまだ未熟であることを物語っている。しかし、彼の目には新たな決意が光っていた。


「ありがとう、団長……いや、父さん。」


その一言には、これまで厳しい稽古に耐えてきたシエルの感謝と、父親であるディアンドに対する尊敬が込められていた。


マーガレットは、そんな兄の様子を見て、ほっとした表情を浮かべた。その笑顔は、稽古場の張り詰めた空気を一瞬にして和ませ、まるで暖かな陽だまりのようだった。彼女の存在は、シエルやディアンドだけでなく、剣風団全員にとってかけがえのない癒しの光だった。


ディアンドは彼女に目を向け、やや頷いてから再びシエルを見つめた。その瞳には、団長としての責務と、父としての誓いが交錯していた。シエルを一人前の騎士に育て上げ、そしてマーガレットを守り抜く。それが彼の使命だった。


「シエル、明日はお前に任務を与える。詳細は今夜の夕飯時に団員全員で話し合おう。まずは少し休んでから、今日の依頼をこなしてこい。」


ディアンドの言葉に、シエルは軽く頭を下げ、痛む背中をさすりながら答える。


「わかった、ありがとう。いてて……まあ、また後でな。」


そう言いながら、マーガレットに肩を貸してもらい、宿舎へと戻っていくシエル。そのすれ違いざまに、訓練へ向かう一人の男と出会った。


「お、ユウリか。」


シエルが微笑みながら声をかけると、マーガレットも明るく手を振った。


「ユウリお兄ちゃん!これから稽古?頑張ってね!」


彼女の無邪気な声が響く。ユウリ・ヘリアンサスは優しい微笑を浮かべながら、彼らに応じた。


「ありがとう、マーガレット。シエルは、今日もこっぴどくやられたみたいだね。」


ユウリの目が、マーガレットに肩を借りて歩くシエルを見つめる。その言葉には少しのからかいが混じっていたが、友情に根ざした優しさが感じられた。彼もシエルの幼馴染であり、共に剣風団で育った仲間だった。シエル、リアン、ユウリは同い年であり、幼い頃からライバルとして、互いに切磋琢磨してきた。


その中でもユウリは、群を抜いて剣技に長けていた。さらには、わずかながらも「魔法」の扱いを習得していたのだ。彼は幼い頃に出会ったある人物から、魔法を教わり、今では稽古の一環としてそれを使いこなせるまでになっていた。


「今日は稽古をつけてもらえるって聞いて、とても嬉しいです。僕も手加減しませんからね、団長。」


ユウリが木刀を構え、ディアンドに向かって静かに歩み寄る。彼の目には確かな自信があり、木刀を握る手には微かに魔力の気配が宿っていた。


二人が向かい合うと、宿舎全体に一瞬の静寂が広がり、次の瞬間、木刀が鋭くぶつかり合う音が響いた。シエルはその音を背に受けながら、宿舎の中からユウリとディアンドの稽古を見守っていた。その剣の打ち合いを見るたび、シエルの胸の中には、悔しさと焦りがこみ上げてくる。


「……ユウリ、あいつは本当に強いな。」


シエルは呟くようにそう言い、背中を丸めて痛みを感じつつも、再び立ち上がろうとする。その姿を見たマーガレットは、兄の痛みを心配そうに見つめながら、優しく問いかけた。


「お兄ちゃん、背中はもう大丈夫?」


シエルは妹の心配に、軽く微笑んで答えた。


「大丈夫だよ、もう良くなった。ありがとうなマーガレット。さて、今日の依頼に行かないと。」

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