第30話 異世界からの手鏡通信
全員、ずっと潜めていた息を吐く。
「ねえ、早く葉月に連絡してみようよ。ビデオ通話みたいなもんでしょ?」
晴の言葉で、皆は手鏡を持った弥生の後ろに立ち、固唾を呑んで見守っている。
「葉月、葉月。弥生だよ。皆、一緒にいるよ。息長足姫様に頼んで、お話しできるようにしてもらったよ!」
ひょこっとたれ目がちのしもぶくれ顔が見えた。
「弥生? 弥生なの? 姫、ありがとう! やったー!」
弾けるような葉月の声が聴こえた。葉月に辿り着くまで一ヶ月近くかかってしまった。お蔵に集まった皆が弥生の手鏡を覗き込むものだから、密度が凄い。
「……葉月、元気?」
何かもっと言いたいことはあったが、第一声はやはり体調を気遣う質問だった。
「弥生は。なんか、すごくやつれて痩せてしまってない? 私のせいだよね。ごめんなさい。心配かけちゃったかな」
エヘヘと笑い、眉がへニャリと下がる。葉月は大分体重が落ちたようだ。体重が二桁台になったのはしばらくぶりではないか。だが顔色も良く、声に張りもある。手鏡を覗き込んでいる皆は安堵した。そんな時、弥生の頭上から雷が落ちる。
「このバカ葉月が! 何してるんだ! 皆にこんな迷惑をかけて、その態度はなんだ! どれだけ心配したと思ってるんだ!」
「あっ! その声は恵兄ちゃん。ごめんなさい。ごめんなさい。ゲンコツは止めて。暴力反対!」
葉月からは手鏡の中の弥生の横に少しだけ見えている恵一郎だが「ゴゴゴゴゴ」と効果音が付きそうな圧が凄い。
「もう四十三にもなって、この後どうなるか考えなかったのか? いつも考え無しに行動するから取り返しのつかないことになるんだ。息長足姫様に異世界に行ってしまって帰ってこれないって聞いたぞ。大丈夫か? 飯は食べてるのか? どうやって生活してるんだ?」
恵一郎の厳しい言葉や態度の裏に、人一倍愛情深さがあるのは葉月も弥生も知っている。意外にもおかん属性で、心配症で世話焼きでもある。
「あのね、神殿に拾ってもらって、今は住み込みで宿屋と食堂の手伝いしているよ。仲居さんみたいな感じ?」
異世界に行ったというのになんだかのんびりとした様子の葉月に姪の晴は、葉月が失踪してからずっと知りたかったことを聞いてみる。
「ねえ、葉月。どうして異世界に行っちゃったの? そんなに私達が嫌だった?」
晴は泣きながら葉月に質問した。晴は伯母である葉月を親友のように感じていた。自分の格好悪いところを見せてもずっと愛してもらえると信じていたのだ。
「そうだよ。俺がSNSで葉月の弁当や飯をアップしてたのが嫌だったの? 俺、葉月の飯が食いたい。もうそっち行ったら、葉月に飯作ってもらえないじゃないか。蔵を改築してカフェにして、そのメニュー監修してくれるって言ったの覚えてる? 俺との約束なんて葉月にはどうでもいいことだったんだね?」
葉月は手鏡をのぞき込んでいる皆の顔を眺めた。痩せてしまった弥生の頬には影ができている。美しい妹をそこまで悩ませたことに後悔の念に駆られる。誤解を解きたくて異世界転移した経緯を伝える事にした。
「うん。急に異世界に行ってごめんね。あのね……。怒らない?」
皆の中から恵一郎の顔を探す。
「理由次第だな」
硬い表情の恵一郎を見て、これは怒られるけど言わないともっと怒られるパターンだなと考えながら葉月は告白する。
「あのね、改築の設計図に私の部屋がなくて、松尾家に私はいらないのかなって思ってさ。蔵で、鏡を見ながらバッサリ髪を切って気分一新しようと思ったの。その時、愚痴ったんだよ。『あー、誰も知らない所に行きたい』って。そしたら姫が出てきてくれてね、それでね異世界に行っちゃった」
「「「「「「へ???」」」」」」
「あははははー。事故みたいなものかな?」
「バカたれが! そんなことで遠くに行って。もう会えないんだぞ! いつも言ってただろうが。一旦考えろって!!」
鬼の恵一郎が目に涙を浮かべている。眼鏡を外して、ベルトインしたチェックのシャツの袖でゴシゴシ目をこすっている。恵一郎の白髪が見える。一ヶ月前よりずいぶん増えて、おじさん感が増している。弥生が更にやつれた顔でで答えた。
「葉月の部屋はね、年取ると階段がきつくなるから、一階に作る予定だったの。それで、私たち三人とも葉月の隣の部屋がいいって言って、建築家の先生を困らせて、増築するか改築するか、いっそ新築にするか悩んでて、途中までしか決まってなかったのよ?」
「……何? 私、早とちり?」
恵一郎の怒りが最高潮に達したようだ。
「ほら! だから……。そんなところに行って……。もう、俺や弥生は守ってやれないんだ。今までみたいに悪い男に騙されても、慰めてもやれない。自分でなんとかしなきゃいけないんだぞ。だから健康に気をつけて、少し痩せないと。それで、そっちでいい人に巡りあって、結婚してくれ! 葉月が一人寂しく死んでいくなんて俺は耐えられない!」
泣きながら懇願する恵一郎を見ながら、長年培ってきたスルースキルで恵一郎の号泣をかわす。
「恵兄ちゃん、それはソロハラとかマリハラって言うから、職場で言っちゃダメだよ。これだからオジサンは」
葉月の言葉が恵一郎の怒りの炎に追い油を投げ込んだ時、蘭は手鏡を恵一郎からうばった。
「あはははは! そっち行っても葉月は変わらないね! よかった。食べるのが大好きな葉月が餓死したら恨んで出てきそうだから、心配してたけどそんなに痩せてないし、元気そうじゃん。私は、そっちの楽しいこととか珍しいことを教えてほしいな。ほら、弥生に返すから弥生と話して!」
蘭は弥生に手鏡を渡す。弥生は顔を強張らせて受け取った。
「葉月……お姉ちゃん。もう、会えないんだね」
「こうやって話せるよ」
「お姉ちゃん……」
「お姉ちゃんって呼ばれたの小学校以来かな? くすぐったいね」
弥生は、葉月ののんびりした口調にいら立ちを感じた。ずっと心配していたというのに、葉月は相変わらずマイペースだ。途端に弥生の顔が怒りで紅潮したのが、手鏡越しに見えた。
「お姉ちゃんのバカ! 明日また通信するから、五秒以内にとらないと許さないからね!」
感情を抑えきれず、怒りを爆発させた弥生の言葉が響く。葉月は何が弥生を怒らせたのかすぐにはわからなかったが、通信はブチっと切られてしまった。
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