第24話 クラの治療

「クラ。あなたは何も病気やケガはしていないでしょう?」


 サメートが訝し気に聞く。クラは神官服の懐からペーパーナイフを取り出し、手のひらを傷付けた。握りこまれた手の中から赤い血液が流れ出す。


「「「「あ!」」」」


 驚いた周囲を前に青い顔をしたクラが言う。


「私は役立たずだから……。役に立てるなら嬉しい……」


 葉月は自分より人見知りのハムスター獣人を見る。他の神官が清潔な布を手渡したが、手拭いはじわじわと赤く染まる。治癒魔法が使える神官らがフック神官長を見るが、静観することにしたようだ。


 クラは小さく震えている。葉月は日本で役立たずだった。いつも誰かの役に立ちたいと思っていた。クラの気持ちが痛いほど伝わってくる。クラを見つめる。クラは黙って頷いてくれた。


「治療します」


 葉月はそう言い、急いで中庭の土の上で正座する。略拝詞りゃくはいし奏上そうじょうをはじめる。ニ拝、二拍手、一拝。幼少時、母の実家の神社で教えられたようにお辞儀の角度、手の配置、声の出し方など細かい作法にのっとり祈願する。


「かしこみ、かしこみ。はらえたまえ、きよめたまえ、かむながら守りたまえ、さきわえたまえ。怪我平癒! 心願成就!」 


 清浄な風が吹き、空気が澄んで息がしやすくなる。葉月の口から黄金に輝く糸が無数に伸び、クラの手の平に黄金の粉をかけながらクラを包み込むように巻き付いていく。クラ全体が繭のように包まれると、今度はクラから葉月に触手が戻っていく。黄金に輝いていた糸はくすんだ麦わら色に変わったように見える。シュルシュルと葉月の中に糸が全て戻ると、葉月はえづいた。そして四つ這いになるとその場で嘔吐した。短いひとときであったが、誰もその場から動けなかった。


 異様な光景にフック神官長をはじめ神官たちも愕然として動けなかったが、急に我に返り、フック神官長らは葉月やクラに近寄り脈拍や意識を確認した。


「ハヅキ。大丈夫ですか? 息はできますか?」


 芝生の上に座り込んだ葉月はへにゃりと笑って、言った。


「クラは治りましたか? ちゃんと指は動きますか? あ、そんなに深い傷じゃなかったか。ちゃんと治ってたらいいな……。中庭を汚しちゃってごめんなさい……」


 葉月は意識はあるが、ひどく疲れている様だ。クラを見てみると、意識もあり、神官たちに手のひらを見せて話している。葉月は強い眠気を覚え、部屋に戻りたいと訴えた。


 大きい獣人の神官二人に抱えられるように葉月は孤児院に向かった。部屋に戻ると、深い眠りに落ちた。


 葉月はすっかり眠りに落ちていたが、その間に神殿の中ではいくつかの出来事が起こっていた。フック神官長は静かに部屋に入ってきて、葉月の様子を確認した。彼の顔には深い皺が刻まれ、心配そうに眉をひそめている。


「ハヅキの魔力は本当に特別ですね」


 フック神官長は独り言をつぶやいた。その後、サメートに向けて小声で指示を出した。


「神殿の長に報告します。必要な準備を整えてください。あの『何か』も一緒に提出しますので、水を張った甕に入れて保存しておきなさい。万が一逃げ出すことが無いように蝋で封をして紐で結んでおくように」


 サメートは了承し、後ろに付き従っていた神官たちに指示をすると、神官たちは静かな足取りで動き出し、それぞれの役割を果たしながら準備を進めた。葉月は深い眠りの中で何も気づかず、ただ静かに息をついていた。


 葉月がふらふらと支えられながら自室に戻っている時、神殿の中庭は騒然としていた。


 クラは手が元に戻っている事だけではなく、あることに気づき、とても興奮していた。


「フック神官長様! 私は生まれ変わったようです。ああ、なんて素晴らしいのでしょう!」


「クラ。落ち着きなさい。何が変わったのです? 私には手の傷が治っていることぐらいしかわかりません」


 いつもならフック神官長にさえ緊張して話すクラの様子が違うことに気づいた。


「手の傷も、手荒れも、ニキビも、ずっと続いていた胃痛も頭痛もありません。それに、何と言っても人が怖くないのです!ハヅキ様は聖女様なのではないでしょうか?」


 クラの自信たっぷりの言葉が、フック神官長の耳にずっと残っている。治癒魔法が精神にまで及ぶなど、今まで聞いたことがない。あと、『何か』が不可解だ。『何か』は葉月の嘔吐物から見つかった。ソラマメ大でくすんだ麦わら色のブヨブヨした何かだ。クラから葉月に戻っていった糸の色だ。鑑定では「極々弱い瘴気の素」としか出てこない。


 治癒魔法では瘴気や呪詛が実体として取り出せたことはない。葉月は異世界人なので瘴気を異物として反応し、吐き出したのだろう。『何か』は神殿の研究部に送り、研究してもらわなければならない。


***


 葉月の精神体と姫が、お茶会を開いている。葉月の意識下なので、葉月の記憶内にある豪華なホテルのアフタヌーンティーを二人で楽しむ事にした。


「はー、なんかB級ホラーみたいだよね。口から触手なんて! それに嘔吐して取り出すなんてさ、大道芸の人間ポンプみたいじゃん! アニメの聖女様みたいに慈悲深く微笑みながら治癒したかったのに! なんでこんな仕様なの?」


 葉月は文句を言いつつ、一口サイズのサンドイッチを次々に口に入れ、咀嚼し飲み込むのも早々に、次に食べるものを目で物色していた。姫は笑いながら、可愛いピンクのマカロンと小さな桃のタルトのどちらにするか迷っている。


「妾もそんな風になるとは思っていなかった。葉月は乙女なのだから、もう少し見た目に気を付けた治癒魔法になれば良かったのだが、これは葉月のイメージに基づいているから自業自得だろう」


 姫は気の毒そうに言った。仕方がない。葉月は大きなダンゴムシに似た蟲が人を癒すイメージをしてしまったのだから。


「でもね、クラが皆の役に立ちたいって気持ちに応えられて嬉しかった。私に似ていたの。人見知りなところも、誰かの役に立ちたいと思っているところも……」


 姫は葉月の手を握る。葉月はその手に自分の手を重ねた。温かい。誰も知らない所に転移したが、姫がそばに居てくれるから色々なことを受け入れることができているのだろう。


「姫。ありがとう。私、ここでちゃんと生きる」


 姫は葉月の手をぎゅっと握り返し、笑顔で言った。


「ああ、葉月は妾のいとし子だ。ずっと見守っているぞ」


 葉月と姫は紅茶で乾杯の真似をした。葉月の精神体の部屋は暖かい光で満たされ、二人の笑顔がそこに溶け込んでいた。


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