第36話 突然の訪問者

 ハーンの治癒魔法を行った翌朝。突然、ナ・シングワンチャーの荘園の兵士たちが『カワウソ亭』にやってきた。


 兵士たちには食堂で待ってもらい、裏口から出たタオは隣の雑貨屋の子どもに小銭を握らせ神殿に「ナ・シングワンチャーの荘園から兵士が来た」と知らせるように頼んだ。裏の階段からペーンとハーンに部屋にいるように伝え、葉月の部屋のドアをノックすると、中からのっそりと動く音がし、ゆっくりとドアが開いた。    

 

 ボサボサの髪で疲れ切った顔の葉月が出てきた。かわいそうだが現実を伝えなければいけない。


「タオ……。はっ! ちょ、ちょっと待って」


 引き返りそうになったので、ドアを手で押さえた。


「悠長にしておれん。兵士様が来たんじゃ!」


 タオは葉月の手を引き、食堂へ向かった。盛んに寝癖を気にするハヅキが食堂に入るや否や、先ほどの猫獣人が駆け寄ってくる。


「なんだい? ハヅキはお寝坊さんだね。まだ顔も洗ってないの? クリーンをかけてあげよう。なんでそんなに疲れているの? ああ、昨日すごい魔法を使ったんだって? 僕が特別にヒールもかけてあげる」


 魔法で少しマシになった葉月は、それでも戸惑い、怯えた様子は隠せなかった。放逐された意味を知ったので、怖くなってしまったのだろう。タオの後ろに隠れて袖をつかんでいる。メーオは葉月を強引に引き寄せ顔を近づけて話し始めた。ブルーグレーの耳は前を向き、しっぽは高く立てられゆっくりと振られている。


「ねえ、ハヅキ。君、よく荘園を放逐されて生きていたね! これはすごいことなんだよ。どうやってここまでたどり着いたの?」


 メーオはベンチに座り、葉月を横に座らせベタベタと触りながら矢継ぎ早に質問をする。


「兵士様。ハヅキはただの女中です。ですが、神殿から保護されています。無体な事はやめてください」


 メーオは眉をひそめ、タオを見つめた。


「そんなことは知っているよ。ビックリしたよ。森で遭難して死んでると思ったら、遠い湖の街の神殿で保護されて、流行病を押さえた上に、昨日は高位神官でもできなかった石化の呪いの一部を解いたって聞いて急いで転移してきたんだよ!」


 タオは静かに言った。


「昨日、初めて大きな治癒魔法を使ったのです。どうかハヅキを休ませてやってください。それに、もうすぐ湖の神殿のフック神官長様が来られます。ハヅキのことは神殿の方と話し合ってください」


 メーオは一瞬考え込んだ後、他の兵士たちに向かって命じた。


「ここを借り上げる。宿屋全体を確保し、神官長が来るのを待つ」


 その命令に従い、兵士たちは素早く動き出した。宿屋全体が賑やかになり、緊張感が漂う。葉月はタオの隣で不安げに見守っていたが、タオは彼女の肩を軽く叩き、安心させようとした。


 カワウソ亭は大きな宿屋ではない。三部屋しかないし、ベッドも六台が最大だ。それに、獣人用には作っているがこのように屈強な兵士には小さいだろう。食堂も十人入ればいっぱいだ。それをメーオに告げる。


「こんな田舎の宿に期待していない。野営をしない分ましだ」


横柄なその態度にタオはカチンときたが、精々口調をいつもの調子に戻す位しかできなかった。


「ここの大将は今病気なんじゃ。無理はさせられんのう。こんな田舎の宿屋では都会の兵士様では満足いただけんじゃろう。ワシが花街の良い宿を紹介しますのでそちらにどうぞお移り下され」


 後ろの兵士たちは歓喜しざわめいている。メーオは苦笑していった。


「そうか。では僕がここの三部屋を借り上げよう。料金は三部屋分支払おう。ここには僕だけが残って、ハヅキと生活を共にしよう」


 メーオは他の兵士たちに指示する。


「お前たちはそちらでも構わんが、交代で警備に来てくれ。全員転移のスクロールは持って、非常時はすぐ転移して配置に着け」


 メーオはタオを見て、皮肉気に笑った。


「我々は神殿の意向を尊重するよ。ハヅキを連れ帰るつもりはない。ただ、僕はハヅキの魔法に興味があるだけだよ。ハヅキの全てが知りたいんだ。だからずっと一緒にいるよ」


 隣に座らされ腰を抱かれた葉月は全身の身の毛が立つようだった。じりじりと距離をとろうするとメーオが距離を詰めてくる。そんな時、兵士の中から見覚えのある土佐犬、ポームメーレニアンがメーオの前に出た。葉月はポームメーレニアンを見ると満面の笑みを浮かべた。


 ポームメーレニアンは精悍な顔つきを和らげ、頬を赤らめながら葉月からメーオへ視線を移した。


「メーオ様。ハヅキの動向が気になっておりました。この宿に留まり、不測の事態に備えたいのですが」


 メーオはポームメーレニアンを不機嫌そうに見やった。


「えー。僕のハヅキを盗らないでよ? まあ、常駐の兵士も必要だからいいか。特別だからね。こんなわがままきくの。君の父上が豪族だから特別待遇なんだよ。花街の宿の方が若い連中には楽しいだろうに……」


 そんなやり取りをしているうちにフック神官長が馬に乗ってやってきた。


 食堂に急いで話し合いの場を設営する。フック神官長とサメート、メーオとポームメーレニアンがテーブルに着いた。他の兵士は食堂の壁際に並んでいる。タオと葉月はフック神官長の後ろに座った。


 ペーンとハーンは部屋に待機してもらっていることを伝える。フック神官長は頷いてくれた。そしてメーオに問いただした。


「まず、何の用でハヅキに会いに来たか教えてください。ハヅキは湖の神殿が保護をしています。ハヅキ

が神殿を訪れた時このような神託を受けました。


『この街に一人の転移者が訪れるであろう。彼女はニホンジンであるが、魔力は微小であり、ナ・シングワンチャーの荘園を追放された者である。湖の神殿にて彼女を保護し、彼女が平穏な生活を送ることができるよう助けるがよい。そうすれば、この街の安寧が保たれるであろう』と。


 この『カワウソ亭』に留まり、働いているのはハヅキがそう望んだからです。彼女が望まなければ、ここから移動はできません」


 フック神官長ははっきりと告げた。

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