第37話 獣人たちは一触即発

 メーオは耳を後ろに倒し、しっぽを激しく振り始めた。猫と同じで不機嫌なのだろう。フッーとかハッーとかの威嚇の音が聞こえそうだと葉月は思いながら、獣人は交渉事には不向きだなと感じた。


「ええ。私はバーリック・シングワンチャー様の命を受けて、ハヅキの魔法を研究しに来ました。荘園のはずれとはいえ、荘園内に危険な魔法使いを放置することはできません。ハヅキの魔法に危険性が無いと分かれば、すぐに帰りますよ」


 フック神官長は、静かに頷いた後、落ち着いた声で言った。


「承知しました。しかし、ハヅキの魔法の安全性を確認するために、こちらの宿にサメートを常駐させます。サメートは神殿の代表として、ハヅキをサポートし、必要な監視と支援を行います。ハヅキの魔法が安全であると確認できれば、改めて話し合いましょう」


 このように述べると、フック神官長はサメートに目をやり、サメートも静かに頷いた。宿屋内は再び緊張感に包まれたが、フック神官長の冷静な態度がその場を和らげた。


 その日から『カワウソ亭』にはメーオ、ポームメーレニアン、サメートが宿泊し、食堂で兵士たちに昼食を提供することに決まった。


***


 ペーンやハーンはキックとノーイと過ごすように手配した。ハーンは双子を抱きかかえるくらいには回復している。ペーンも自分たちの身の回りくらいはできている。明日にはペーンの治療を行う予定だ。兵士たちの対応をすると体調を崩してしまう可能性もあるだろう。宿と食堂はタオと葉月で回していくことにした。


「おおー! うめえ! 白飯がこんなに旨いなんて初めてだぜ! この漬物も旨い!」


「ただの野菜の煮物なのに、何が違うんだ? 芋がほっくりしていて、嫌いな人参だって甘く感じる!」


「この麦茶というのも初めて飲むが、香ばしくってすっきりとして飲みやすいぜ。訓練の後に飲みたい」


 十人でいっぱいになる食堂で、大きな獣人の兵士たちとサメートに昼食を出す。


 大量に白米を炊き、葉月の大きな手で大きめのお握りを大量に握る。真空調理で浅漬けを漬け、保存していた根菜を圧力調理する。真空調理器や圧力鍋などはない。壺や鍋の中で葉月の魔法を使うのだ。原理は詳しくはわからない。姫に聞いてみたが、姫もわからないそうだ。知ってた。まあ、できるからできのだ。魔法の解明などはメーオに丸投げしていたらいいのだ。


 メーオは葉月の魔法を使った調理を、厨房でご機嫌に観察している。


「ゴロゴロ~。ああ、自然と喉がなってしまう。何なんだい? その魔法って何魔法? どうして魔法かけてるのにずっと操作してるんだい? あー、面白い。面白い! 今度、ハヅキの魔法を写す魔道具をバーリック様から借りて来よう」


 この調子でウロウロされてはかなわない。葉月はメーオに丸椅子を渡しながら言った。

 

「あのー、厨房はあまり広くないので、見学はもう少し離れてもらえますか? ここに座ってください。それに毛が入るといけないので調理台には近づかないでください」


「ハヅキ。それは獣人差別で失礼になる言葉だから注意してね」


 メーオは葉月に優しく注意した。


「そうなんですか? ごめんなさい。気をつけます。そうだよね……ここは獣人の国だもの」


「いいよ。だってチキュウには獣人はいないんでしょ。少しずつ覚えていけばいいよ。チキュウには帰れないなら、ずっとナ・シングワンチャーにいたらいいよ。僕はハヅキがいると楽しいよ」


 メーオはそのまま笑顔で丸椅子に座り、ゴロゴロと喉を鳴らし、目を輝かせて葉月の動きを見つめ続けた。

 

 食後、兵士たちはカウンターまで食器を運んでくれた。


「ありがとうございます」


 葉月の食事に満足気な兵士から声を掛けてきた。


「いや、旨かったよ。兵舎ではもっと手の込んだ食事も出るけど、肉がないのにこんなに旨いのは初めてだ。ごちそうさん!」


 人見知りの葉月は、嬉しさのあまりつい口が滑った。 


「よかったです。いつもは下ごしらえや配膳くらいしかしてなかったので、それに昨日と今日は休みにしていたから、食材が限られていて……。今度はお肉の入ったお食事を作りますね」

 

 照れくさそうにしながらも、葉月の顔には喜びが溢れていた。


 列の最後にポームメーレニアンが並んでいた。目が合うと頬を赤らめながら優し気に微笑んでくれた。


「あ、ポメ様! あの、放逐された際はお世話になりました!」


 ドッと兵士たちが笑う。腹を抱えて笑っている兵士もいる。


「……私、変な事言いましたか?」

 

 葉月はポームメーレニアンに感謝を伝えたかっただけなのに笑われて戸惑った。ポームメーレニアンは兵士たちに向かい、力強い声で抗議した。


「笑うな! ハヅキはティーノーンの神々から手厚く保護するように神託が降りた大切な人なんだぞ!」


 放逐された際に葉月を小突いたバッファローが、ポームメーレニアンを揶揄うように言う。


「あーん? ポメ様は、ママにそっくりなハヅキにぞっこんか?」


 それに触発されたかのように、五人ほどの兵士たちが葉月やポームメーレニアンをからかったり、葉月を嘲ったりし始めた。


「隷属の首輪を着けて外したメーオ様にお礼を言ったり、荘園の塀から放り出した奴にお礼を言ったり、ニホンジンのハヅキ様は礼儀正しいねー。豪族の坊ちゃんはちょっと頭の足りない礼儀正しいばあさんが好みのようだな!」


「ポメ様は塀から出す時に、色々持たせてたって聞いたぜ。どうせ森でくたばっちまうのに坊ちゃまは甘いよなと思ったもんよ。なのに、あの大森林を越えてこんなところまで一人で辿り着くなんて、ニホンジンてえのはゴキブリ並みのしぶとさだな」


「ハヅキは四十三なんだぜ! 俺の母ちゃんの九歳も年上なのに、『ポメ様~』って言われて赤くなってるなんて変態じゃないのか?」


「ああ。ポームメーレニアンは堅物で娼館にも行かないから、二十三にもなって婚約者もいないと思ってたけど、超熟女好きだったとは。豪族のお父様はさぞかし嘆かれるだろうな。お世継ぎも望めないねー」


 ポームメーレニアンは憤怒の表情で兵士たちを睨みつけながら言い放つ。 


「私の事は何とでも言えばいい。だが父や母やハヅキをバカにした奴は許せん。寄ってたかって、ごちゃごちゃ言ってるけど、大きなお世話だ。一人では何も言えないのか? 腰抜けどもが!」


「ああん? やんのか。コラ!」


 段々ヒートアップし、険悪なムードが辺り一面を覆っていた。兵士たちもポームメーレニアンも興奮しすぎて一触即発の状態である。

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