第32話 変わりゆく心
ハヅキが『カワウソ亭』にやってきて三ケ月たった。
ペーンとハーンはこのお人よしのニホンジンをとことん搾取してやろうと思っていた。宿泊客からうつった病気で弱っている自分達に付け込んで、得体の知れない異世界の治療を使うように誘導しようとしていると思ったからだ。
神殿も異世界の神に頼れなんて、自分たちを見捨てたように感じた。もう休日のお祈りなんて行かない。
ハヅキは変な魔法を使う。人族でも魔法を使えるのはほんの一握りなのに、そんな貴重な魔法を賢くない使い方をする。まあ、ハヅキと同じようなまぬけな魔法だ。
俺たちは冒険者だった。魔法は一瞬にしてスマートに発動されるものだった。ターオルングのニホンジンは憎いが、魔法の使い方は一流だった。一瞬にしてターオルング全土に強固な結界を張った。石を切り出して運び、一週間もかからず橋を渡した。土魔法を操って治水工事を一日で終わらせ、森を切り開いて街道を一晩で開通させたと聞いた。
ハヅキはターオルングのニホンジンと同じ時代から来たそうだ。それはバンジュートよりもはるかに便利な世界だったそうだ。何でもボタン一つでできていたと聞いた。
それなのにハヅキの魔法ときたら、効率が悪い。生活魔法が使えると聞いていたが、米を炊くときだって、洗濯をするときだって、掃除だって付きっきりで操作しないといけない。だが、米はそれだけ食べても美味いし、洗濯物は今までよりずいぶん柔らかく良い匂いがする。宿や食堂はハヅキが来てから段々客が増えてきた。
ハヅキのような奴をバカ正直と言うのだろう。ただ俺たちが言うようにがむしゃらに働いている。隷属の首輪の付いていない奴隷の様じゃないか。真心が心を動かすなんて本当に信じているのかもしれない。頭が悪すぎて笑えて来る。
ペーンとハーンは内心で嘲笑しつつも、表面上はハヅキと協力する姿勢を見せている。そうするとハヅキは喜んで『カワウソ亭』を磨く。今では『カワウソ亭』の隅々まで磨き上げられ、古びた趣がありながらも清潔感が漂っている。
ハヅキが何をやっても、心の中で「こんなニホンジンが何をやっても無駄だ」と思いながらも、今ではハヅキがいないと『カワウソ亭』は回らない。
キックやノーイはハヅキにべったりだ。孫を懐柔して俺たちを丸め込むつもりなのかもしれない。
小さい子どもに何言っても聞きはしない。それなのに、キックやノーイはハヅキの言う事だけは聞く。きっと俺たちが見ていないところで菓子で釣って言うことを聞かせているのだろう。
ペーンとハーンはお互いを見て軽くため息をついた。ハヅキを利用してやろうと思っている。思っているのだが、この頃はただひたすらに愚直に頑張るハヅキを見ていると胸が痛くなるのだ。店を始めたころの純粋な思いを思い出させるからだ。
そんな自分たちが情けなくも思えた。結局、ハヅキの純粋さと真面目さが、自分たちに影響を与え始めていたのだ。それでも、ニホンジンへの憎しみは心の片隅に残っており、その葛藤が彼らをさらに苦しめていた。
「こんなはずじゃなかったのに……」ペーンは心の中でつぶやいた。しかし、一方で、ハヅキの努力を見るたびに、どこかで希望を感じている自分がいることに気づいていた。ハーンも同じだった。店を始めたばかりの頃の情熱と希望に満ちた日々が脳裏に浮かび、今の自分たちの状況とのギャップに苦しんでいた。
「このままでいいのか?」ペーンとハーンは、自分たちが変わるべきなのかもしれないと感じ始めていた。
ある日、ハヅキが一心に床を磨いているのを見て、ペーンは決心した。
「ハヅキ、手を休めてくれ」
ハヅキが驚いた顔をして顔を上げる。ペーンの表情は真剣そのものだった。
「俺たちに治癒魔法を試してくれないか?」
ハーンも頷いて同意する。ハヅキは驚きと戸惑いが入り混じった表情を見せた。
「ありがとう、ペーン、ハーン。でも、本当にいいの?」
ペーンは頷いて、葉月を見つめる。
「もちろんだ。ハヅキは俺たちに悪い事をするはずがないって事が分かった、俺たちハヅキの治癒魔法にかけてみる事にしたんだ」と言った。
***
「ずいぶん時間がかかりましたね」
フック神官長が苦笑しながら言った。ペーンは気まずそうに頭をかきながら応じた。
「ニホンジンになんか世話になりたくないのは今も同じ気持ちさ。でも、俺たちは『ハヅキの治癒魔法』だから受けるんだぜ」
「いいでしょう。まず今の体の状態を見てみましょう。ペーンやハーンは正直に今の状態を教えてください。私にはタオについている嘘くらいでは隠せませんよ」
「神官長様。タオには黙っていてくれ。哀れな姿をさらしたくないんだ」
ペーンは苦しげな声で続けた。
「……俺は段差によく躓くようになった。ハーンは皿やジョッキを持てる数が減った。体が重くてよく動かない。段々と動かなくなっている」
「持てる皿が一枚ずつ減っていくの。立ち上がるとき膝が痛くて、テーブルに手をつかないと立ち上がれないし、痛くて声がでてしまうくらい。できていたことが、少しずつできなくなってくるのが怖い……」
「そうですか、今までの症例から見てティーノーンの神殿での治療や解呪はもう効果は見込めないでしょう。今から鑑定をして、身体の状態を記録します。いいですね」
ペーンとハーンは無言で頷いた。フック神官長が鑑定魔法で二人の状態を確認していく。サメートが記録している。そう長くない時間で身体の状態を確認したフック神官長は二人に告げた。
「思っていたより石化の進行が進んでいますね。このままでは、あと一ケ月で歩行困難になり、その一ケ月後には神々の庭に召されるでしょう」
「「そんな……」」
「いや、よく考えるとあなたたちの強靭な肉体があったからこそ、ニホンジンの石化の呪いを受けてなお二年半も今の状態でいられたと考える方が正しいでしょう」
今日は神殿に「ハヅキの治癒魔法を受けたい」と伝えていたので、宿にも食堂にも人はいない。カワウソ亭の食堂の中は、街の喧騒が聞こえるほど静まり返っていた。その静寂を破ったのはフック神官長だった。
「では、葉月による治癒魔法を始めましょう」
フック神官長はその厳しくも柔和な顔を緊張させながら言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます