【探偵事務所】掌編小説

統失2級

1話完結

10月も中旬を迎えると日差しはだいぶ柔和な表情を見せ始め、巷間の人々も心地よく生活を送れる様になっていた。その時節の中で猫山真吾もまた束の間の秋に心を和ませる1人であった。猫山は北九州市で探偵事務所を営んでいる。その事務所の規模は小さく探偵は36歳の猫山と29歳で長身の花森弘樹という男性の2人だけだった。それに加え午前中だけ勤務する40代の女性事務員が1人居た。探偵事務所とは言ってもミステリー小説の探偵の様に殺人事件の捜査を行う訳ではなく、主な業務は浮気調査、家出人捜索、結婚前調査などであった。そんな猫山探偵事務所に奇妙な依頼が舞い込んで来たのは、10月18日の午後3時過ぎの事だった。依頼主は桧山弥生という若い女性で弥生は事務所で出された緑茶を一口飲んだ後にこう話し始めた。「私には桧山中理という夫が居たのですが、その夫は2ヶ月前に他界しました。ですが、6日前から夫の声が聴こえる様になったのです。そして、その夫の声がちょっと変なんです。確かにそれは夫の声なのですが、その声は駄洒落を連発するんです。『秋には飽きた』とか『夜には寄るよ』とかつまらない駄洒落を。夫はユーモアに長けた人間ではありましたが、駄洒落を言う人間ではありませんでした。それが今ではつまらない駄洒落を連発して、まるで別人の様なんです。私はその声が別人の声では無いかと疑っています。そこで、猫山さんにはその声が夫の声なのか別人の声なのかを判断して欲しいんです」「……。すみません、大変申し上げにくいのですが、我々は霊媒師ではなく一般の探偵なんです。ですので、その案件は霊媒師の方に依頼されては如何ですか?」猫山は戸惑い気味に返答する。猫山の横では花森もまた困惑の表情を浮かべていた。「私が夫の声を別人の声ではないかと疑うと、その声は『じゃあ、猫山探偵事務所を訪ねて、猫山さんに俺が本物か偽物か判断して貰ってくれ給え金玉』と指示を出して来たんです。その理由をその声は『猫山さんの高祖母は強力な霊能力者だった。その能力は猫山さんにも覚醒遺伝されている筈だハズバンド』と言うのです」と弥生は縋る様な眼差しで猫山を見つめるのだった。


弥生は猫山に「その声と話して下さい」と言い、話す方法は自分の手を握る事だと告げる。猫山は半信半疑ながらも弥生の右手を握り、弥生からの要請で聞き役として花森も弥生の左手を握る。すると猫山の脳内に男性の声が聴こえて来た。「私の正体が桧山中理かどうかなど、最早、些細な問題です。私は猫山さんにメッセージがあり、桧山弥生を猫山さんの元に訪問させました。そのメッセージとは猫山さんの高祖母の事です。猫山さんの高祖母は現在、手違いにより地獄に落ちて拷問を受けています。その高祖母を救えるのは猫山さん、あなただけなのです。ですから、今直ぐ自殺して地獄に転生し、高祖母を救って来て下さい。そうすれば高祖母と猫山さんは必ずや天国に行けます、サケマス、マスカラス。さぁ早く」その声には荘厳で魔力的な響きがあり、猫山が抗う事は不可能だった。猫山は夢遊病に似た状態のまま3階にある事務所の玄関ドアから飛び出すと、外階段で最上階の8階まで一気に駆け上がり、いとも簡単にひらりと飛び降りてしまうのだった。猫山は即死だった。


桧山弥生という名は偽名で、その夫の話も作り話だった。弥生の本名は花森里奈と言い、花森弘樹の妹であった。猫山の高祖母が霊能力者だったという話も出鱈目で実際の霊能力者なのは里奈と弘樹の方であったし、里奈の手を介して猫山に話し掛けていた声の主の正体は脳内声色を使う弘樹だったのだ。弘樹は猫山探偵事務所の40代の女性事務員に片思いをしていたが、その事務員は近々、猫山と結婚する事になっていた。その為、弘樹は猫山を強烈に恨み、霊能力者である自分と妹の力を合わせて猫山を殺害したのだ。また、弘樹は自慢の駄洒落を「つまらない」という理由で猫山から禁止されていて、その分、猫山への恨みも募らせていた。後日、弘樹は傷心の事務員の心に取り入って信頼を獲得し、卑劣な事に結婚まで漕ぎ着けてしまうのでした。

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【探偵事務所】掌編小説 統失2級 @toto4929

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