第33話 癒しの光と呪いの影

 葉月はペーンとハーンの前に立ち、深呼吸をした。彼らの視線が自分に向けられているのを感じ、緊張が走る。ペーンとハーンは日本人を憎んでいるが、今は少しだけ葉月に心を開いてくれている。それでも、葉月は怖かった。


「ハーン。まずはあなたから治療を始めますね」


 ハーンは一瞬ためらったが、やがて頷いた。今のハーンは痩せていて皮膚も乾燥している。だが、双子の丸い瞳とふっくらした唇はハーンに似ていると思う。呪いにかかるまでは、はつらつとした愛らしい女将さんだったのだろう。


 葉月は三十九歳で亡くなった美しかった母を思い出す。葉月の母は実家の神社で巫女をしていた。父は神社の氏子で、母が高校を卒業すると猛烈にアタックし、二十八歳と十八歳で結婚した。父は十歳年下の妻を溺愛できあいしていた。母は二十歳で葉月を出産した。


 そんな母は葉月と弥生を出産後、難病を発症した。徐々に筋力が落ちていく難病だ。葉月が小学校に上がる頃には介護用ベッドで寝起きをしていた。体調の良いときはベッドサイドに葉月と弥生を呼んでお揃いの手鏡を見ながら柘植つげくしで髪をいてくれた。


 今ならばヤングケアラーと言われていたかもしれない。家事や介護の一切を担っていた葉月は、母が亡くなった時、自分の役割が終わってしまった様に思った。弥生が十八歳でシングルで出産したはるこうが居なかったら母を追っていたかもしれない。あの時は日々が忙しくて深く考える時間も無かった。


 誰かの役に立ちたい。誰かに必要にされたい。私はここにいる理由が欲しい。

 

 お願い。良くなって欲しい。姫、お願い! 助けて! 姫の声が頭の中に響く。


「葉月よ。大丈夫。そなたには妾がついている。葉月の強い思いが魔法に反映している。患者がどのように改善しているかイメージするのだ」


 葉月は姫がそばにいることを強く感じ、心が温かくなった。まるで母の手が背中をそっと押してくれるような安心感が広がった。姫の存在が、葉月に勇気と力を与えてくれているのだと実感した。葉月は姫がいてくれることを強く感じた。そしてフック神官長やサメートを見て頷く。葉月が略拝詞りゃくはいし奏上そうじょうをはじめた。

 

「かしこみ、かしこみ。はらえたまえ、きよめたまえ、かむながら守りたまえ、さきわえたまえ。大願成就たいがんじょうじゅ! 悪病退散あくびょうたいさん! 病気平癒びょうきへいゆ!」 

 

 葉月の口から細く光る触手が沢山出てきた。その金の触手はハーンの身体を包む。触手が無数にのびているため、発光しているまゆにも見える。そして光がハーンを包んだと思ったら、黒いけがれが触手の中を逆流する。禍々まがまがしいモノが、ハーンから葉月の口を通って体内に入っていくのが周りからでもわかった。


「ハヅキ!!」


 タオが葉月の名前を叫んだ。


 針金の様な触手は一本一本葉月の体内に戻っていく。触手が戻るにつれ、四つ這いになり肩で息をしていた葉月を悪心が襲う。最後の一本が葉月の中に戻ると、葉月は嘔吐した。漆黒の粘度の高い吐物が床にベシャリとアメーバのように張り付いている。葉月が吐くものが無くなっても悪心おしんは止まらず胃液と唾液を少量ずつ吐き出していた。

 

 葉月の呼吸が段々落ち着いてきた。ふらふらと体が揺れている。タオは一瞬にして身体を肥大させ、葉月の脱力した肩を両手で支え、膝で体を支えている。あの黒い物体に触るといけない様な気がして、急いで葉月を抱きかかえる。


 完全に意識を無くした葉月をソファに運び横にする。顔色は悪いが呼吸や脈は普通にしていると思う。葉月の顔を手拭いで拭いてやる。ペーンはハーンの手を握っている。ハーンには特別に変わった所は無いように見える。


 その頃、フック神官長たちは壺に黒い物体を移していた。それは大人の男性のこぶしくらいの大きさだが、非常に重い。見た目よりも四~五倍の重さがあるように感じられた。


 クラから出た瘴気とは比べものにならないほどの禍々しい気配がする。神殿の研究で、クラから出た物は『極々薄い瘴気の素』だった。それならば、これは『瘴気』そのものに近いだろう。本部から送られてきた浄化の術式が描かれた壺に黒い物体を移し、聖水で満たした。この物体は特に危険であり、すぐにでも王都の大神殿に持っていく必要があるだろう。


 フック神官長は心の中で思った。もし、ハヅキが完璧に解呪ができるのであれば聖女に値するのではないか。神殿の本部や国、バーリック様に連れていかれる可能性も出てくる。そして、この瘴気の素があれば、魔獣を作り出す研究や人間を魔獣の様にする邪悪な使い方をする輩が出てくるだろう。


 サメートがハーンの鑑定結果をフック神官長に告げると、フック神官長の動きが止まった。その表情には深い憂いと困惑が浮かび、場の空気が一瞬にして重くなった。


 サメートはフック神官長が考えていることを察した。鑑定をしたのがサメートだからだ。フック神官長は深く息をつき、ペーンとハーンを見つめた。


「奇跡の様ですが、瘴気はハーンの体から完全に取り除かれました。しかし、石化の呪いはまだ解けていません。そして、余命も変わらないままです。…あと二か月でティーノーンの神のもとに召されるでしょう」


 ペーンとハーンの顔が青ざめ、驚愕と絶望が入り混じった表情になった。


「そんな…あの黒いものは出て行ったじゃないか!」


 ペーンが叫んだ。ハーンも震える声で続けた。


「結局、何も変わらないの? …なんで…どうして…」


「いいえ。体の不調は解消しているでしょう。だけどあなたたちの心臓はあと二ケ月程度で止まるのは変わりありません」


「なんだよ! ハヅキの治癒魔法なんてやっぱりまぬけな魔法だな!」


 ペーンは怒りをぶつけるように横になっている葉月を睨みつけた。


「結局、何の役にも立たないじゃない!」


 ハーンも涙を浮かべながら葉月を憎々し気に睨んだ。


 睨みつけられた葉月との間にタオが立つ。そして、友人に悲し気な視線を投げた。


「本気で言っておるのか? おぬしらの心はそんなにも濁っておるのか? 葉月をよいように使っておったことは、葉月自身も気づいておったんじゃ。それでも、日に日に皿が持てなくなるハーンや歩くのが大変なペーンのために、何かできることがないかと毎日心配し、おぬしらのために身を粉にして尽くしてくれておったのじゃ。おぬしらは葉月を馬鹿にしたが、わしにはおぬしらが愚か者にしか見えん! この三か月のおぬしらの行いと、治癒魔法をお願いした時の気持ちを思い出せ!」


 タオはそう言って葉月を抱き上げ、神官たちに向かって「部屋へ連れて行く」と告げ、立ち去った。


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