第39話 ポームメーレニアンの情熱

 犬獣人のポームメーレニアンには、葉月の体臭の中に自分を雄として奮い立たせる何かを嗅ぎ分けていた。それは獣人の本能としか言えないものだ。獣人は相性を匂いが好みかどうかで判断する。葉月の匂いはポームメーレニアンを夢中にさせる。


 幸運な人は「運命の番」に出会えることがあるというが、ポームメーレニアンの周りにはいない。それは豪族だから政略結婚が多いせいかもしれない。「運命の番」に会えばすぐわかるそうだ。だが、葉月は人族で異世界人だ。運命の番だと分からないのはそのせいか? それに、ポームメーレニアンには葉月にはまだ繁殖可能な雌の匂いまで感じ取っているというのに、嗅覚が鋭い兵士たちも婆さんだと葉月を罵った。では、これを嗅ぎ分けることができるのは「運命の番」だからなのではないだろうか。葉月は出会った瞬間からポームメーレニアンの情欲の対象となった。


 それに加えて、ポームメーレニアンの理想の女性である母にそっくりなのだ。しばらく見ていないうちに少し痩せて、ますます母に似てきたことにポームメーレニアンは喜んでいる。


 ああ、早くあの柔らかそうな胸や腹に抱かれて名前を呼ばれて甘やかされたいとポームメーレニアンは切望した。


 母は父のものだった。それに母を自分のものにするには倫理的にも許されない。だが葉月は私だけのものにできるのだ。


 昨年、母が亡くなった時、この世の全てが崩れていくように感じた。日々の雑務で悲しみが少しずつ薄れてきた頃、母にそっくりな葉月が転移してきた。葉月は特別な転移者であり、神が自分に授けてくださったのだとポームメーレニアンは思った。葉月が放逐された後も独自に葉月の生存を信じ、捜索していた。そして、葉月は遠く離れた湖の街で生きていてくれたのだ。これは、神がポームメーレニアンの望みをかなえてくれたのだと強く感じた。


昨日から葉月の言動を見ているが、誰に対しても優しく、甘い。その優しさと危なっかしい感じが豪族の姫として育ってきた母を思い出させる。


 葉月はバンジュートの獣人よりもとても若く見える。ポームメーレニアンには二十代半ばに見える。健康的な肌も、張りがあり押したら跳ね返してきそうだ。葉月を目の前にすると、獣性を開放して飛びついて顔中を舐めたいという衝動を必死に耐えている。


 今日の葉月の服装はゆったりした生成りのワンピースだが、服の中にみっちりと詰まっている肉が柔らかそうで、つい触ってしまいそうになる。こちらでは珍しい短い髪から覗くふっくらとしたうなじが番の印を刻んでくれと言っているようだ。ポームメーレニアンは背が高いため、首から細い皮ひもで下げているものが、所有の印の首輪に見えて仕方がない。


 ポームメーレニアンは葉月を見つめながら、思考を途切れることなく続けている。


 葉月は熱のこもった視線に気づかないふりをした。自分は四十三歳で、この国では老女なのだ。ポームメーレニアンが葉月に好意を持っていると思うのは思い上がりだろう。


 そんな中、葉月は料理でポームメーレニアンを励まそうと思った。ポームメーレニアンは葉月のせいで変な性癖を疑われているのだ。少し贔屓しても罰は当たらないだろう。


「ポメ様。明日のメニューはポメ様の好きな献立にしますね。特別ですよ」


 ポームメーレニアンは特別という言葉に喜んだのか、破顔した。


「では、牛魔獣の肉が食べたい。肉は差し入れようか?」


「わあ。嬉しいです! でも、明日は治癒魔法の日なので、今日から作って寝かせておきますね。味がしみ込んで美味しくなると思います。タオに頼んでおきますね」


 タオが名前を呼ばれたかと寄ってきた。


「どうした? ワシの名前が聞こえたのじゃが?」


「明日治療の日でしょ。昼食を今晩から仕込んでアイテムボックスに入れて置こうと思って」


「そうか。じゃあ、昼は兵士様達にワシが温めて出そうかのう」


「うん。明日屋台に揚げパン持ってきてくれるように頼んどこうかな。何本必要?」


「兵士様たちは大食漢じゃからのう。一人三個は用意して、キックやノーイの分もあるし、三十五個注文して余ったら葉月のアイテムボックスに入れておやつにしたらええじゃろう」


「うふふ。アイテムボックスの揚げパン無くなったの知ってた?」


「魔法を使うと腹がすくと言っとたからのう。もうそろそろなくなるかと思っとったんじゃ」


 ポームメーレニアンはこの二人の打ち解けた感じが面白くない。


「タオ。私はポームメーレニアンだ。ポメと呼べばよい。ところで、タオはハヅキと付き合っているのか? さっきハヅキに聞いたら同僚だと言われたのだが」


 タオは直感でポームメーレニアンが葉月に異性としての好意を持っていることを感じた。


 そして、ポームメーレニアンの言葉を聞いて、タオは一瞬迷った。亡くなった運命の番の存在が心に影を落としていたが、それでも葉月に心惹かれる自分を感じていた。しかし、罪悪感がその思いを抑え込んでいた。恋愛に発展させるつもりはなかった。


「ワシはハヅキの仕事仲間じゃが、家族だとも思っとる。ハヅキはこっちには家族がおらんからな。ティーノーンの家族じゃ」


 そのタオの言葉を聞いて葉月は感動した。今、葉月が住んでいるこの世界には他人しかいないと思っていたからだ。涙が出そうになったが、沢山の兵士たちがいる前で泣きたくはない。その時、タオがそっと葉月を背に庇ってくれた。葉月はタオの心遣いに感謝し、タオの背中に額を付けて涙をそっと拭いた。


「そうなのか? ではハヅキは今誰とも付き合っていないのか?」


 ポームメーレニアンはタオの言葉に納得しつつも、内心では葉月への独占欲を抑え込むのに苦労していた。


「ポメ様、なんでそんなこと聞くの?」


「……ハヅキは頑固だから、道具や金を返さなくて良いと言っても返そうとするだろう。だから、私の新しい装備を選んでもらって、古いのはハヅキが持っていていいと言いたかったのだ。恋仲の者がいたら二人で出かけたら相手が気を悪くするかと思ってな」


「ああ、そういう事ね。ない。ない。日本でもこっちでもモテないから」


 葉月は苦笑しつつも明るい顔で答えた。


「なになにー? ハヅキとお買い物? 僕も一緒に行きたい!」

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