第20話 文と紫子の電話

『……もしもし。何の用ですか、千里先輩』


「ん? 難波から話は聞いていたか」


『ついさっきラインが来ただけです。文に紫子の電話番号を教えたって』


「他人へのラインで呼び捨てされているのは、さすがにドン引きを禁じ得ないのだが。やはり縁を切ろうかな、君のお兄さんとは」


『嘘です。鎌をかけてみただけです』


「未だに疑っているのか。素直に嬉しいぞ、それは。君や白石が取り合うような男と付き合える女と見なされているわけだろう? 実際はそんなこと、起きるわけもないのだが」


『不潔な陰毛ですもんね。女子失格ですもんね、千里先輩も。仲間ですね、わたしたち。モサモサ仲間! アハハ! アハハハハハ!』


「落ち着け。怖いぞ、その甲高い笑い声は」


『落ち着けるわけがないでしょう! 何で……何でわたしがこんな目に……! わたし、他の部分はむしろ薄い方で、中学のときも周りから羨ましがられてたくらいなんですよ!? だから勘違いしちゃったんです! どうして寄りによって、こんな場所だけモサモサになるんですか!?』


「それは知らない。私も全く同じ疑問を8年近く抱え続けてきた」


『生え始めた年齢が同じですね! お母さん……っ、何であのとき、あんな嬉しそうにわたしを褒めたんですか! 「仲間だね」ってケーキでお祝いしてくれたんですか! 騙された! 親に騙された! 聞いてなかったんです! モサモサが男子的に、兄さん的にNGだなんて、親もマリア様も教えてくれませんでした! 最近までこれが普通だと思ってたんです! お母さんだってあんなにモジャモジャで……あのクソ母ぁ!! クソ遺伝からのクソ洗脳!!』


「笑顔で『仲間だね』は確かにサイコパスじみていて鳥肌が立ってしまったが……しかし、その美貌だって遺伝させてもらったのだろう? いいではないか、陰毛くらい。これから、どうとでも対処出来る類いのコンプレックスだ」


『……やっぱり、処理すべきですよね……一体どういう風に……って、先輩に聞いても仕方なかったですね』


「そんなに深いため息をつかないでくれ。私だって長年悩んできただけあって、知識だけは人一倍あるよ」


『本当ですか!? さすがモサモサ先輩!』


「とりあえず言えることとしては、下手に自分で処理しようとしない方がいいということだ」


『美容院みたいなのがあるということですか。世の女性はみんな月一で陰毛サロンに通っているんですね。メモメモ』


「そこまで世間知らずだとは思わなかった。もちろん正確な知識と腕があるならば、定期的に自分でお手入れすればいい。が、なかなかそうもいかないだろう。特に君なんて、居候の身分だもんな」


『……兄さんがシコシコしているお部屋の隣でモサモサをジョリジョリ……お風呂でジョリジョリしたら流し損ねたお毛っけを兄さんに発見されてドン引き……いやぁあああああああああああ!!』


「そこまで言ったつもりはなかった。妄想力たくましいな。さすが難波の親戚」


『言ったも同然です! うっ……うううぅぅ……!』


「泣いているのか」


『…………っ、だって……だって、こんなの……! どうすればいいんですか……! こんなモジャモジャじゃ、兄さんのお嫁さんになんて……っ』


「永久脱毛すればいい」


『間違えた、モサモサです、モジャモジャではありません。ううぅ……、……え? 今、何と……』


「脱毛クリニックで、永久脱毛すればいい。大金はかかるが、それほどまでに深刻な悩みが解消されるのであれば安いものだろう」


『え……え……!? 脱毛って……いえ、もちろんそれくらい知っています。広告でよく見ますから。でも、わたしのような高校生が行く場所ではないですよね……?』


「そんなことはないぞ。今時、女子高生の医療脱毛なんて何も珍しくはない」


『そ、そうなんですね……! そんなことマリア様は教えてくれなかった……! どうしてですか、マリア様……!』


「マリア様だからだろう。聞くところによると、君の家は裕福だそうだし、頼んでみればいいんじゃないか。母親が君を道連れにしたがっているのであれば、父親の方にでも」


『確かにお父さんなら、今回の転校のときみたいにわたしがガチ切れすれば……』


「頑張ってくれ。きっと、難波も喜ぶはずだぞ」


『兄さん……っ……千里先輩はいいんですか? そのままじゃ兄さんに嫌われちゃいますよ? 脱毛しないんですか?』


「見せる相手などいないと言っているだろう。本当に意味がないぞ、そのカマカケとやらには」


『念のためです。わたしはわたし以外を信用しませんから。それはそれとして、やればいいじゃないですか。兄さんはダメですけれど、モサモサさえなければ、千里先輩は絶対男子にモテるはずですよ? メス臭がすごいですもん』


「褒められているのか貶されているのかは分からないが、どちらにせよ不可能だな。うちもまぁ、金銭的に困っているわけではないが、そもそも陰毛の話なんて出来るような親子関係ではないんだよ。むしろ君の親族の方が世間一般からズレていると思った方がいいな。今回はそれで助かったことになるわけだが」


『はあ。そうなんですか。じゃあ、千里先輩は社会人になって自分で稼いでからですね。その時にはもう兄さんのお嫁さんはわたしですから、わたしにとってもありがたいですっ!』


「元気が出たようで良かったよ。じゃあ、するんだな? 永久脱毛」


『はいっ! こんなモジャモジャとは、一生のおさらばですっ!』


「そうか、羨ましい。どうせやるなら早い方が得だしな。参考にしたいから、ぜひ経過を報告してくれ」


『もちろんですっ! さんざん自慢させていただきますっ! 今回は情報提供ありがとうございましたっ! では、さっそくお父さんにブチ切れテレフォンしてまいりますねっ!』


「健闘を祈るよ。おやすみ」


『間違えました、モサモサです。おやすみなさいっ!』





「…………。ふぅ……」


「…………」


「……………………」


「…………………………………………」





「…………もしもし、柚木」


『もしもし、何ですか千里先輩。本当ですよ? 本当にモジャモジャではありません。紫子はモサモサです』


「安心しろ、疑っていない。まだ父親にはブチ切れていないよな?」


『はい。出ないですね。お仕事中かもしれません』


「よかった、お父様が無駄にブチ切れられずに済んだ。すまないな、柚木。先ほど私が言ったことは間違っていた。永久脱毛はダメだ。してはいけない」


『え……は……? いや、でも。今時の女子高生では普通なんですよね?』


「確かにそうらしいが、君がする必要はない」


『どうしてですか! 紫子はこんなにモジャモジャなんですよ!? 今時の女子高生の中でもトップレベルだと思います!』


「私の方が上だ」


『知りませんよ! 張り合ってません! あなたはいいですよ、どうせ見せる相手なんていないんですから!』


「ついに信じてくれたか」


『信用し切ったわけじゃないですが、どちらにせよ、わたしが永久脱毛してツルツルになりさえすれば、兄さんが浮気なんてするわけないですからね! はっ……! そういうことですか、それを防ぐために、突然発言をひるがえして……』


「違う。ただ、私が知っている難波という男が、可愛いお嫁さんのモジャモジャを受け入れられないとは思えなかっただけだ」


『モジャモジャじゃありません。モサモサです』


「君が長年思い続けて追いかけてきた男は、そんなに器の小さい男なのか?」


『違いますっ! 兄さんは昔から紫子のことを守ってくれて――……で、でも、それとこれとは……いえ、世間知らずの紫子にはわかりませんが、だって実際、さっきの兄さんはあんな反応を……っ、うっ、ううぅっ……! 思い出したくありません、兄さんのあんな引き攣ったお顔……!』


「難波の顔が引き攣っていたのは君のメンヘラのせいだ」


『メンヘラじゃありません! モサモサです! 間違えた、ヤンデレです!』


「じゃあヤンデレのせいだ。あんな風にホラー顔で詰め寄られたら誰だってああなる。こんな無愛想だから分かりづらかったかもしれないが、私だってそうだ。首の可動域どうなってるんだ、君。怖すぎる」


『でも、兄さん、「え。あ、あー……うん」って……! あんな言葉に詰まったような反応、言いづらいことがあったからに決まってるじゃないですか! お嫁さんなのに、あんな気の使い方、されたくありませんでした! ツルツルにしますっ!』


「冷静になって考えてみてくれ。幼なじみとクラスメイトの女子の前で、三年ぶりに再会したての従妹の陰毛が濃いという話を聞かされて、童貞の高校生男子が『え。あ、あー……うん』以外のリアクションを取れるとでも思うか?」


『確かに』


「私の陰毛に対する反応だって同じだ。女子トークに本当は全然ついていけていなかったにもかかわらず、童貞だと思われたくなかったから、適当に話を合わせただけなのだろう。そういう表情をしていただろう?」


『確かに』


「スマートな返答でもされたりしたら、むしろ女慣れを疑っていたのではないか、君は」


『確かに。今思えば、なんて兄さんらしくて、可愛らしい反応なんでしょう。抱きしめたい』


「だろう? いや、何故それで抱きしめたくなるのかは全く理解出来ないが、そういう男じゃないか、難波は。大切な従妹が自分のせいで大金と時間をかけて、脱毛クリニックに通っているなんて知ったら、気に病んでしまうとは思わないか?」


『それは……』


「一度きりで終わるものではないからな、永久脱毛は。特にモジャモジャの場合はツルツルになるまで、八回程度の施術が必要になることもあるらしい。難波との貴重な時間を、そんなことで無駄にしていいのか。君が激痛に耐えている間に難波と白石がイチャイチャしているんだぞ? そんなことが八回もあるんだぞ?」


『モサモサだから七回ですね。……そんなの、無理です……毛根の前に脳が破壊されてしまいます……ツルツル脳みそになっちゃいます……っ』


「君との会話疲れるな。だが、きっと、難波ならありのままの君を受け入れてくれることだろう。自然なままの君を愛してくれるはずだ」


『……でも……嫌われはしないにしても、やはりツルツルの方が、より喜んでくれたりとか……』


「初めからツルツルのままお嫁さんになったら、ツルツルの君しか見せられないぞ。モジャモジャなら剃毛プレイも出来る」


『てっ、剃毛……』


「魅力的だろう?」


『ふしだらですっ! 千里先輩はド変態ですっ! 耳年増ですっ!』


「だが、難波にそういう性癖がないとも言い切れない」


『ありそう。とてもありそう』


「いずれによせ、永久脱毛なんてハイリスク・ローリターンだというわけだ」


『…………』


「納得出来ないか」


『……正論だとは、思いますけれど……何というか、いまいち、こう、心の奥まで刺さらないと申しますか……はい。ここまで言われてしまえば、やはり脱毛はしないと思います。でも、やっぱりどこかモヤモヤは残り続けてしまいそうで……』


「……贅沢だな。子どもだよ、君は」


『……はぁ?』


「私からしたら、モジャモジャ程度でそこまで悩んでいる君が可愛らしいという話だ」


『モジャモジャ程度じゃありません。モサモサ程度です』


「なおさらだ。私なんてな、柚木。下着から、はみ出しているんだぞ?」


『…………ふっ』


「VラインからもIラインからもな。あと上からも少々。というか、Vラインだとかいう言葉がいまいちピンと来ない。モジャモジャ過ぎて全然V字になっていない。まぁお風呂で濡らしたらV字にはなるか」


『うふふっ……! ふふっ! アハハハハっ! す、すみません……っ、ふふっ……アハハハハ!』


「ひどい」


『ふふふっ、だ、だって……! 先輩が笑わせたんじゃないですか! かわいそすぎますって! かわいそ可愛いですっ! 胸がギューってなりましたっ!』


「モジャかわ扱いするな、先輩を」


『うふふっ! もーっ、面白すぎますってー! モサモサ程度で悩んでるのがバカらしくなってきちゃいましたっ』


「念のため言っておくが、こんな恥ずかしい話、当然ここだけの秘密だからな?」


『えー? どーしよっかなー。あまりにも面白すぎるからなー』


「おい、勘弁してくれ。私には君のように、コンプレックスを受け止めてくれる存在なんていないんだぞ?」


『うふふっ、わかりましたよっ。秘密にしておいてあげますっ。わたしが、受け止めてあげますっ』


「それは助かる。二人だけの秘密だ。私は永遠に処女の可能性もあるから、下手したら一生ものの秘密の共有になるな」


『聖母マリモ様ですねっ』


「マリモ程度なら良かったのだがな……まぁ、私ならマリア様では教えられない、こんなことも教えられるというわけだ。信じてくれたのならありがたい。私も信じているぞ」


『ええ、こちらこそ!』


「可愛いな。いつもそうやって素直ならいいのに」


『もーっ、そういう……だって、本当に疑ってたんですもん、文先輩のこと』


「呼び方変えたな」


『ほんっと意地悪ですねっ! 流すところですよっ!』


「だから、流せないんだよ、私はそこを。毎度毎度、君の兄さんにはイラッとさせられている。まぁ、君に名前呼びされるのには悪い気はしないが」


『そうでしょう? 可愛い後輩ちゃんです! 可愛がってください、文先輩!』


「調子の良い後輩だな」


『だからー! 今日のことはー……はい、それは、すみませんでした……ヤンデレだからだとか、そんな言い訳で済ませるつもりはありません……また正式に謝罪しに行かせてください……』


「ふふっ……構わないよ、怒ってなんていない。そんな風に、真っ直ぐ一途に想える相手がいるなんて、羨ましいし、尊いよ。私も、君みたいなヤンデレになれたら、どれだけ良いかと思ってしまう程にな。端的に言って、憧れる。貫いてほしい」


『文先輩……』


「好きなんだろう、難波のことが」


『そんなこと、今さら……』


「今さらとは言うが、実際、明確には確認していなかったからな。好きなんだろう? 恋愛対象として」


『……それは、まぁ……文先輩が思っている通りですよ』


「あれだけのことを想い人本人の前でやっておいて、そこで照れるのか」


『照れるというか、軽い言葉にしたくないんですよ。淑女として、そういったことは大事な時、そして二人きりの時にしか口に出さないと決めてるんです』


「聖母様の教えか」


『実母の教えです』


「モサモサの」


『モジャモジャのです。そっちの方が男心も撃ち落とせると言い聞かせられてきました。文先輩も覚えておくと良いですよっ! あのメス猿にだけは絶対教えませんが。軽く好き好き言ってそう。猿だから』


「まぁ、白石はそういうところあるよな。言動が浅慮というか……今日だって酷かっただろう。そもそも白石があんな態度を取らなければ、君だってこれほど悩むこともなかっただろうに」


『ですよねー! ホントそれです! 人の体のことを馬鹿にして笑うだなんて、最っ低の最悪です! 絶対許せないです!』


「ああ。本当に、それに関しては広い心なんて持つ必要はないぞ。人として、一線を越えているからな。許してはならない。私はもう、君の味方だ」


『文先輩……いいんですか? 中学からの友達だったんですよね……?』


「それを言ったら、難波だって中学からの友人の一人だ。友人があんな女に振り回されて不幸になるところなんて見たくないよ。難波に相応しいのは、白石華乃ではなく、柚木紫子だ。私は、君の恋を応援したい」


『ほ、本当ですか……!? 心強いです!』


「任せてくれ。しかも白石の方は私のことをすっかり信用し切っているからな。信用というか、侮っているだけとも言えるが。とにかく、君のスパイとして働く条件は整っている」


『スパイ、ですか』


「ああ。白石には、私が白石の恋の見方だと思わせ続けておく。その裏で暗躍するつもりだ。難波の中の白石の好感度を落としたり、白石や難波から引き出した情報を君に提供したりもしていこう」


『わたしのために、そこまで……』


「可愛い後輩だからな。それに、重大な秘密を共有した唯一無二の仲間でもある」


『ハミ毛のちぎり……モジャモサ同盟……』


「気に入った。ただし人前で口には出さないようにな。名前で秘密までバレる。あとは、そうだな……障壁があるとすれば、そもそも私と難波が、プライベートな話をするほどの仲ではないということだな。ただのクラスメイトである以上、仕方はないのだが……状況をコントールしていくためにはもう少し難波とも距離を縮める必要があるだろう」


『正直そこは文先輩次第じゃないですか? 兄さんは女子との距離感分からなくて呼び捨てしてきちゃうくらいなんですし』


「簡単に言うがな、苦手なんだよ、男子と関わるのは」


『うふふっ。さっきまで偉そうだったのに、可愛らしい先輩ですねっ! ま、何かあったときは逆にわたしの方からサポートしますよ! 今日みたいに、ご飯を食べに来たり、わたしを口実に遊びに来たりすればいいじゃないですか!』


「それは助かるな……あとはまぁ、筋トレ指導してもらったり、勉強会辺りだな。私が難波と自然に距離を詰められるシチュエーションなんて」


『いいじゃないですか、微笑ましいですねーっ。じゃあ、その方向でいきましょう! 今日からよろしくお願いしますね、文先輩っ!』


「ああ。こちらこそ、よろしく、柚木。私達は、チームだ」


『はいっ! ハミ毛の契り! モジャモサ同盟です!』


「おい。確認だが、君いま、自分の部屋なんだよな? 壁は薄くないよな?」


『うふふっ! 安心してください! 兄さんの部屋には聞こえていませんよ! ハミ毛の契り! モジャモサ同盟!』

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