第15話 裏切りと再生

 初めてできたと思った友達に裏切られた。いや、ラウェルナにとっては友人でもなかったのだろう。顔が汗ではないもので濡れている。いつの間にか日本の神界にある自宅にたどり着いていた。泣いている場合ではない。葉月を守らなければ。


 天照大御神様に依頼して、ティーノーンの神々との通信を繋いでもらった。葉月に危害を加えないよう神託を降ろし、神殿の保護を受けるように手配する代わりに、大量の神気を要求された。姫の神気は既に枯渇気味だったため、天照大御神様に事情を説明し、神気を借りた。その結果、後千年程は天照大御神の仕事を手伝う羽目になるだろう。


 沸騰寸前の頭を冷やすため、裏山の滝に着物も脱がず飛び込んだ。冷たい滝の飛沫が顔に当たる。温かだったラウェルナの小さい可愛い手を思い出す。柔らかで、苦労を知らない手だった。ガネーシャと同じ手だ。誰かに苦労させて、自分は甘い汁を吸う。やはり盗人や詐欺師の守護神だ。自分を陥れるために、ふりまかれた蜂蜜の様にとろける笑顔。その笑顔を向けられることに喜びを感じていた自分を殴り倒したい。


 冷たい水の中に潜る。深く潜る。滝つぼの対流にわざと身を任せる。浮いたり沈んだりしながら死を感じた。意識が朦朧もうろうとしてきた。神は死んで、また生まれ変わるのだ。ラウェルナの事をけがれとして払ってしまいたかった。それなのに、ラウェルナの柔らかく細い体を思い出す。神となって長い間、誰にも触れられない高貴な者として振舞っていた。ラウェルナとの抱擁は怒り狂う武の女神の気持ちを一瞬で凪に変えてしまった。一度知ってしまうと、忘れられなかった。いつの間にか底流に流され、浅瀬に打ち上げられていた。


 姫はのろのろと起き上がり、水に濡れて重い着物をそのままに、母屋に行き使用人に湯あみの準備をさせた。数人の使用人が心配げに手拭いで濡れた髪や身体を拭いてくれる。


 湯につかり自分の白い絹の様な肌に湯をかける。まだまだ若く美しく艶やかだと自分でも思う。神になって久しい夫や子どもの事を思い出す。誰かと触れ合ったのはいつぶりだったのだろう。ラウェルナに依存するように信頼したのは、自分が寂しかったからなのかもしれない。

 

 夫や自分の血脈は脈々と受け継がれ繁栄の礎になっている。今は、人々の安寧あんねいを願い、祈る日々だ。出かけるのは、日本神話支部に呼び出しがあった時くらいだ。


 久しぶりに強い力で祈祷され引っ張り出されたのが、葉月だった。アレは長く仕えてくれている巫女の末裔だろう。ガネーシャが言うように、信者を増やす努力が必要なのかもしれない。だが、ラウェルナの事もある。今は新しい人脈や知り合いを増やすより、堅実に今の繋がりを大切にしよう。今までの様に、できることをひとつずつやり遂げよう。


 葉月は見ていて楽しい。突拍子の無い事ばかりするが、裏も悪意も無い。葉月と手鏡で話すのが楽しみになってきた。まずは、食事をして、薬湯を飲んで、眠り、少しでも神気を溜めよう。


***


葉月は、落ち着いた上品な内装の部屋に通された。今座っている椅子は座り心地が良い。バーリックの屋敷で座った椅子と同じくらい細かい装飾が施されているが、質実剛健な印象が強い。この部屋の雰囲気と同様に、目の前にいる人物も質素で力強い感じがする。


「私はこの神殿の神官長でフクロウ獣人のフックフークです。今朝、ティーノーンの神から神託が降りました。


『この街に一人の転移者が訪れるであろう。彼女はニホンジンであるが、魔力は微小であり、ナ・シングワンチャーの荘園を追放された者である。湖の神殿にて彼女を保護し、彼女が平穏な生活を送ることができるよう助けるがよい。そうすれば、この街の安寧が保たれるであろう』と。


 その時、あなたが神殿を訪ねてきてくれました。さあ、あなたの素性を教えていただけますか?」

 

 オレンジ色の長い法衣を着た、大きな丸い目をしたフックフーク神官長は、葉月を見透かすような目で見てくる。部屋の隅には、書記らしき神官が書類に手を走らせている。


 葉月は、この神官長を信用することにした。姫が守ってくれると言ったのだ。葉月は意を決して、今までの事を話し始めた。


 フックフーク神官長は根気よく葉月の話を聞いたが、それは小一時間もかかった。少し疲れた神官長はソファに深く座りなおし、控えていた神官にお茶を準備させた。その後、葉月を見つめて言った。


「ハヅキ。湖の神殿はあなたを歓迎しましょう。私のことはフック神官長と呼んでください。この街で保護し守ることを約束しましょう。しばらくは神殿で暮らすと良いでしょう。バンジュートのことに慣れたら、仕事を探して街で生活するのも良いでしょう。ご縁があれば、誰かに娶られるかもしれませんね」


 葉月はタオのことを思い出し、顔を赤くしていた。しかし、バーリックの屋敷で言われたことを思い出し、フック神官長に聞いてみた。


「フック神官長様。私、バーリック様のお屋敷で鑑定してもらって、もうお婆ちゃんだから役に立たないって言われたんです」


「そうなんですね。酷い言葉を吐かれて辛い思いをしましたね。女性に年齢を尋ねるのは気が引けるのですが、ちなみにハヅキは何歳なのですか?」


「四十三歳です。棺桶に両足を突っ込んでるって、すごくお婆ちゃんみたいに言うなんてバーリック様も酷いですよね。お若い女性が好きなのは異世界でも一緒なんですね」


「ニホンジンは若く見えますね……。そうですね。早く『鑑定の儀』を済ませましょう。もう一度魔力測定と健康診断を行います。まずは風呂で体を清めてください。巫女服を準備しますので、それに着替えてください。では、女性の神官について行ってください」


 葉月は退出し、女性神官の案内で入浴した。女性神官は入浴中の葉月の体の状態をチェックし、移動中の小さな擦り傷や酷い靴擦れを治癒魔法で治療してくれた。巫女服が準備されていたが、葉月は辞退した。


 だって、チューブトップなのだ! この胸より豊かな腹を出せというのか? フック神官長のセクハラなのだろうか? いや、高潔な方がわざわざオバサンの豊かな腹を見たい訳では無いだろう。


 お願いして、神官服に交換してもらった。今日は葉月の『鑑定の儀』のため、赤の服が準備された。通常は上下白のブラウスとロングスカートと長い布を巻くのだけど、その布の色は位で決まっているそうだ。フック神官長などの高位神官はオレンジ色、まだ修行中の人は黄色、女性は白、儀式のときは赤などだ。バーリックの屋敷で豪華な服に着替えた後の、奴隷落ちを思い出しブルリと震えた。

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