第9話 失踪と姉妹の絆

 夕方、仕事から帰ると葉月が居なかった。無駄に広いリアルな古民家を隅々まで探す。お蔵や畑にも行ってみたが、姿は見えない。


「ねえ、ママ。葉月どこ? 明日コスプレの撮影会あるから、葉月にマッサージお願いしてたんだけど」


「えー。まだ飯できてないの。今日賢哉けんやが来て動画編集するから、賢哉も葉月のご飯楽しみにしてたのに。俺、弥生さんの飯は嫌だ。ピザ取っていい?」


 双子の子ども達は大学4年生になっても葉月に頼ってばかりだ。仕方がない。ほとんど葉月が双子を育てたようなものだから。


「あんた達も知らないの? 今朝のスケジュール確認の時、午後の農業婦人会の会合が三時に終わるから、お茶して買い物してきても六時には帰ってくるって言ってたのに」  


 冷蔵庫には今日買ってきたものが入っていたし、ドアにはレシートがマグネットで貼ってあったので、買い物して帰宅したのは確実なのだが、本人がいない。 

 

 農業婦人会には隣の恵子おばちゃんと一緒に行ったはず。はるこうにはピザを取って食事を済ませる様に伝えた。


 弥生は燐家の中村家を訪ねることにした。


「こんばんは。弥生だけど。恵子おばちゃんいる?」


 玄関に出てきたのは恵一郎けいいちろうだった。弥生の四歳年上で「恵兄けいにいちゃん」と呼ぶ幼馴染だ。


「こんな時間に何の用だ? 母ちゃんは今風呂に入ってるよ。もうすぐ出るから、上がって待ってて」


「うん。そしたらお邪魔するね」


 サンダルを脱ぎ、食堂のいつもの席に座った。居間で横になってテレビを見ている恵一郎の父、一郎いちろうには挨拶だけした。寡黙な一郎は背中越しに片手をあげるだけの返事があった。恵一郎が麦茶を出してくれる。まだ夕食の途中だったようだ。


「どうした。何かあったのか?」


 恵一郎が食事を再開しながら尋ねる。柱時計は午後八時を指していた。


「葉月がいないのよ。恵子おばちゃんと農業婦人会に行ったはずなんだけど、その後がわからなくて。買い物して冷蔵庫に入れた形跡はあるんだけど……。恵兄けいにいちゃん、なにか相談受けたりしてない? 家出とか駆け落ちとか?」

  

「はあ? 何、落ち着いているんだよ! 書き置きとかは無かったのか? 携帯はつながらないのか?」


 恵一郎はバンと箸をテーブルに叩きつけ立ち上がり、口から米粒を飛ばしながら弥生に詰め寄る。


「葉月だって四十三歳の大人の女だよ。私たちの知らない出会いがあったかもしれないし、また変な結婚詐欺に捕まっているのかもね。近くに来た友達か彼氏かに会って立ち話しているのかもなって」


「弥生。葉月に俺たちが知らない友達はいない。らんには連絡したのか?」 


 蘭は葉月が相談できるもう一人の幼馴染だ。それ以外の同性の友人の名前は聞いたことが無い。


「うん。来てないって言ってた」


「携帯や財布は? どんな服を着てたんだ?」


「何? テレビで行方不明の人探す時みたいじゃない? 大げさ」


「ふざけないで言え!」


 恵一郎の剣幕にビクッとして、弥生は何とも思っていない風に明るく振る舞うことで誤魔化していた気持ちが、口をついて出てくる。


「恵兄ちゃん。葉月がね、どこにもいないの。携帯も財布も台所にあった。家に帰ってから絶対外に着て行けない位の部屋着に着替えてた。お蔵さんにサンダルがあった。裁ちばさみで髪切ったみたいだけど、切った髪も無かった。なんだろう。家出とか、駆け落ちとかじゃない気がするの」


「警察に連絡するぞ!」


「嫌だ! すぐ帰ってくるから! 葉月は何かあったら絶対に私に相談するはずだもの。何も言わないでどこかに行くわけないでしょ。葉月がどこに行くっていうの? 私の知ってる所以外ないでしょ。『弥生、ごめんなさい』って、あの家に帰ってくるんだから。絶対に帰ってくるから!」

  

 気付けば弥生も立ち上がり大声で心の声を恵一郎にぶつける。両手が震えて、八月なのに寒く感じた。一郎が恵子を風呂から呼んできた。中村家の皆に椅子に座る様に言われ恵一郎に支えられて座るが、今は全身が震えている。弥生は自分を抱きしめるようにきつく腕を抱え込んだ。


「弥生ちゃん。葉月ちゃんとは会合の後スーパーで一緒に買い物して四時位には帰ったよ。何かあったら心配だから警察にも言っておこうか」

 

 恵子が弥生の背中を優しくさする。恵一郎が警察に電話している声がとても遠くから聞こえている。


 結局、警察では事件性は無く一般家出人とされ、積極的に捜査は行われない事になった。


 弥生の怒りは治まらない。葉月に対してだ。弥生は葉月の事は全部知っていると思っていたのに。絶対、拉致監禁とかではない。葉月は一般の男性よりかなり体格が良いので、抵抗されつつ運ぶのは至難の業だと考えた。お蔵の中に薄っすら積もった埃にも大人数入った形跡も無かった。煙の様に消えるなんて不可能だ。


 それならば、家出か? 今の生活に不満があったのか。そんなの、葉月のくせに生意気だ。家出や駆け落ちなんて意味はない。出て行くなら全然引き留めない。まあ、自分だけで生活できるならやってみればいいと思う。一週間もてば良い方だ。きっと。相手がいるなら、もうちょっともつかもしれないけど。いや、二~三日で返品されるかもしれない。こんなポンコツだとは思っていなかったって言われるかも。


 小さい頃から自分が姉なのではと思う時があった。二歳違いの姉だが、字の読み書きや九九だって弥生が根気強く教えたのだ。いじめっ子からも守った。教師からの嫌がらせにも学校に抗議したのは弥生だった。成人してからも様々な詐欺や犯罪から弥生が守っていたと言うのに。ちょっと思い出しただけで腹が立つ。

 

 バカ葉月め!


 鈍臭くて考えることが苦手で面倒くさがりでなんでも後回しにしてしまうし、人が良すぎて疑う事を知らない優しい葉月。葉月がこれ以上傷付かないように守る事を亡くなった父と母にも頼まれた。弥生は葉月を誰からも、もうこれ以上傷つけられないように守ってきた。


 弥生は、葉月が自分では何にも決められないお馬鹿さんなのに、自分から松尾家を離れるなんて、とんでもないバカだったのかと考えた。葉月が今どこにいるのか、私から離れてまた誰かに騙されたり傷付けられたりしてないかと心配した。葉月のことを思うと、心の中で怒りと不安が交差し、胸が締め付けられるようだった。 


 バカな葉月、バカなお姉ちゃん、と心の中で呟いた。お姉ちゃん、心配で不安だよ。お姉ちゃん、寂しいよ。


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