第10話 葉月の大冒険
大きな蜂に遭遇したので、余儀なく反対方向に城壁に沿って移動していた。葉月は、多分森の中に入ったらすぐ迷ってしまうだろうと思っていたが、巨大な猪に出会ってしまった。こんなに大きな猪は見たことが無い。軽ワゴン車くらいある猪だ。魔獣なのだろうか。
葉月は日本でハンターだった。シーズン中は週に数回山に入って猪を狩っていた。松尾家所有の山に住み着いた猪による農作物の被害が増えて、仕方なく十年前に狩猟資格を取得し罠や銃で猪を狩り始めた。今ではハンターの高齢化で葉月でも中堅なのだ。だからと言って猪に恐怖を抱かないわけではない。それに葉月は今、果物ナイフ位のナイフしか持たない。こんな大きな獣に対しては何の役にも立ちそうにない。
まだ猪には気づかれていない。そっと周りを見渡すが、隠れるような所はない。これは木に登るしかないと考えた。三~四メートル位は登らなければいけないだろう。そっと慎重に木に登った。低いところから足をかけることができる木があってよかった。葉月の体重を支えられる位の頑丈な木だ。
二メートル位登ったところで、足をかけた枝が折れてしまった。そして、巨大猪と目があってしまった。
やばい! あの牙で突き上げられたら、出血死間違いなしだ。あと二メートルは登らないと、ジャンプして来たらすぐ届いてしまうと葉月は内心で叫んだ。
猪は興奮し、蹄で土を掻いている。突進してくる気だ。上に登るためにはあとちょっと先にある枝に足を掛けなければ登れない。思い切り足を伸ばす。もうちょっと……。足が
猪が突進し、木に体当たりをしてくる。木がバサバサと揺れる。何回も体当たりは繰り返される。ミシミシッと木が悲鳴を上げている。猪は頭を下げて勢いをつけ木の根元に体当たりした。葉月が頑丈で登りやすいと思った木はあっけなく、ゆっくりと猪に向かって倒れていく。この時図らずも猪の背に落ちてしまった。このままだと振り落とされる。
猪の
葉月は、嫌だ! せっかく姫に異世界転移させてもらったんだ! ここで、私の王子様に出会って、愛し、愛されて、幸せに暮らしましたと後世で語られるんだ! と心の中で叫び、必死に猪の鬣を握りしめた。
猪は葉月を振り落とそうと、ただひたすらに森の
どれくらい進んだのだろうか。水場らしき小さな湖にたどり着く。猪は急に鋭角に方向転換をした。葉月は耐えきれず、振り落とされたが運よく猪の体を滑り降りるように落ち、ゴロゴロと柔らかい草の上を転がった。多少の打ち身はあるようだが、骨折した所は無いと瞬時に判断し、素早く岩の陰に隠れる。多分、隠れていると思った。思うことにした。巨大な猪は背に乗る重い何かが外れたことを喜ぶかのように、森の中に帰って行った。
危機一髪、ピンチは去った……。訳ではなく、結局、転移してきた時と一緒になってしまった。いや、今回は誰も迎えに来てくれる予定は無い。やっぱり、最悪だ。
「こんなの、聞いてないよー!」
本日何度目かの葉月の悲痛な叫びは、再度暗い森に吸収されていくだけだった。
とりあえず水を補給しよう。小さな湖の中心に水が湧き出ている様だ。ヒョウタンの水は問題なく飲めたが補充できるなら新しい水を入れたい。生水は危ない。現代日本人のお腹はデリケートなのだ。できれば沸騰させたいが道具も火も無い。できるだけ獣が飲みに来る所ではなく、湧き水が湧いている源泉近くまで近寄った。いい具合に倒木が橋の様に泉に突き出していたので、そろりそろりと倒木の上を這って湧き水の中心に近づいた。気づいたときには、すでに異変が起きていた。
突然冷たい風が吹きつけて湖に波紋を描いた。その瞬間、空から影が迫り、圧倒的な存在感を持つ巨大な大鷲が、葉月を捕らえたのだ。その爪は鋭く、しっかりと葉月の大きな体を掴んで離さない。目の前に広がるのは広大な空。見下ろすと、地面がどんどん遠ざかり、小さな点のようになっていく。
「ぎえー! 助けてー! 降ろしてー!」
風が耳元でびゅうびゅうと唸る。息ができないほどのスピードで進んでいく中で「どこへ連れて行くの?」という疑問と、「どうなってしまうんだろう?」という不安が胸をよぎる。姫との通信は明日の正午にはできる。それまで何とか生き延びないといけない。
やがて、大鷲は翼を広げ、山頂近くにある巣へと飛んでいく。着いた先は、高い崖の上にある大鷲の巣。巣の中には、親鳥の帰りを待っているひな鳥が数羽。葉月は、彼らの鋭い視線を感じながら身を固くする。ひながぴよぴよと鳴きながら近づいてきて、まるで「早くエサをちょうだい」と言わんばかりにくちばしを開ける。
「まずい、このままではエサにされてしまう!」と葉月は心の中で叫ぶ。なんとかしてここから脱出しなければならない。すると、偶然にも大鷲が一瞬気を抜いた瞬間に、葉月は素早く体を反らしてその爪から抜け出すことに成功した。気づいた親鳥が怒り狂って羽ばたく音を背に、崖から勇気を出して飛び降りた!
目を瞑り、全身に来るだろう衝撃に構える。それは、いつまで経っても来なかった。葉月は目を開けると、ムキムキのスキンヘッドの男に抱きかかえられ、崖を滑り落ちる様に駈け降りていた。
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