第7話 放逐と新たな試練
衝立の前で監視されながら、毛玉だらけのスウェットに着替えた。のろのろと着ていた服を脱ぎ、脱衣籠に入れた。下着は元の世界のものをそのままつけている。葉月は、太っているのにAカップという奇跡の体形のため、胸元に隠していた手鏡については知られていないようだった。そのままそっと胸元に戻した。息長足姫からの連絡もまだ無い。置いてあった桶の水と手ぬぐいを使い、厚化粧を落とす。やっと皮膚呼吸できる様に感じて、詰めていた息を吐き出した。靴が無いと言うと、ビーチサンダルのようなサンダルを渡された。それは大きすぎてパタパタして歩きにくかった。
葉月は土佐犬とバッファローに挟まれ、城壁まで徒歩移動することになった。お屋敷から出るまで十分くらいかった。お屋敷の高い頑丈そうな門を出ると高級そうな住宅街を通り過ぎた後、街道に沿って店が沢山並んでいた。華麗な彫刻の入った大きな柱や、透かしの入った木戸が高級店であることを示している。
路地は意外に広く二十五メートルはありそうだ。行き交う馬車は二頭立てで、大きな箱が付いている。平安時代の牛車の様だ。その他はロバが荷車を引き、手押しの一輪車が荷物を運ぶことに使用されているようだ。
舗装されていない道は大きめのサンダルでは砂や小石が入り込み、歩きにくい。度々、「早く歩け」とバッファローに小突かれる。出てから三十分ほど歩いた。ごく、緩やかな下り坂が続いていた。広場では市の後片付けがされていた。片付けている商人達だけでも、なかなかの人数だ。すれ違う時に、さりげなく観察されている。人族が、兵士に連れられているのだ。犯罪者と思われているかもしれない。行き交う人々の、視線が痛い。
指の股の靴擦れの痛みが強くなり、徐々に歩みが遅くなる。バッファローが、舌打ちをしている。急に、葉月の目線が高くなった。土佐犬が葉月を子どものように担いだのだ。
「すみません。重いので降ろしてください。歩きます。ゆっくりなら歩けます。逃げたりしないから降ろしてください」
「担いだほうが早い、もう少しで城門に着く。担がれていれば良い」
「ありがとうございます……」
思いの外、土佐犬は親切だった。放逐されるというのに、葉月はなんだかほっこりしながら土佐犬の厚い肩に身を預けた。
高級商店街を通り抜けると、田園風景が広がっていた。道や水路は領主さまのお屋敷から放射線状に広がっている。
葉月のペースで歩かなくて良くなったからか、その後、三十分程で遠くに見えていた城門前に着いた。反対側には下町がにぎわっている様に見える。ここは田畑を抜けて辿り着いた森に面した裏門の様だ。
兵士らは城門の兵士に書類一式を渡し「よろしく」とあっさり葉月を渡していった。
別れ際に、土佐犬は葉月に言った。
「あなたは去年亡くなった母上にそっくりだ。だから放っておけなかったのだ。あなたはニホンジンだが、私はニホンジンが全員ひどいとは思っていない。しかし、この地に住む兵士であればバーリック様の命令は絶対なのだ。許してくれ」
土佐犬は憐れみを含む視線を葉月に送りながら、腰のウエストポーチから大きめの布製のメッセンジャーバッグを取り出した。まるで手品のようだった。あれはいわゆるマジックバッグだろう。
「少しだが、旅に必要な物が入っている。持っていきなさい。あなたの無事を祈っている」
土佐犬は紳士だったのだ。
「兵士様! こんなことをしては兵士様が怒られます」
「大丈夫だ。私は豪族の出だから、誰も文句は言わない」
葉月は感動して兵士に尋ねた。
「兵士様! お名前を教えてください!」
「あぁ、ポームメーレニアンだ」
「え?」
「人族には発音が難しいか? ポメラニアンだ。ポメで良い」
「はい、ポメさま……」
見た目が土佐犬の兵士はポメラニアンだったのだ。
*****
葉月の前で厚い扉が音を立てて閉じられた。門前を少し進むと、もうそこは深い森だった。メーオの「全ての役割から解放された」との言葉を思い出しながら葉月は深い森に足を踏み入れた。森には魔獣がいて、食料や水の確保も難しいことも情報収集済みだった。
葉月は城門の正門を目指して城壁沿いに歩き始めた。
とりあえず近くの倒木に腰掛け、ポームメーレニアンにもらったバッグをのぞき込む。見た目は普通の布製鞄だった。葉月は実はマジックバッグだったとかを期待していたが違った。
パンパンに詰められたバッグの中身には、五百ミリリットルくらい入りそうなヒョウタンの水筒に入った水、干し肉っぽいモノ、干した果物っぽいモノ、手拭い二枚、果物ナイフ位の大きさのナイフ、百五十×二百センチメートル位の厚手の布、小さな巾着に入った硬貨があった。硬貨は、大きい銀色の貨幣一枚、小さい銀色の貨幣二十枚、銅色の貨幣三十枚、四角い鉄でできた貨幣二十枚が入っていた。葉月は硬貨を数えた。何にしても他に頼るもののない葉月にはありがたいものだった。
とりあえず手拭いを細く裂きサンダルと足に巻いて、固定した。だいぶ歩きやすくなった。今日中に城壁の正門に行くと中に入れるだろう。そうしたら、何か仕事を探して生きていこう。葉月はわざわざ城壁の外に放り出さなくても、下町で降ろしてくれたら良かったのにと毒づきながら、城壁を左手にし、正門を目指して歩き始めた。
ブブブブ……カチカチ、ブブ、ブブブブ、カチカチ。
何だろう。聞いたことがある音だが、それよりも大きい音だ。この羽音は……。カチカチは大あごをかみ合わせる威嚇だ。そっと右手の森の木を見上げる。見たことも無いくらい大きい蜂だ! 体長が三十センチメートルはあるような蜂数匹が威嚇しながら葉月の上をグルグル飛んでいる。
葉月は御屋敷で塗り込まれた香油を恨んだ。この香油が原因だと考えた。警告音を聞き、心臓が早鐘の様に打ち始めたが、ハヅキは冷静さを保とうと努めた。
姿勢を低くし、スウェットで頭と顔をなるべく隠しながら、ゆっくり後ずさりを始めた。異世界でも蜂は蜂だろう。普通は五十メートルほど離れたら大丈夫だが、もう少し離れよう。ある程度離れると、全速力で反対側に走る。ここ数年で走った中では町民体育大会の百メートルが最長だったので、葉月にとって大幅な記録更新だった。正門に向かって歩いていた葉月だが、だいぶ離れてしまったようだ。
御屋敷の後ろは崖だった。このまま進んでも門はあるだろうか? 葉月は五階建てのマンションくらいの高い城壁を見上げ、溜息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます