第40話 メーオの純情
湖の古いが清潔に磨かれた食堂で「オニギリ」というものを食べた。
葉月が厨房で「あちっ、あちっ」と言いながら大きな手を真っ赤にして炊いた米を固めていた。ちまきに似ているが、白米と塩だけで三角に握られている。葉月の手が大きいからか、一個で茶碗山盛り一杯くらいある。
「メーオ様、手を洗って! 洗ったらこっちきて!」
熱い米と格闘する葉月に言われて手を洗う。手を拭いて葉月のもとに行くと、「手出して!」と言われ手を出すとオニギリが乗せられた。
普段なら絶対食べない。外食は嫌いだ。皆は平気で屋台で飲食しているが、衛生状態を考えると食べられない。恋人と一緒に鍋をつつくのも嫌だ。親切心でメーオの茶碗に乗せられるおかずもそっと残している。だって、それ、あなたの口に入った箸ですよね。そう考えると気持ち悪い。そう、だから目の前で両手で握られているオニギリはメーオにとって気持ち悪いものに分類されるはずだった。
だけど、葉月が期待した目でメーオを見ているから、さっき「あちっ、あちっ」って言いながら手を真っ赤にしながら握っていたので、仕方なく尖ったところから食べてみた。ほろりと口の中でほどけ、米の一粒一粒が口の中に広がる。舌に乗る塩気と噛むと甘みをほのかに感じた。なんだこれ。美味しいじゃないか。メーオは驚き、大きめのオニギリをあっという間に食べてしまった。
葉月は得意げな、美味しかったでしょと言いたげな顔で二個目のオニギリを無言で差し出す。そして、横の皿に切り分けていた浅漬けの大根をひょいと手につまんで言った。
「メーオ様、あーんして!」
普段なら絶対しない。でも、オニギリは美味しかった。これも美味しいかもしれない。言われる通り口を開けて待つ。ふわりと漂う柑橘系の香り、口に入れると広がる塩味と大根の旨味。噛む度にポリポリと心地よい歯ごたえが楽しめた。そして、オニギリを一口。美味しい。先ほど注いでくれた温かい麦茶も香ばしくじんわりとメーオの体の中を温める。
「メーオ様を味見役にしてすみません。どうですか?」
小さい目をクリクリと動かし、まん丸な顔をこてりと傾げる。野暮ったい。田舎っぽい。随分先進的な国から来たらしいのにスマートさの欠片もない老女。だけど中身は幼女のように清らかだ。あまりにも自分と違い過ぎて、メーオはその純粋さに心を打たれた。メーオは老獪で、人と接するには虚栄や防御が必要だと考えていたが、葉月にはそれが必要ないと感じた。だからこそ、素直に葉月に答えた。
「うん。美味しいよ。また食べたいな」
葉月は自分が観察対象だということをすっかり忘れているのだろう。全身で喜びを表現し、重そうな体をピョンピョンと跳ねさせている。
「今日の夜は何にしようかなー。後でお買い物に行かなくちゃ」
ご機嫌で厨房で不思議な魔法を使っている。葉月の魔法は今まで見たことがないものばかりだ。
先ほどの浅漬けについて葉月は「真空にすると野菜の隅々まで調味料が染みるの」と言っていたが、生き物が息をする場所に使えば窒息してしまうではないか。
また、根菜の煮物を作るときには「圧力をかけると短時間で柔らかくなるの」と説明していたが、重力魔法ではないか。鍋自体は店にあるものを利用しているので、鍋の中のあらゆる角度から圧力をかけた上に、竈の熱が伝わるように鍋肌に沿わせ、一定の圧力になる様蒸気を少しづつ排出するなど、どこの大魔法使いでも難しいのではないだろうか。
葉月には邪心が無い。きっとこの高度な魔法が人を害することに利用される事があるなど考えたことも無いだろう。神殿で保護されているというが、葉月を利用しようと思えば子どもを騙すくらい容易だ。
メーオはこの不思議な魔法を使う葉月が欲しくなった。様々な転移者を受け入れたり、他国に行って見てきたが、葉月のような魔法を使う者はいなかった。きっと葉月がいれば退屈な日々が変わるかもしれない。
メーオは中央豪族の妾の子だ。父は猫獣人、母は人族の魔法使いで高い魔力を持っていた。父は獣人の能力と人族の魔力を兼ね備えた子供を求め、母に次々と子どもを産ませたが、五人産んだ後は通わなくなった。母は妊娠中のままナ・シングワンチャーの荘園に流れ着き、神殿の治癒師として働きながらメーオを産み育てた。母は父を恨んでいた。家族から無理やり引き離され、妾として子どもを取り上げられた後、捨てられた。そのためメーオは家族の愛を知らずに育った。
メーオは今までどんな人に対しても興味が持てなかった。父を怨むことも母を哀れむことも、兄姉が豪族の庶子として認められていることも羨ましく感じたことも無い。誰に対しても執着することは無かった。それは、友達や、肉体関係のある女に対してもだ。楽しい事や気持ちいい事は好きだが、そこまでに至るやり取りや、その後にある面倒臭い執着は嫌いだ。だから、メーオの周りには
だが、ターオルングのニホンジンはメーオの生きるための唯一だった魔法を
葉月は疑うことを知らない。メーオが魔法の研究だと言えば何でもしてくれるだろう。もしかして、ターオルングのニホンジンよりも強力な魔法を使えるようになるかもしれない。やはり葉月が欲しい。確か、清い乙女だったはず。百戦錬磨のメーオが愛を囁けば、すぐに手の中に落ちてくるだろう。
だが、なぜだ。あの従業員のタオも、部下のポームメーレニアンも、どうして好き好んで四十三歳の大きな老女に好意を持っているのだろうか? どちらもメーオほどではないが、女に不自由しないくらいの容姿や財力があるというのに。もしかして、秘匿されている魅了魔法をかけられたのだろうか。あのオニギリや葉月の料理がおいしいと感じるのは、そのような薬が使われているからか。手づかみで食品を食べたくなるほど中毒性があるのかもしれない。なんにせよ、面白い! 葉月のことを考えるメーオは、いつもの作り笑いではなく、心から楽しんで笑っていた。
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