第34話 揺れる心と決意
タオはハヅキをベッドにそっと寝かせた。水を桶に汲み、濡らした手拭いで顔を拭いてやる。じっと葉月の顔を見つめる。黒髪のまっすぐな髪。広く丸いおでこ。たれ目がちの小さい目。小さい鼻。小さい口。しもぶくれの丸い頬は柔らかそうだ。森で初めて出会った時は首の周りにはたっぷり肉がついていたのに、この三か月でだいぶすっきりしたようだ。
時々、眉をしかめて寝返りを打っている。治癒魔法は苦しかったのだろうか。毛布を掛けなおす時、ハヅキのまだまだふくよかな脚とまん丸な足先を見て「デブだな」と笑ってしまう。しかし、それは嘲笑ではなく、愛嬌がある葉月を微笑ましく思っているからだ。
いつの間にか、ハヅキを目で追っている自分に気づいたのはいつだったのだろう。久しぶりに女に興味を持った。自分の女の好みはグラマーでセクシーな女だと思っていた。欲を抱くのはそんな女だったからだ。しかし、知らぬ間に葉月に好意をもっていた。久しぶりでこれが異性に対する興味なのか分からない。もしかして違うかもしれない。ただ、純朴で人を疑う事のない葉月が危なっかしく、目が離せなかった。
ペーンやハーンは葉月を利用しようとしていた。何度か注意をしたが、改善はしなかった。特にいじめたり、酷い待遇をしていたわけではないが、ハヅキが何を言っても文句も言わず黙々と仕事をするのを良いことに次々と仕事を押し付けていた。だが、ハヅキは嬉々として「頼られた」と受け入れていた。
タオにできることはなるべく一緒に仕事をして、気をかけてやった。あまり頭も良くないようで、効率が悪い。段取りをしてやると「タオ、すごい! 凄く早く終わった!」「タオ、ありがとう! いっぱいできた」とまん丸な顔を赤らめ、小さい目が頬に埋まるくらいの笑顔で礼を言う。不細工だなと思うと同時に愛らしいとも思っている自分に驚く。その笑顔が見たくて何かと世話を焼いている自分にさらに驚くこともしばしばだ。
そして今、タオは驚愕していた。濡らした手拭いを乗せようとして、ふと目に留まったハヅキの丸いおでこに口づけをしていたからだ。
ワシは何をしているんじゃ? 相手はハヅキじゃぞ?
なぜじゃ? 何を思って額に口づけなど……。そうだ、あれじゃ! 飼っている動物を可愛がって口づけをする、あれじゃな。なんてことは無い。心配して、早く良くなってほしい、その気持ちを表しただけじゃ。
混乱したまま、タオは葉月の部屋を出た。廊下を歩きながら深呼吸を繰り返した。心の中で自分を落ち着かせようと努める。額に口づけをした瞬間の感覚がまだ鮮明に残っており、胸の鼓動が早まっているのを感じた。
落ち着け、タオ。あれはただの心配から来た行動じゃ。何も特別な意味はない……。
そう自分に言い聞かせながら、タオは裏庭に向かった。裏庭の静かな空気が心を落ち着かせてくれることを期待していた。裏庭に出ると、午後の風が心地よく肌を撫で、少しずつ心が静まっていくのを感じた。
タオは裏庭のベンチに腰を下ろし、空を見上げた。空の青が心を癒し、思考を整理する助けとなった。ハヅキのことを考えながら、タオは自分の感情を見つめ直した。
ハヅキはワシにとって気になる女なのは確かじゃ。じゃが、ワシには運命の番のマレと子どもがいるのじゃ。絶対に女として意識してはいけないのじゃ……。
タオはそう思いながら、深く息を吸い込んだ。ハヅキに対する感情が何であれ、彼女を守りたいという気持ちは変わらない。タオは決意を新たにし、ハヅキのためにできることを考え始めた。
まずは、ハヅキが回復するまで見守ることじゃ。そして、ハヅキが安心して過ごせるように支えていこう。
タオはそう心に誓い、冷静さを取り戻し、再び皆が集まる食堂に戻る決意を固めた。
***
食堂では、ペーンとハーンと向かい合いフック神官長とサメートがテーブルについている。その他の神官は、今日の出来事の報告と封印された壺を運ぶために、王都の大神殿に転移魔法で向かった。一刻も早く報告し、処理が必要だからだ。
ペーンとハーンはテーブルに向かい合って座っているというのに、フック神官長たちには体を背けている。先ほどからも神官長に対して反抗的だ。
サメートが何回目かの説得を試みる。
「今から体がますます動かなくなっていきます。あなたたちのお孫さんを抱き上げるのもかなわなくなるのですよ。そして、そのお孫さんを誰に託すのですか?」
「知らねーよ。神殿の孤児院に入るだけだろ」
「ペーン。タオに頼むって言ってたじゃない! 私、タオなら託して良いって思っているけど、知らない人にはあの子たちを託せないわ」
「そう言うけど、あいつはマレの事を忘れてハヅキの肩を持つ薄情者だ。ニホンジンと同じで信用ならん」
そこに現れたタオは拳を握りしめ蒼白な顔で立ちすくんでいた。
「ペーン。おぬしがワシの事をそんな風に思っていたとは知らなんだ。マレや子どもの事は関係なかろう。それに、マレを忘れたことなどないことは、おぬしらも知っていると思うがのう」
ハーンが立ち上がり、タオの傍に行く。その動きがあまりにもスムーズだったのでペーンとタオは驚いた。
「タオ、ペーンは今気が立ってるの。だから、マレの事は本当にそう思っているんじゃないわ!」
「ハーン! そんなことはどうでも良い。膝は? 痛くないのか? 立ち上がるときテーブルに手をつかなかったし、声も出さなかった。どうなんだ?」
ペーンは驚いた顔で立ち上がり、ハーンに問いかける。
「え? そういえば、何の痛みも無いわ。思った様に体が動く! 体が軽い!」
そのとき、フック神官長が厳しい顔で重い口を開いた。
「あなたたちに残された時間はあと二ケ月ほどです。再三言いますが、今まで石化の呪いでこのように改善した症例はありません。今の状態を改善するには、異世界人でニホンジンのハヅキしかいません。これは変えることのできない事実です。どのように生きて、どのように死ぬか。それはあなたたちが決める事です。私が干渉すべきではない事です。だけど、これだけは言わせてください。ハヅキは心からあなたたちが改善することを願い、治癒魔法を使いました。そして、ペーンは今日『ハヅキの治癒魔法だから受ける』と言ったのですよ!」
サメートにも退出を促しながら、立ち上がったフック神官長は言った。
「ハヅキの努力と心を無駄にすることなく、残された時間を有意義に使うことを考えるのです。命の重さを知り、最後まで諦めずに生き抜くこと、それこそが今のあなたたちに求められていることなのです」
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