1話
それはクラス会を解散した帰りのことだった。服に付いた焼肉の匂いに満腹感が刺激され、クラスメイトとする高校生活に体温が上がっていた。そんな多幸感の中、熱帯夜に向かう夕方を歩いていた。
公園の隣に差し掛かった時、倉狩さんがブランコに乗って前後に軽く揺れているのが見えた。下を向いていて、泣いているように思えたけれど、重力に従って下に落ちた横髪が彼女の目を隠していてその真偽は分からなかった。
彼女にお節介と疎まれたことを思い出し、声を掛けるかそのまま通り過ぎるか悩んだ末に声をかけることにした。「こんばんは」と声を掛ければ、少し驚いていたけれど、それ以外は普段と何ら変わらぬ顔を上げた。その後は言葉を発することが出来ない沈黙が続き、お互いに空気を読み合う。数分経って漸く、彼女から「こんばんは」という返事が返ってきた。
「あの、何故ここに?」
彼女の家は確か私の家から真逆の方向にあった。だから私の家の近くにある公園に彼女がいることは、通常有り得ないことだった。彼女は少しだけ思案して、そして言葉を選ぶようにゆっくりと話した。
「昔、ここら辺に住んでいて、久しぶりに、帰ってこようと、思ったので」
そしてまた俯いて黙ってしまった。まだ泣いている気配が彼女の周囲を漂っていたけれど、彼女の表情は平静そのもので、それが俯いて何かを思案している彼女とちぐはぐな違和感を生み出していた。
「暑いですね。ここは植物が多いのでまだ他の場所よりは大丈夫ですが。……でも、暑いです」
「そうですね。半袖か、白くて薄い上着にしたらどうですか」
「確かに、その上着はありかもしれません」
隣のブランコに乗って、ゆっくりと漕いだ。薄れていく夕焼けの赤は、段々と美しい青に飲まれていく。
「綺麗ですね」
「そう、ですね」
彼女は隣に座った私に少しだけ嫌な顔をしてそう答えた。
ブランコの音が交互に響いて孤独を震わせる。隣りにいながら溶け合うことのない雰囲気は、丁度ブランコの真ん中あたりでパキリと分かれていた。
「私は夕焼けの赤が好きなんです。なので、ここは私の密かなスポットでして。ところで、倉狩さんは何の色が好きですか」
「青緑、ですかね。赤の反対色なので」
「赤が嫌いなんですか?」
「好きではないです」
上辺をなぞる会話が落ち込んで、じわりじわりと広がっていくけれど、私たちは意に介さずにブランコを漕いだ。私の座っている場所は赤くて、彼女の座っている場所は青い。好きが交互に揺れては、揃わずに不協和音を鳴らした。
「ところで、なぜ長袖を?」
「それ、言わないと駄目ですか?」
ワントーン声が低くなった。彼女の目は私を軽蔑している。
私は困ったような笑みを浮かべた。彼女はそれを鼻で笑い、その自嘲と共に目を伏せた。長いまつ毛が目に被さって、やはり泣いているように見えた。
「ごめんなさい。不愉快にさせるつもりはなかったのだけれど」
どれだけ暑い日でも手首の先まで覆われた長袖は彼女の肌を執拗に隠していた。クラス内に彼女の肌を見たことがあるという人はいないだろう。
「興味は人を殺しますよ。貴方を不幸にするかも……」
「それで自分が死んでも仕方がないことですよ。自分で選んだことですから」
「美しい信条ね」
「ええ、私の大事にしていることですから」
彼女の言った言葉には皮肉が含まれているような気がしたけれど、それには触れずに褒め言葉として受け取った。その方が人生は余程生きやすいと、高校生になれば皆んな勘付いている。それと皮肉を流せるかどうかとは別物だけれど。
彼女の笑いは乾いていた。凍て風を思い起こさせるそれに冷え込んだ温度が、この世の全てから彼女を守っているようだった。
「曙さんは帰らないの。親が心配しているでしょう」
「それは倉狩さんも同じでしょう。特に、倉狩さんは家が遠いのですから」
「私の家を知っているんですか?」
「大体の方角くらいは。校門を出て逆方向に帰って行きますよね」
「よく見てますね」
諦念が漂う中で、彼女は息を紡いでいた。飴色の電灯が付いて、光が降り注ぐ。黒く長い髪は反射させた光を散らしていた。
彼女が薄く湛えている笑みに昔見た自分の写真が重なった。それと彼女の人格は関係ないのだけれど、共有する何かがあるような気がして身勝手な親近感を抱いた。
「私たち、どことなく似ているかもしれませんね」
「気の所為でしょう。真反対ですよ」
彼女の笑みは損なわれることなくそこにあった。なぜ、嫌がる声色で表情を変えずにいられるのか、私には分からなかった。
彼女のジーパンは、段々と消えていく赤に従って闇に溶けていった。白がベースの長袖の輪郭が不確かになって、消えていくのだと思った。それほどに、落ちかけの陽の下で彼女は夜に似合っていた。
「ブランコ、好きなんですよね。前後に揺れて」
「へぇ」
唐突な彼女の語りに面を喰らうも、気取られないように相槌を打つ。
「なんか、それが私みたいで」
「何となく、分かります」
きっと、ブランコの不定に救われることだってある。人である限り、無機物にも人格を求め、共感と寄り添いに溺れるのだから。
彼女は相変わらず前後に小さく揺れていた。普段幼子の無邪気を受け止めているブランコは、現在モラトリアム期の不安を受け止めている。
執拗に隠そうとする袖の内側に宿るのは痛みだと、勘の悪い私でも分かった。周囲に助けを求めれば良いのにと無責任な思考が頭の中心にあるけれど、口から零れないように気を付けた。学校で時折配られる紙に書かれていることほど現実は上手くいかないし、それは彼女を傷つけて、もう二度と話せなくなるような気がした。逆鱗に触れるとはそういうことなのだろう。人のデリケートゾーンに触れるのは流石に躊躇われた。
「正華。何してるんだ?」
公園の外からお父さんの声がした。普段より少しだけ硬い表情で立っているのを見て、怒られるかもと体を強ばらせる。やることが終わったら早く家に帰るというルールにお父さんは五月蝿かった。だが私の予想とは裏腹に、早く帰るぞと言うだけでそれ以上叱ることはなかった。
「貴方は正華のクラスメイトですか」
「ええ、まあ」
「こんな時間までありがとうございます。貴方もそろそろ家に帰った方が良いと思いますよ。親が心配しているでしょう」
「何馬鹿みたいなこと言ってるんですか? 見て分かんないんですか? 義務教育からやり直してくださいよ。ほら、道徳とか」
彼女はお父さんを親の仇でも見るように睨んでいた。だから、親のことに触れなくて良かったと思いながら、また学校でと告げてその場を後にした。
帰り道、お父さんと連れ立って歩く。お父さんはあからさまに不機嫌な表情をしていた。
「ああいう子と付き合いを持つのは辞めなさい。もっと良い友人がいるだろう」
「別に倉狩さんは悪い人じゃないよ。少し口が悪かっただけで、さっきのだってお父さんが地雷を踏み抜いたんでしょ」
「だが、この時間まで公園にいて家に帰らない不良少女と娘が関わっているのは良くないし、内申にも影響がある。辞めなさい」
「内申って。もう高校生なんだけど」
「とにかく辞めなさい」
辞めなさいの一点張り。お父さんは普段よりも不自然な程に頑固だった。こうなったら私が折れるまで辞めないと思い、口だけで了承した。私のクラスにああいう子がいるのは予想外だったし、出来ることはなるべくしてあげたい。だから関わることを辞めるつもりはなかった。けれどその了承でお父さんは満足したのか、それ以上踏み込んでくる気はないようだった。
一掬の涙 海月^2 @mituki-kurage
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。一掬の涙の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます