第8話 友情と誤解の狭間で

「お待ちください! 息長足姫おきながたらしひめ、お待ちください!」


 ローマ神話支局の受付嬢が両手を広げて息長足姫の行く手を阻もうとするが、気迫に負けて動けなくなっている。受付嬢は涙目で周りに援護を求めたが、皆足がすくみデスクから立ち上がる事もできなかった。


「ラウェルナ! 出て来いっ! よくも妾を裏切ったな!」


「オッキー、どうしたの? そんな怖い顔して大きな声を出したら、ローマ神話支局のスタッフが縮み上がっちゃうじゃないの」


 自室から出てきたラウェルナは春の日差しの様な笑顔をたたえその小さく柔らかな姿態で、突進してきた姫をハグで迎え入れる。


「なにっ!」


 姫は予期しない対応で抜け出ようと藻掻いたが、思ったより強く抱きしめられていて腕から抜け出せなかった。


「よくも妾をっ!」


 それでも言いつのると、ラウェルナはほっそりとした人差し指をピンと立て、姫の唇にそっと置く。姫は花で染めたであろう桃色のかわいい爪から目が離せない。またその指が自分の唇に置かれた事を自覚すると羞恥を覚え、体を固くした。ラウェルナの髪の色と同じ宵闇色をした瞳が姫の黒曜石の瞳を捉える。


「ねっ。ここじゃ、ゆっくり話せないわ。私のお部屋に来て。久しぶりなんだから座ってお話ししましょう」


 ラウェルナは固く握り締めている姫の指を一本ずつ解きながら自分の指にからめ、自室へ誘った。


「また妾をいいように扱うつもりだろう。もう騙されないぞ! お前の化けの皮を剥がしてやる!」


 姫は、やっとできた友達が最初から自分を陥れようとして近付いたと考えると怒りが込み上げてきた。姫ははらわたが煮えくり返る思いで、じっとしている事ができなかった。ここで簡単に許せるはずは無い。


 ラウェルナは落ち着いた態度で対応する。


「ねぇ、オッキー。貴女が怒っているのは分かったわ。でも、私には何で怒ってるのか理由が分からないの。落ち着いたら詳しく話してもらえるかしら?」

 

 ラウェルナは再度手を引き、自室の柔らかなソファにゆったりと座らせた。そして自らも隣に浅く座り、目線を合わせ姫の手を包み込む様に握った。


「ラウェルナからもらったチラシがおかしいと言われた。詐欺の手口らしい。それに研修先に問い合わせたが、異世界転移をすると神の位が上がると言う事実は無かった! 妾を騙して何をするつもりだったのか?」


「まぁ。本当に神の位は上がらないの? 私もお世話になってる先輩神からそう言われて信じてたの。チラシだって先輩神から譲り受けて……」


 ラウェルナはソファから降り、姫の正面に膝立ちし顔をのぞき込んできた。その目には涙がたまり今にもこぼれ落ちそうだった。


「ねぇ、オッキーも信者さんに楽しい新しい人生を歩んで欲しかったのよね。私もそうなの。でもね、なかなか条件に合う人が居なくて。せっかくの機会なのにもったいないと思ってて。だから息長足姫になら教えても良いかなぁって思っちゃった。だって私達とっても仲良くなってたでしょ。でも余計なお世話だったわね。ごめんなさい。


 だけどこれだけは信じてほしいの。私、不器用だけど嘘も偽りも無い真っ直ぐな気持ちの息長足姫が好きだわ。そして大切なお友達だと思ってる。こんな風に思えたのはオッキーただ一人なのよ……」


 ラウェルナは寂し気に笑った。丸い猫の様な目の端からポロリポロリと涙が落ち、薄絹のドレスの胸元に染みを付けた。


「あれ、おかしいなぁ。こんな事しょっちゅうなのに……。だから、オッキーが私を疑っても仕方がないの。誰だって不安に思っちゃうのは当然よ。だって私、盗人や詐欺師の守護神なんだから。知っていて何とも思わないのはリスクマネジメント能力が欠如してる神だわ」


 ラウェルナは歯を見せて笑ってみせているが涙は止まらない。姫はおずおずとふところから懐紙かいしを渡した。


「すまない。ただ、妾は事実が知りたいのだ。ラウェルナが何の神だってかまわない。だから正直に話して欲しい。妾達は、友達なんだろう?」


「えぇ。オッキーは私の大切な大好きな友達よ。そうだわ。今回の転移はオッキーの希望していたのと違ったのかしら」


「いや、まだ何も分からない。転移しただけだ」


「それならば実際に転移してどうだったか確かめましょう。ティーノーンの先輩神の所へ一緒に行ってみましょう。思ってたのと違ったら、その時また考えたらいいわ」


「妾は葉月の気持ちに報いてやらなければいけないのだ」  


 ラウェルナは苦悶している姫の再度固く握りしめられていた拳に額を付け、祈るように頭を下げる。


「本当にごめんなさい。私ももう少し具体的にお話しするべきだったみたい。それと転移に利用した神気はお返しするわ。神気不足だと密に連絡するのも一苦労でしょ。今後も異世界転生や転移をサポートさせてもらうわね。私にはオッキーの真っ直ぐな意見や感想はとっても貴重なの」


 ラウェルナの額から姫の手の甲を通り神気が体を巡った。葉月をティーノーンに転移させる事で思った以上に使用し枯渇していた神気が満ちてきた。姫は友の心遣いに心まで満たされるような気持ちになった。


「あぁ。謝罪を受け入れる。それに、まだはっきり悪いとは決まった訳では無いし……。ラウェルナも悪意があって妾に紹介したのではないのだろう」


 ラウェルナは、はっと顔を上げ座る姫の腰に抱きつく。先程まで泣いていた目は赤くうるんでいる。そして白かった顔色をほんのりと紅潮させ夜に咲く月下美人の様な笑顔を見せた。


「えぇ、そうよ。信じてくれたのね。嬉しい」


 姫も喜んでいるラウェルナを見て嬉しくなり微笑みかけた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る