第2話
翌日、目が覚めると、いつものように料理をする時間がやってきた。
だが、今日は何かが少し違う気がする。
キッチンに立って、冷蔵庫の中の食材を見ていると、ふと昨日のことを思い出した。
「佐藤さん…」
自然と彼女の名前が頭に浮かんできた。
普段はあまり目立たない彼女が、昨日あんな風に笑ってくれたことが印象に残っている。
無口で落ち着いている彼女が、弁当を一口食べた時の驚いた顔。その笑顔が妙に頭の中で離れない。
「おかしいな…なんでこんなに気になるんだろう」
自分でも不思議に思いながら、調理を進めていく。
今日の弁当はどうしようか。
冷蔵庫を見ながら、昨日の佐藤さんのことを考えていたら、なんだか和風のお弁当を作ってみたくなった。
彼女の控えめな雰囲気には、なんとなく和食が似合いそうな気がしたからだ。
「じゃあ、今日は鮭の塩焼きと煮物にしようかな」
まずは鮭に軽く塩を振り、グリルで焼く準備をする。
それから、冷凍してあった豚肉と大根を使って煮物を作ることにした。出汁を取って、醤油とみりん、少しの砂糖を加えて味を整える。
こういった和食はシンプルだけど、味付け次第でその奥深さが変わるから面白い。
「ふむ、いい香りだな」
鮭がじっくり焼けていく香りと、煮物から立ち上る出汁の香りがキッチンを満たす。
朝の静かな時間の中で、この香りは何よりも落ち着く。料理を作っていると、昨日の出来事を振り返ることができて、なんだか気持ちが整理されていく気がした。
佐藤さんとの会話、彼女のあの控えめな笑顔。
自分の料理で誰かを笑顔にできたということが、改めて嬉しく感じられる。
「よし、今日もいい弁当ができそうだ」
鮭が焼けたところで、煮物もいい感じに煮えてきた。
副菜としてはほうれん草のお浸しを添えよう。
こうやって一つ一つ丁寧に作り上げる料理が、日々の生活を支えているような気がする。
そして、今日もそれを持って学校へ行き、また誰かと繋がることができるかもしれない。
弁当が完成したところで、朝食の準備もする。今日は昨夜の残りのカレーを温め直して、簡単に済ませることにした。
温かいカレーを一口食べると、昨日の夜作った時とはまた少し違う味がする気がする。時間が経つと、カレーの味が馴染んで、より深みが増す。それが手作り料理の良さだ。
食事を終えた後、制服の袖を通しながら、今日のお弁当と必要な教科書を鞄に詰め込む。
昨日と同じように、なんでもない日常がまた始まる。でも、昨日の出来事があったからか、今日の学校生活が少しだけ楽しみに感じられた。
鞄を肩にかけて、玄関を出る。
自転車に跨り、ペダルを踏み込んで家を出発する。朝の風が心地よく肌に当たり、気分も爽やかになる。秋の涼しい空気が、これから始まる一日を迎えるかのように吹き抜けていく。
「さて、今日も頑張るか」
いつも通りの通学路を進む。だが、頭の片隅にはまだ佐藤さんのことが残っていた。
昨日、彼女が俺の弁当を食べてくれたことが、なんだか嬉しかった。
その小さな出来事が、どうしてこんなにも心に残っているのか自分でもよく分からない。でも、また彼女と話す機会があるかもしれないと思うと、少しだけ胸が高鳴るのを感じる。
「今日は、どんな一日になるかな…」
そんなことを考えながら、学校に向かう道を進んでいく。
学校に着くと、いつものように生徒たちが登校してきている。
校門をくぐり抜け、クラスの教室へと向かう。教室の中は既に何人かのクラスメイトが席に着いていて、賑やかな声が響いていた。
「おはよう、よしお!」
昨日話した山田が、早速声をかけてきた。
彼は相変わらず元気そうで、すぐに俺の隣に来る。
「今日も自作の弁当か? お前、ほんとに毎日作ってすごいよな」
「まあ、好きだからな」
俺は軽く笑いながら答えた。
山田は相変わらずだが、彼の明るい性格には助けられている部分も多い。
こうやって何気なく話せる友達がいることは、ありがたいことだと思う。
「そういえばさ、彼女に手料理作るって話、どうなったんだ?」
俺がそう尋ねると、山田は少し照れたように笑った。
「いやー、まだそこまで進んでないけどさ、今度の休みに一緒に料理教えてくれるんだろ? その時に頑張ってみるよ」
「そっか、頑張れよ。簡単な料理から始めれば大丈夫だ」
「おう、頼りにしてるぜ!」
山田との会話が終わると、ふと教室の隅に目をやった。
そこには佐藤さんがいつも通り静かに席についていた。
彼女は今日も無口で、教室の中ではあまり目立たない存在だ。
だが、俺にとっては昨日の会話があるせいか、どうしても彼女のことが気になってしまう。
「おはよう、佐藤さん」
俺は少し勇気を出して声をかけてみた。
彼女は少し驚いた様子で顔を上げ、俺に気づくと、控えめに微笑んで挨拶を返してくれた。
「おはよう、よしお君」
その何気ないやり取りが、今の俺にとっては少しだけ特別に感じられた。
佐藤さんの静かな笑顔が、昨日と同じように心に響く。
そして、その瞬間、昨日から感じていた小さな違和感が何なのか、少しだけ分かってきた気がする。
佐藤さんが気になる。
どうしてかは分からないけど、彼女のことをもっと知りたい。そんな気持ちが、胸の奥からじわじわと湧いてきていた。
授業が始まり、いつものように時間が過ぎていく。だが、頭の片隅にはずっと佐藤さんのことが残っていた。
彼女がどんな人なのか、普段はどんなことを考えているのか。昨日の弁当の話がきっかけで、俺の中に彼女への興味が芽生えているのを感じていた。
そして、昼休みがやってくる。
今日のお弁当も、もちろん自作のものだ。
いつも通り、教室の隅で食べようかと思っていたが、ふと昨日のことを思い出して外に出ることにした。
秋の爽やかな風を感じながら、校庭のベンチに腰を下ろす。
弁当を広げて、一口食べる。鮭の塩焼きが程よく焼けていて、塩加減もちょうどいい。
煮物も出汁がしっかり効いていて、自分でも満足できる出来だ。こうやって外で弁当を食べると、少し違った味わいを感じる。風が吹く中で食べるご飯は、いつもより少し美味しく感じるのかもしれない。
しかし、ふとした瞬間、頭の片隅に佐藤さんのことが浮かんできた。昨日、彼女が俺の弁当を食べて笑顔を見せた瞬間が、やけに鮮明に思い出される。
その笑顔が妙に心に引っかかって、どうしても気になる。
「佐藤さん、今日もお弁当持ってきたのかな?」
なんてことを考えながら、もう一口鮭を食べる。普段は特に気に留めないようなことも、今は不思議と気になる。
彼女が何を食べているのか、どんな表情で食べているのか、そんなことが頭に浮かんでしまう。
「俺、どうしちゃったんだろうな…」
自分でも気づかないうちに、佐藤さんのことを考えてしまっていることが少し恥ずかしい。
でも、それだけ昨日の出来事が自分にとって特別だったのかもしれない。
普段あまり関わりのない彼女と話したことが、こうやって心に残っているのは、ただの偶然じゃない気がする。
少し落ち着こうと思って、視線を空に向ける。青空が広がっていて、ぽつぽつと雲が浮かんでいる。その景色を見ていると、自然と気持ちが和らいでいく。
「ま、そんなこと考えても仕方ないか」
気を取り直して、残りの弁当を食べ進めることにした。
食べることに集中すれば、少しは余計なことを考えなくて済むだろう。
煮物を口に運び、ほうれん草のお浸しも食べる。
自分で作った弁当の味はやっぱり安心感があるし、こうして毎日手作りしていることが自分の誇りでもある。
昼休みも半ばを過ぎた頃、ふと目の前に誰かが立っている気配を感じた。
顔を上げると、そこには佐藤さんが立っていた。
驚いて何も言えずにいる俺に、彼女は少し恥ずかしそうに視線を逸らしながら口を開いた。
「よしお君、今日は外で食べてるんだね」
「え、ああ、そうだね。今日は気分転換にと思って」
俺は少し動揺しながら答える。
彼女が自分から話しかけてくるなんて予想外だったからだ。
昨日のことがあったから、もしかして気にかけてくれているのかもしれない。
「そっか、いいね、外で食べるの。私も、少し外の空気を吸いたくなって…」
そう言いながら、彼女は俺の隣のベンチにそっと腰を下ろした。
彼女がこんなに近くに座るのは初めてで、少し緊張してしまう。
お互いにしばらく無言のまま、ただ風の音だけが周りに響いていた。
「よしお君の弁当、やっぱり美味しそうだね」
突然、彼女がそう言って俺の弁当に視線を向けた。
その言葉に俺は少し戸惑ったが、すぐに笑顔を作って返す。
「ありがとう。今日は鮭の塩焼きと煮物なんだ。和風にしてみたんだけど、けっこう上手くいったよ」
「へえ、すごいね。自分でそんなに色んな料理が作れるなんて、本当に尊敬するよ」
彼女のその言葉に、俺は少し照れながら
「いやいや、そんな大したことはないよ」と返す。
でも、心の中では嬉しかった。
彼女に褒められると、なぜかいつもよりも嬉しさが倍増する。
「よしお君みたいに料理が上手くなりたいな…私も練習しなきゃ」
「練習すればきっとできるよ。昨日も言ったけど、最初は誰でも失敗するものだし、コツさえつかめば大丈夫だよ。今度、教えてあげるって言ったけど、本当に一緒にやってみる?」
俺がそう言うと、彼女は少し驚いたように目を見開いた。
「え、本当に? 迷惑じゃない?」
「もちろん。むしろ、料理の楽しさを誰かと共有できるなら嬉しいよ」
彼女は少し考え込んだ後、小さく頷いた。
「うん、ありがとう。今度、一緒にやってみたい」
その時、少し照れたような笑顔を見せた彼女が、昨日とはまた違った一面を見せてくれた気がした。
彼女のことが気になっていた理由が、なんとなく分かってきた気がする。
料理を通じて、彼女ともっと繋がりたい、そんな気持ちが自分の中にあることに気づいた。
昼休みが終わり、彼女はまた「ありがとう」と小さく言って立ち上がった。
俺も「じゃあ、また」と手を振り、彼女の後ろ姿を見送った。
風がまた心地よく吹き抜けていく中、俺は残りの弁当をゆっくりと食べながら、彼女との会話を反芻していた。少しずつではあるけれど、佐藤さんとの距離が縮まっていることを感じながら。
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